「絶対にいけない」と言わなければなりません。
体罰の事です。
体罰を与えて言う事を聞かせたり、発奮させるというのは 与える側の怠慢と傲慢。
大阪の高校でまた高校生の自殺。
原因はクラブ顧問の体罰。
私はこのよう話を聞くと、体が震えるくらい激怒する。
許せないと思う。
まるで軍隊のように逆らう事のできない状況の中で行われる体罰。
ほかの生徒だって助ける事ができない。
強い側が弱いものに体罰を加えるとは何事ぞ!!
教育者が 自分の創意工夫や努力を放棄した怠慢で、このような事が行われているのだから絶対に許せない。
あらゆる体罰はいけない。
橋下市長は「最悪の大失態」という一方で、「僕が(子供に)手を上げる事もある。親がそうだから学校現場でも(体罰は)ある。そうなったときに事後フォローをどうしないといけないかだ」と言ってしまいました。
間違っています!!
体罰を与える事は、本当に恥ずかしい行為なのだと自覚しなければなりません。
絶対にしてはならないのです。
私は4人の子供を育てました。
長男の時だけ、どうしても言う事を聞かないときに たたいてしまった苦い記憶があります。
それは今でも私を苦しめる。
いかにフォローするかではない、決して。
決してしてはならない事だったのです。
今朝の毎日新聞。
明治12年(1879年)に制定された教育例第46条は「およそ 学校においては、生徒に体罰を加うべからず」とあるのだそうです。
1800年代にもう既に 体罰を禁止しているのです。
体罰禁止の最先進国です。
西洋では家庭でも学校でもムチで子供を罰するのが当然だった時代に、日本に来て驚いたのは、子供に対する体罰がまれな事だったと書いてあります。
体罰の乱用はその後の力づくの近代化、特に軍隊教育の影響が大きかったようだとも書いてあります。
文化が後退してしまいました。
体罰でもし 言う事を聞いてもそれは表面的な事。
この事件でも 体罰でミスが起きなくなったというのは幻想。
人はミスをするもの。
では、どんなときにどのようにミスをしてしまうのか、それを分析して どうしたらミスが出ないのか、どんな練習をしたらそれが達成できるのか、それを考えて教えていくのが顧問の仕事なのに。
体罰ですませた怠慢を許せません。
そしてもう一つ。
11年の9月に既に顧問が体罰をしていると言う通報があったにもかかわらず、市教委も学校も顧問への聞き取りだけで「体罰はない」と結論づけていたのか。
どうして当の顧問への聞き取りだけなのか?
不思議ではありませんか?なぜ子供たちに調査しなかったのでしょうか?
していたらこのような悲しいことは起こらなかった事でしょう。
被害に遭っている子供たちへの聞き取りをせずに「体罰はない」『いじめはない」と決めつけてしまう。
自殺という取り返しのつかない事になるまで 誰も何もしない。
学校と市教委の責任は重大です。
体罰が常態化していたのなら、きっとほかの先生たちも知っていたはずです。
校長だってきっと感づいていたはずです。
見て見ぬ振りをする先生たちに、生徒たちの絶望は深い。
だから、どこにも逃げ道も助けもないと思い込んでこのような事に至ってしまうのでしょう。
大人皆で追い込んだのです。
これからどうなるのでしょうか?
顧問だけの責任で終わるのでしょうか?
そうしたら、今 まだ自殺には至っていなくても辛い思いをしている子供たちは決して救われません。
市教委も責任重大だという事を 心から受け止めてほしい。
そして、助けられる道がある事を 実際の行動で子供たちに見せていってほしい。
そう、助けてくれる大人がいる事を 子供たちに見せてほしいのです。
強い者が弱い者を守る。
そんな当たり前の文化がどこに行ったのやら。
体罰は決して「してはならない行為」です。
恥ずべき事です。
橋下市長のように「そうなったときに事後フォローをどうしないといけないかだ」などと、結局は体罰があっても仕方がないと逃げ道を作っているから、いつまでも体罰は無くなりません。
体罰は決してしてはならないのです。
それは大人の怠慢です。

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