年ごとにどんどん固くなる体をほぐす時間、私はテレビをつけるようになりました。
今日は 藤圭子という歌手だった人の自殺の話題。
コメントする人って 本当に自分の事として考えているのかなあ・・・・・・。
彼女は自分の売り込みはできない人だったのに、娘(宇多田ヒカル)の事は大変評価していて、人に一度聞いて欲しいと頼んだりしていたというエピソード。
そして、数人のコメンテーターという人達が言いました。
「娘が どんどんビッグになって、親として嬉しいと同時に喪失感があったんじゃないか」
そんな事言うんですもの、真面目な顔して。
そんなはずはない!
と私は思う。
「Summertime」
と言う歌の中にも出てきます。
赤ちゃんをあやしながら歌っています。
いつか、あなたは歌を歌い、飛び立って行くでしょう。
でも、それまでは 何事もないようにお父さんとお母さんが側に居てあなたを守るからね。
親は 子どもをずっと一生守って行く事はできません。
だって、いつかは 自分の方が先に逝く事になるんですもの。
だから、一番の望みは 子ども達が自分の手を離れて独り立ちして立派にやって行く事です。
彼女のように早いうちから娘が大きく育って行くのを見るのはとても嬉しい事だったはずです。
・・・・と私は思う。
多少の寂しさがあったとしても、喪失感とは違います。
彼女が10年で 藤圭子を封印したという事を知りました。
手放したのですね。
それと同じく、娘もビッグになって、手が離れたと感じたと思うのです。
そこに、未練たらしい気持ちがあるとは思えないのです。
数年前のインタビューを見ていると、いろいろな事を深く考え感じる人だったのだと思いました。
いろいろな事を手放したとき、今の自分に残っているものが余りないとは感じていたように思いました。
そして、少し 落ち着かない。
精神的には 結構きつかったのでしょうね。
いつも親を養うためだったり、人に喜んでもらうためだったり、人のためにばかり生きてこられたのかもしれません。
この事で色々思いました。
自分がリタイアしたとき、何かをやり遂げた後、そんな時、大きな満足感を得ると共に、その後について 考えておかないと行けないなあという事。
人生はずっと続いていますもの。
何かを卒業したり リタイアしたり やり遂げても、時は同じように進んでいます。
その事に乗っかって行ける自分で居ないと、戸惑いが出てしまう。
昨日は 若い女性達が会社訪問で来てくれました。
一度はお勤めをした人達で、辞めてしまい、自信を失って、もう一度復帰するためのプロジェクトに参加している人達です。
仕事をしたい、でも、どこか自信がない。
彼女達の真面目さや熱意を見ながら、その若さをまぶしく感じ、同時に親のように心配する気持ちもわいてきました。
そして、その時に浮かんだ事が リタイア後、私は何をするのだろうかという事でした。
今と同じように、誰かの役に立つ事をしたいなあと思っています。
でも、それをどんな形で?
肩書きのない自分になった時、私は何をするのか?
昨日は、そんな事を考えるきっかけとなった会社訪問とテレビ番組でした。
時はいつだって同じように過ぎて行っています。
強弱もなく早い遅いもなく、淡々と同じように。
それを私達が勝手に 重要度を決めたり、花開いている時期などと思っているのですよね。
人生に 特に大切な時期なんてなく、いつだっていつだって、大切な人生なのだと思う。
この命を頂いた事を大切に感じていつだって丁寧に生きないと・・・・と思うのでした。

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