ネットというものは 使う側にとっては便利でありがたいものだし、そこでお商売をする人は 店舗も在庫を持たなくて良いので、ある意味 色々な人にチャンスが生まれたとも言えると思います。
資本主義の中で、資本を余り持たずに競争に参加出来るのですからね。
けれど、その奥にとても暗くて恐ろしい魔物が潜んでいます。
それが見えないだけに 更に恐ろしく思うのです。
今日はこの話題です。
「アグネス・チャンさんに殺害予告」
彼女はずっと「児童ポルノ撲滅の活動」をしてきています。
母として、子供達がこのような形でさらされる事に耐えられなかったのでしょうね。
子供達を守りたい・・・・・と言う一心で、活動して来たのでしょう。
それが、愛好家(??)にとっては 反対運動のトップに立つ彼女が気に入らないのでしょう。
それにしても アグネス御殿を血まみれ・・・とは なんと不気味な事でしょうか!
最近 反対意見を持つ人達に、こうした激しいバッシングをする人が増えているような気がします。
ネットで、余りにも 感情的で激しいバッシングをする人達がいて、私は そのようなものに出くわすととても嫌な気持ちになります。
ひどいものは 自分たちが気に入らない意見の持ち主に対しては、根拠のない人種差別的な言葉とか訳の分からない噂さえ書いて、罵倒する。
そんなに反対意見が気に入らないのでしょうか?
人はそれぞれです。
自分とは違う人が居る事が当たり前。
今日は児童ポルノの事よりも それを例に、ネットという環境の奥にある闇について書きました。
そうです、ネットについて、ずっと考えて来ています。
ひょっとしたら、更にとんでもなく危ないものなのかもしれないなと 漠然と感じています。
また、反対意見に対して、自分はどのような態度を取るのかという事について、もっと 寛容である事が大切だという事を書きたかったのです。
「寛容」
子供の頃 それは人徳として大切だと聞かされてきました。
最近は、ほとんどその言葉を聞く事がありません。
「寛容」と言う言葉がピンと来ないなら 「ザ・ブルーハーツ」にいたマーシーのように「人にはそれぞれ事情がある」と言っておきましょうか。
そのそれぞれの事情からそれぞれの思いがあり、議論はその理解のためにするものです。
相手をやっつけるためじゃない。
そうしながら、違う意見の人とどのような関係を築いて行けるかを模索出来るチャンスです。
・・・・・・・と言う風に考える人は少ないんだという事が 最近 ネットのこのようなバッシングを見ていてよく分かりましたが、それを諦める訳には行きません。
諦めちゃったら 社会がギスギスしてしまいますもの。
さて、議論に向かう時「理論武装」と言う方法をとる人が多いのですが、スタートラインにつく前から戦闘態勢。
それでは 理解は絶対に生まれません。
理論でねじ伏せるだけ。
物事は○か×か と簡単には 決められません。
グレーゾーンが沢山ある。
そのグレーゾーンが 寛容の生まれる畑です。
グレーというと 良いイメージがないかしら?
その事についても いつか、キチンと書きたいなあと思っているところ。
反対意見は 自分を磨いてくれますね。
自分がクリアになるし、相手の考え方を受け入れる事で自分が豊かになって行きます。
そして、どのような事は絶対に受け入れる事ができないかも分かってきます。
そうして行くうちに、また、自分が見えて来るのです。
それを有り難いなと思っているのです。

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