平成16年12月15日に埼玉県春日部市幸松地区公民館において、幸松地区小中学校4校合同PTA家庭教育講演として『
お母さんだって甘えたい!』という演題の元に講演を行った。公民館講堂があふれるほどの参加者があった。関係者のご努力もさることながら『演題に共感して・・・』ということで参加された方も少なくないようである。
家族生活を営むとき、主婦・母親・妻の立場にある女性には家族成員の精神的ストレスが集中するという家族精神力動が存在するために、甘えたくても甘えられない状態になり、精神的に窮地の状態に陥ることが多い。通常、これは『オニババ化する』とか『女は七つの天罰を背負って生まれてきている』といったように表現されている。
以上のことについては、平成13年に行われた九州臨床心理学会において発表した下記のことが役立つであると思われるので、ここにあげておきたい。
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臨床心理の中の「男」と「女」
〜家族精神力動からみた「男」と「女」の違い〜
1. はじめに
物質科学ならともかく、人間科学の分野では、諸外国での成果を我が国に取り入れるとき、文化の差異を考慮しなければ、それは全く意味がないどころか危険でさえあるI。この観点に基づき、フロイトII、マズローIII、バーンIVの理論などを日本文化の観点から咀嚼し、拡張してきており、成果が得られているV、VI、VII。今回は、西洋フェミニズムについて、日本文化の観点から、その考え方を咀嚼し拡張した結果を報告する。
2. 背景
西洋フェミニズムは、女性は普遍的に男性より劣位な地位に置かれている、という基本認識を元に、あらゆる論理を展開している。特に家庭生活においては、女も男と同じであることを目標に、性役割分担を拒否する。この目的は、家庭生活における女性の負担を軽減することと考えられる。その結果、家庭生活は、男も女も労働者となり、子供は保育施設に預ける、というパターンになっている。いわゆる家族形態の西洋化である。
日本文化においては「子育ては母の仕事」ということがある(男は仕事、女は家庭1)。これは西洋フェミニズムとは真っ向から対立する視点である。したがって、色々なところで論争が発生する。しかし、論争をしても解決には至っていない。先駆的な立場にあるアメリカでも事情は同様である。
3. 家庭生活における女性の苦悩
フェミニズムの視点が女性の苦悩からの解放にあるなら、それを家庭生活に限定すれば、苦悩の原点を家族精神力動の不平等性に見いだすことができる。それは次のようである。
母親が「子育ての本質」すなわち子の不快感の除去と快感の付与を実践すれば、生後半年も経過する頃には、不快感・母・快感、の三要素間に条件反射が形成される。これは子が母を認識したことの証で、その結果、人見知りを呈するようになる。これを条件母性反射と呼ぶ。それ以降、子はもっぱら母に甘えることで情緒的に安定する性質を有するようになる。
子育ての本質が実践された人間が作る家族では、家族成員全てに条件母性反射が成立している。つまり、子は性別の区別なく母親に甘えるし、また夫も母のイメージを持つ妻に甘える。ところが、妻・母である女性は、家庭内には甘えの対象が存在しないことになる。家庭内の女性(妻・母)は他の家族成員から甘えられてしまう一方である。家族成員に対して何でも家事・育児としてサービスをしていくことは、いずれは精神的に疲労困憊していくことは火を見るより明らかであるVIII。家庭においては、全ての心理的ストレスが女性(母・妻)に集中すると考えて良い。そのため、我慢の限度すなわち受忍限度期間を10年とすればY、結婚して10年も経つ頃にはどんな女性もオバタリアン化する、ということが理解される2。
以上に述べた家族精神力動が存在するため、家庭内の人間関係は平等ではなく、母・妻の立場にある女性にストレスが集中することが知れる。ここに解決すべき重要な問題が存在する。家族精神力動の不平等性に起因する、この様な女性特有の心意に対処しようとするのがフェミニズムであると考えられる。
4. 家庭生活における女性の苦悩の解消
家庭生活において女性は、自分自身は甘える場を持たないが、他の家族成員は自分に甘えてくる、という不平等な家族精神力動の渦中にある。この渦中から脱却し、苦悩から解放されるための方法は、基本的には二つ存在する。
第一は、家族成員が妻・母である女性に甘えるのを止めることである。この視点が、西洋フェミニズムに基づく女性解放運動を家庭生活の視点から見たものと一致する。「神は自ら助くる者を助く」の諺で知られるように、西洋社会は「個人」に主眼点をおく社会である。従って「甘え」は言葉すら存在しないほどに抑圧される。この様な社会において、前述の家族精神力動の不平等性に由来する女性(母・妻)の苦境を救うには、全ての「甘え」を断ち、夫婦・親子が早期に自立することが必要である。この様な状況においては、女性(母・妻)が伝統的な性役割を引き受けることに疑問が出て当然であろうし、ジェンダー・フリーの考え方が生まれても当然という素地を有する。これが女性の側からの女性問題解決のひとつの選択肢であることは否めない。
従って、条件母性反射を母に対して成立させることは、西洋フェミニズムにとってはその根底を揺るがされることとなる。「甘え」の概念を持たない西洋社会においては致し方のないことかも知れないが、「甘え」の概念を有する我が国では、この第一の視点に加えて、次の第二の視点も成立する。
第二は、西洋フェミニズムに条件母性反射を母に対して成立させるということを導入すると、もう一つの選択肢として、条件母性反射の存在を認識し「甘え」は当然のこととして受容することであるという考え方が生まれる。「甘え」を充足させてくれる人に対しては、経験的に知れるように、信頼と忠誠の気持ちが湧き出るものである。信頼と忠誠の気持ちでつながってしまえば、女性(母・妻)もまた相手に甘えることが可能となる。この様な視点に立って女性(母・妻)が行動する様式を日本型フェミニズム3と仮称する。
西洋フェミニズムでは情緒のつながりではなく、義務や権利、道徳といった理性上のつながりで相互関係が維持される。ところが日本型フェミニズムでは、「甘える」「甘えさせる」の情緒的なつながりで相互関係を維持することとなる。この様な関係においては、「甘える」「甘えさせる」ということについて、明確な知識と実践法を持つ必要がある。さもなくば、いわゆる「甘やかし」の状態に陥り、いつまでも同じ状態が延々と続き、あるいは悪循環が高じて酷い状態に陥ってしまう。これは共依存と呼ばれる状態である。
「甘やかし」の概念は、これまでに検討されることがなかった。「甘やかすな!」と言えば、「甘えさせない」と同義であるかのように考えられた。しかし、人間の「甘え」の行動は、A. Maslowが提唱する基本的欲求に基づくものと考えられV、ある段階の欲求が充足されないとき、人は代理欲求として他の段階の欲求を他者の行動を模倣して現すという考え方を提示して以来、「甘やかし」の状態にある家族関係に適用して良い関係を築くことが可能となってきたV。「甘やかし」の本態と対処法が明らかになった現在、日本型フェミニズムとしての方法を採用することも女性(母・妻)の救済策として十分に機能できることとなったIX。
5. 日本型フェミニズムの長所
「甘えさせる」ことを基本とするため、拗ね、僻み、恨み、ふて腐れ、自棄糞、の心意が除去される。これは、人間の安全性と信頼性を向上させる。従って、高度文明情報化社会においては、機器システムの末端に人間が位置するので、全体の安全性・信頼性は人間自身の安全性・信頼性で決まる。そのため、社会システムの安全性・信頼性が向上し、犯罪が抑止され、社会治安が向上することが考えられる。これまでの日本が治安大国であったのは西洋フェミニズム導入以前のことで、無意識的に日本型フェミニズムが機能していたと考えられる。
6. 参考文献
1 こうは言われていても、特に伝統的に貧困な沖縄県では、共働きが普通である。
2 沖縄の精神文化(祖先崇拝、女性文化)では、女がこの様になってしまうことを、「女は七つの天罰を背負って生まれている」と表現する。
3 著者は、当初は、この視点を「西洋フェミニズム」に対応して「東洋フェミニズム」と呼んでいた。しかし、上野千鶴子東京大学教授が「オリエンタル・フェミニズム」という用語を既に提唱していることと、「甘え」の概念が果たして「東洋」に普遍的に存在するかどうか確信が持てないので、正確を期する意味で、この様に呼称することとした。
I 又吉正治:神戸殺人事件の背景を考える、琉球新報、1998年1月7日、9日、12日、14日朝刊。
II 又吉正治:正しい「甘え」が心を癒やす、文芸社、1998年、東京。
III 又吉正治:勤労意欲が無く金銭浪費癖の激しい青年の心理治療−マズロー・土居理論の拡張と統合、九州臨床心理学会沖縄大会、1998年1月。
IV 又吉正治他:文化背景を考慮したエゴグラム、日本民族衛生学会大会沖縄地方会、2000年8月18日。
V 又吉正治他:「甘え」と「甘やかし」−共依存からの脱却、沖縄県公衆衛生学会大会、1999年。
VI 又吉正治:性同一性障害の心理治療、九州臨床心理学会宮崎大会、1999年。
VII 又吉正治:「やる気」の精神分析、戦略人事研究会、William M. Mercer Inc., 1998年、東京。
VIII 又吉正治:男と女、こころの違い、家族療法研究所、沖縄県、1986年。
IX 又吉正治:人間の行動の理解と人間関係論学習予定項目表、文化精神医学・家族療法学の学習会、家族療法研究所、沖縄県、1999年。
九州臨床心理学会福岡大会・自主シンポジウム平成13年1月27日

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