誰かを強く愛する時、人はその人に依存してしまいがちです。
女性はその人の基準が自分の基準になってしまいがち。
ともすると男性は、その人をコントロールしたがる。
全く逆の行動のように見えて実は表と裏のように、依存の形の違いに過ぎません。
極端な例で言うと、その強い思いが入れられない時、人はストーカーになったりします。
もし、全体が見えていたら、相手に依存していなかったら、そのようなことは起こりません。
「闘争/判断」と言うお芝居を見て、そして、このテーマの発案者であり脚本家でもあり演出もする増田さんという若者とお話をして、私の心に一番強く残ったのは「相互依存」です。
結局の所、民衆とヒトラーは相互依存の関係だったのだなあと思います。
ヒトラーは 民衆が喜ぶことをどんどんして行ったつもりでしょう。
称賛を浴び続けたかった。
(ちょっと飛躍した表現ですが長くなるので、ごめんなさい、解りにくかったらじっくり考えてみてくださいね)
民衆は民衆で ヒトラーに自分をおもねることで、自分を高揚させたり、身の安全を図ったり。
互いに互いを必要としてしまった構図が見えてきます。
そのお芝居はそんな視点からも見る事ができます。
そして、この視点から今の時代を見ると 誰がどんな人に、あるいはどのような価値観に依存しているのかが見えてきます。
私は昔、自己否定型の人間でした。
その時、私は依存型の人間だったということができます。
誰かに認められなければ、生きて行けないという感覚を持っているのですからね。
そんな所に追い込まれると、人は 自殺をするか、逆に自分の存在を見せつけようととんでもない事件を起こす人も居ます。
「依存」
この視点からものを見ると、いろんなことが解ります。
場合によっては、「自分」に依存していることもあるという複雑なこともあるので解りにくいテーマですが、まあ、一つの視点として、使ってみるのも良いなと思っているところ。
やっと雨が上がりました!
洗濯 洗濯!!

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