昨日はフィリップさんのレッスンを受けに行きました。
いくつかの楽譜を持って。
フィリップさんが書いてくださった
「歌手へのアドバイス」が とっても良いアドバイスに溢れているという話をしました。
そこから話が膨らんで、なんと
全く歌を歌わず、ピアノを弾かないレッスンになりました
私が「どんな細部にも責任を持つ」とか「サウンドだけで何かを伝えられる」と言う話をしたら、そこから盛り上がり

フィリップさんはベティー・カーターというシンガーの「Spring can really hang you up the most」を聞かせてくれました。
や〜、凄いテクニックですね〜〜というのが 私の最初の印象です。
それを彼は そのテクニックの全てにどのような意味が有ると感じるか・・・・・と言う話をしてくれました。
例えば一番最初「Spring this year」と言う部分だけでも彼は沢山のメッセージを受け止めていました。
「Spring」と言う言葉を彼女は 少し上目から入ってぐっと落として行きます。
それを 春は沢山の人にとって喜びの季節だから 明るい目から入っているというのです。
「this year」の所はthisで前のピッチに戻ってから本来の音に行き、yearも同様。
彼はそれを「こんな風に遊んでいる」と言う表現をしました。
そして、「year」もビブラートを入れずに、ずっとぐっとまっすぐに引っ張って 最後の最後に息をしてイギリス風の発音で終えている。
で、それはこの歌の意味「皆は春が嬉しいのに、私は失恋をしていて未だ辛い」と言う感情を感じられるように入れているというのです。
面白いですね。
歌の最初の「Spring this year」だけで、ベティー・カーターは「皆にとって嬉しい春も、私にはため息が出るようなものなのよ」と 伝えようとして、この歌い方を選んでいるということ。
フィリップのように分析しなくても、英語の人達にとって、それが何となく感覚的にそう聞こえるなら 本当に素敵なことですね。
私は日本人ですから、この歌い方と歌詞の意味とがピッタリと言う感じを持つのが難しいです。
で、レッスンのこと。
こんな風にこの歌をずっと 細やかに分析してくれました。
で途中でしたが、時間が来たのです。
それくらい熱の入った時間でした。
私が今日言いたいのはその分析の内容そのものじゃなくて、歌手の声に秘められたメッセージをこんなにも真剣に受け止めようとするフィリップさんの音楽への情熱と真摯な姿勢に感動したと言うこと。
フィリップさんはこの話をするとき、本当に楽しそうでした。
歌を通して彼女としっかり会話ができているという喜びに溢れていました。
その感動が 聞いている私にも伝わって来たのです。
良い先生というのは 自分の感動を伝えてくれるんだなあとしみじみ感じました。
そして、学ぼうとするものは先生のその情熱に感動するんだって。
ベティー・カーターさんもフィリップさんもそして、先日書いた「
「危ない橋でも渡ります」の牛田智大さんも同じでした。
彼も、ずっと楽譜を読んで読んで・・・・・。
きっと作曲家がその楽譜に仕込んだ沢山のメッセージを読み取ろうとしていたのでしょう。
作曲家、作詞家への敬意は 演奏者のこのような態度に表れますね。
大好きな曲を歌おうとするなら こんな風に作曲家や作詞家の思いをしっかり受け止めたいなあと思いました。
私はこんな風なテクニックを使うことはしないと思います。
一つには、英語がそんなに細やかに表現できるほどに 自分のものになっていないからです。
もう一つは 私には私の、行きたい星が有るからです。
子供の頃のあの自由な遊び。
ワクワクするような生きている喜び。
その出口が 色々だと言う風でありたいのです。
仕事だったり、色々な活動だったり、歌だったり。
子供のように自由に、生きている喜びを体中で感じる。
そんな風に歌いたい。
私にとって必要なテクニックは そんな風に自由になるためです。
上手く書けないのですが、その自由さを手に入れるために、私は自分の頭の中と格闘中です。
今日書き留めたことが シンガーやミュージシャンだけじゃなく色々な人の役に立ったら嬉しいです。

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