「書を捨てて町に出よう」と寺山修司は言いました。
私は 私に言うのです。
「PCを置いて町に出よう」と。
PCは パソコンだけではなく、携帯電話も仲間と考える事もできますね。
どんどん 機能は多様化し、便利になって行っているので、まるで小さなパソコンのように 町の中でも使えます。
小さなPC化した携帯は どこにでも追っかけてくるのです。
トイレだって、お風呂だって!!
町の中で歩きながらですら オフィスやお部屋のように いつだって情報を得たり 友人と交流したり、ブログを書いたりできるんですからね。
便利と言ったら 便利です。
でも、私達は便利さの影に 何かとても大きなものを失う経験を何度も何度もしてきましたもの。
だから、何やらはっきりとは分からないまま 警戒をするのです。
私は 先日来「twitter」の怖さについて書いていますが それは「象徴」と言ってもいかもしれません。
パソコン・携帯の怖さを しっかり認識して、自分でコントロールできる人は良いのでしょう。
私は 私自身に自信が無いから、自分から遠のくという手段をとる事にしようと思ったのです。
さて、あの寺山修司が「書を捨てて」と言ったことを考えてみた時
「書」と言うもの以上に 危ない存在であるPCや携帯を置いて 町に出る必要性を 私達はもっともっと 感じた方が良いのじゃないかと思うのです。
町というのは もちろん 現実生活という意味に使っています。
リアリティーを持って 生きる事を、もう私達は意識的にしなければならない時代にいるようですね。
この四角い箱の中でばかり 仕事をし、友人とお話をし、情報を得ていると、私は どうしても 何かとてつもなく大切なリアリティーを 失ってしまいそうで恐ろしいのです。
昔、私は 暗い人でした。
自己否定だったと何度も書きました。
欝だったろうと思います。
そのころの私は 自分という存在にリアリティーを持って感じられず
まるで カプセルに入っているかのような感触に苦しんでいました。
その頃は まだ カプセルに入っている感触を感じられたから良いのです。
今、PCなどに使う時間がどんどん増えて行くと 私達は 自分がリアリティーから遠ざかって行っている事すら 感じられなくなる気がしています。
キューリは 包丁で切ったら どんな感触が戻ってきましたか?
洗濯物の揺れる香りは どんなでしたか?
町の角を曲がった時 フッと鼻先に流れ着いたのは どんな香りでしたか?
雑踏の中に 懐かしい音が聞こえませんでしたか?
アスファルトと コンクリートは 足に伝わる固さが違いますよね。
あ、こんな所に まだ秋の虫がいるみたいです。リリリと鳴いています。
久々に綺麗な秋の空は その向こうに深い宇宙が有るんだなあ〜。
町に出て 余り美しくもない空気を、それでも胸一杯に吸う事をしないと もうどんどん 鋭気をこの箱に吸い取られて いつかあのカプセルが私の頭上から かぶさってくるのではないかと 恐怖します。
今日は とても綺麗な三日月が出ています。
私は その三日月のように大きな口を開けて 笑っています。
さっき あるSNSを退会する事を そこで宣言したのです。
そこでしか会えない沢山の人に ゴメンナサイを書きました。
ずっと ストレスを持って そこにいた事に気付いて、私は今日やっと そこから出る事を決意しました。
決意には 犠牲が有ります。
そこでしか会えない人と 会えなくなるかもしれない恐怖です。
それでも 本当に繋がるなら そこを出ても繋がるはず!・・・と強く信じているのです。
ああ!!
私は 今日の三日月のように 大きな口を開けて笑っています。
また一つ 心が自由になったのです。

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