大阪が大好き。
けれど、元気の無いのが気にかかる・・・・気にかかり過ぎる!
正直なことを言うと、横浜に対する知識も憧れも全く有りませんでした。
つまり、興味が無かったのね。
けれど、山本剛さんのライブに行きたくなって、トリオライブがあるということで横浜に行くことにしたのです。
そして、夜が遅いと大変だと思って 娘と横浜に泊まり、次の日一日横浜を散策することにしました。
で、歩いてみて驚きました。
羨ましくもなりました。
理由:
1。古い建物が沢山残っていて、現在も大切に使われている。
今はね、新しい魅力的な建物が建っても 正直、高さとかで勝負・・・・・と言う感じ。
建物そのものが魅力的で、それだけでも充分に人を惹きつける・・・と言うことが余りない。
なのに、古い建物にはそれが有るのです。親和性と言ったら良いのでしょうか。
建物の細部にわたり、人の心に滑り込んで来るような柔らかさが有ります。
それは 多分、建物の方に「ゆとり」があるからじゃないかしらと感じました。
受け入れる余裕というか。
色々な装飾は 無駄なものじゃなく、そこに人の心の入る隙間が有るんだね。
その温かさに包まれて、人はそこで仕事をし、ショッピングを楽しみ、見て楽しみ その建物が有るということを誇りにしている。
そう感じて、羨ましかった!
2。街が 計画的に作られている。
これが足りないなあ大阪は。
昔は 御堂筋を造り、中之島をつくりあげた時、そんな憧れに向かう計画が有ったと思うのです。
それが、今は 各建物ごとにコセプトがあると言う感じです。つまり、バラバラ。
あるいは、その辺りの区域程度はまとまって居ても、街全体を創るというものでは有りません。
それはそれぞれの建築家や建設会社や建物の所有者の問題では無く 行政が道しるべを創るべきなのですね。
その道しるべが有れば それぞれの会社や建築家はそれに沿っていて、しかも持ち主が満足できるような案を提案できるはずです。
大阪には もう アイデンティテイィが無くなって久しいと感じました。
羨ましかったなあ・・・・・・・。
大阪が 「東京に追いつき追い越せ」と言った時から、大阪はアイデンティティを失っていたのです。
1964年の東京オリンピックが羨ましかったのかしら?
70年の万国博覧会で きっと東京を抜いて大阪が一番の年になれるような幻想を持ってしまったのかと思います。
けれど、東京をライバル視した時点で、もう私達は自分を見失ってしまったのです。
大阪は、昔から、自立していたと思う。
その時代を余り知りませんけれどね。
お商売の中心地で有って、そのための圧迫さえ上手くやり過ごし、自分たちのやり方を上手く守って来てような気がします。
その調子で行きたいけれどなあ。競争なんてしないで。
大阪には大阪独自の文化が有った。
そう思うのです。そのことに誇りを持っていたいなあ。
横浜に行って 本当に羨ましかった。
羨ましいという感覚を長く味わったことがなかったから ちょっと驚きました。
と言う訳でね、唐突に大阪にカジノ・・・・と言われてもねえ。
全然賛成できません!!
意味分からんわ〜〜〜〜と思っている。
そんなことで人が沢山来たとしても、何も誇りに思えない。更にアイデンティティを失って行ってしまうと思う。
オペラやバレエが来ても 時々東京・名古屋・・ときて、その後大阪が 跳ばされていることが有るのを知っていましたか?
やれやれ・・・・・・。
街づくりと文化活動と交通等のインフラ、そして福祉は行政が全体像を示し、市民、府民全員がどちらを向いて頑張れば良いかを示してくれなくちゃね。
府知事、市長、行政の皆さん
大阪を本当に愛して欲しいです!!

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