「風評被害」と言う言葉を聞く度に 何だかとても嫌な気持ちがします。
なぜだろう???
今日の毎日新聞「View Point」に ブロードキャスターのピーター・バラカン氏が 私にとってとても分かり易い一文を書いてくれていましたので紹介します。
3月11日の地震発生後、彼の持つラジオ番組にある特定の曲にリクエストが集中したそうです。
それはRCサクセションの「
ラブ・ミー・テンダー」と「
サマー・タイム・ブルース」だそうです。
忌野清志郎が英語の歌に日本語で違う歌詞をつけているのです。
ところが放送局の自主規制に合います。(今のこの時代にですよ!)
「
ラブ・ミー・テンダー」の「放射能はいらねえ、牛乳飲みてえ」と言う歌詞が
「風評被害を広げかねない」からだそうです。
アメリカでは9.11の事件以後なんと、ジョン・レノンの「イマジン」と言う平和を祈るような内容の曲でさえ、ラジオからしばらく流れなくなったそうですから 自主規制って怖いです。
ピーターさんは言うのです。
「曲によって風評被害が生じるかどうか、その判断はラジオ局ではなくリスナーにゆだねて欲しい」と言う声にハッとしたと。
そして、私が「風評被害」と言う言葉に不愉快な気持ちになる理由が分かった一文を写しておきましょう。
「また、日本人が風評という言葉の前で思考停止に陥る危険性もある。放射能汚染は事実として存在し、うわさ話がすべてではない。農家や漁業者は怒りの矛先を消費者ではなく、原子力政策を推進してきた国や電力会社、強いて言えば有権者自身にも向けるべきだと思う」
そうなのです。
風評被害ってなんでしょう?
ほうれん草や牛乳を飲めなくしたのは誰でしょう?
一体誰が 放射能に無闇に怯える一般市民を非難できるというのでしょうか?
それが過度であったとしても!!
だって、つい先日まで 私達は何の心配もなくそれらを有り難く頂いていたのですから!
それを食べられなくしたのは誰でしょう?
過度に怯える人を「風評」と言う言葉の元に批判する人は
その言葉を持って 上手く責任を一般市民に転嫁している事たちに乗せられている。
そんな風に感じます。
ピーターさんのおかげで、私のぼんやりした不愉快は はっきりとした不愉快に変わりました。
風評被害という言葉は絶対に使わないと決めました。
そこに 責任を曖昧にしたがる人達の影を見るからです。
絶対にそこに巻き込まれず、事故が起こってからもなお、私達よりも儲けを優先し、より良き手を打たなかった人達に きちんと怒りを持っていたいと思います。
日本人は礼儀正しい。
その事が、今回もまた阪神大震災のときのように世界を驚かせました。
けれど、本当に怒るべき時に 怒りを忘れてはいけません。
本当に怒るべき時に怒らないのは 次世代の子供たちに対する無責任です。
今、ここに来て、本気で未来の子供たちにどのような地球を残すのか 考えなくてはなりません。
この美しかった日本を世界中の加害者にしてはなりません。
今、世界は日本を応援すると同時に 出続けている放射能に怯えています。
そして、それは私達が出し続けているのです。
ピーターさんが書いていらっしゃるように有権者である私達の責任もまた、問い続けなければなりません。結果として、加担してきたのです。
棄権も又 トップの当選者の後押ししにかなりません。
さて、ここまで書いて、悲しい事を思い出しました。
東京ではこの事実がありながら、「原発推進派」の知事が選ばれたという事実です。
この事だけでも 私達の住んでいる所を安心安全な国にする事の難しさを感じずには いられません。
でも、諦めてはいけないんだと思います。
諦める事は 無責任。
「風評被害」を起こす「風評」より ずっとずっと質の悪い無責任です。
そんな風に自分を叱咤している所です。

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