昨日の朝日新聞の朝刊に 草案と現行の憲法とを 対比させてある。
私にとって 崇高な素晴らしい前文まで変えられていて
とてもショックを受けている。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。・・・・・・・・・・・・(略)・・・・日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」
今 学校でこの前文について、憲法について習わないのかしら?
先生方に「世界中に誇る事の出来る 素晴らしい文」だと言って
教えられた。
敗戦で 信じていたものが全く無くなり 途方に暮れていた人達に
この崇高な理想を掲げた前文は ここから出発し直せるのだと言う
立脚点・アイデンティティに なっていたと思うのは 私だけなのかしら?
そして、打ち砕かれた誇りもまた 持たせてくれたのではなかった?
そこを出発点にして 頑張りに頑張って
働きに働いて 日本はこんなにも早く復興を遂げた。
憲法の前文は 私達の誇りであり 支えなのだ。
意識しようとも 又、していなくてさえ。
草案では「・・・・・する。・・・・・する」と「する」の羅列で
「理想を掲げて」努力をしそこに達成することを誓うと言う姿勢は
全く無い。
理想を掲げることの無い憲法は 私には考えられない。
理想から現実重視と言うわけか?
私達に 理想は要らないのかしら?
憲法が いつからそんなに 軽いものになったのか?
何のためにその前文まで変えようとするのか その意図がわからない。
いいえ、意図無しに変える事は無いはずなのだ。
個人の権利について
現憲法 「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
草案では「公共の福祉」が「公益及び公の秩序に反しない限り」となっている。
「秩序」に反すると判断されたら
「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は
どうなるというの?
戦時中に「平和主義者」と言うことで
弾圧されたことを思い出して怖くなってくる。
戦争をしている時には 「平和主義者は公の秩序に反している者」と言う事になるのだ。
戦争に行きたくない・行かせたくないと思う「個人の幸福の追求」も
「秩序に反する」と言うことに読み替えられる危険性がおおいになる文章だと思う。
ここでは 細かく検証できないけれど
是非 読んで見てください。
特に若い方々 これからの日本で 生きて行くのはあなた方です。
どうぞ 真剣に読んでみてください。
ここまで変えてしまう意図は何なのか 本当に気になるのだ。

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