小さな新聞記事から得た言葉です。
「学校は夢見るところ」
フィリピンのミンダナオにあるとても小さな中学校。
物置小屋のような教室で14才から20才まで25人の中学生が
ぎゅうぎゅう詰めで座っている。
アニータは20才。2才の子がいて しかも妊娠6ヶ月。
夫や家族の反対を押して この中学校に通っている。
14才で学校に行けなくなり
結婚しても 子供が出来ても 「先生になるのがずっと夢だった」。
先生は「そうねえ、成績は中の下ぐらいだからねえ・・・」
アニータも記者もプッと噴出す。
「学校は夢見るところ」と言うお話。
なんて素敵な学校でしょう・・と思ったの。
学校で勉強することが 「夢」に繋がっていたことがありますか?
それはいくつの頃まで?
今の日本の学校では 子供たちに「夢」を与えられているかどうか とても不安。
いいえ、日本の社会全体が「夢」を子供たちから奪ってしまっている様な気がするの。
もし、あるとすると スポーツ選手になるかタレントになるというような「夢」でしょう?
学問をする事そのものが「夢」だった時代はもう来ないのでしょうか?
広く知り深く考えることの中に 救いがあると思えた時代は
終わってしまったのかしら?
経済競争を牛耳るものが 世の中を牛耳っているだけでは
本当に寂しい。
テレビの中では 内輪話や軽い冗談のような番組ばかり。
賑やかなのに虚しく感じられ どっと寂しくなってくる。
それだけではない。
手足だけでなく 見ること・聞くこと・味わうこと
感じること 考えること ・・・それらの総てが少しずつ削って行かれてる。
そうして 私達は自分自身が希薄になって来ている。
そんな気がしてならないのです。
「夢」の喪失は そんな「自分の喪失」でもある様に思えて・・・。
このブログは そんな社会への「つたない つたない 抵抗」でもあるのです。
みなさん 一緒に思い出しましょう。
沢山の美しかったもの。
感動的だったこと。
思いがけない素敵なこと。
ワクワクした瞬間。
そして あなたとわたしと色々な人達のこと。
学校や社会が夢見ることをさせてくれないなら
せめて このネットの中で繋がって
それらを取り戻すことを しっかりとやって行きたいの。
大袈裟にいうならね そんな風に自分を取り戻して行くことが
平和にだって 繋がっていると思っているの。

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