何か、違うのよね〜〜と年に一度の大きな俳句の会から戻る道すがら考えていたのです。
今回のテーマは「俳句の主人公」ということでした。
主人公を意識しながら 俳句を作れということだそうで。
それだけでも 結構きついのに、その主人公が誰かを告げなければならず。
そんなこと言いたくないのに言わざるを得ず、適当に言っておきました。
今日の句会では、参加者の76句がずらりと書かれた中から選者の皆さんがそれぞれ3句を選ばれ解説をなさいました。
ここまではまだ良いのです。
ただ、それぞれの句の下には作者が主人公として言ってあったものが書くかれていたのです。
鑑賞するのに、それが引っ掛かりました。
句を読んだらすぐにその主人公が目に入ります。
主人公と言っても人だったりものだったり色々ですが、主人公がわかるのが苦痛でした。
そのことについて皆さんが話し合われましたが、私は消化不良。
ついに、そのことを言ってしまいました。
「主人公を書かれたおかげで、句が陳腐になったり限定されてしまう。それを嫌だと思う」と。
私のようにはっきりした不満を言う人はあまりいません。
もっと言いたかったわ〜〜〜〜。
だって、そうでしょう?
推理小説を読むのに、誰が先に犯人を知りたいでしょうか?
たった17文字の俳句です。
読んですぐにわからないことも多い。だからいろいろ想像します。
この人はどんな状況でこんなことを書いたのかなあとか。
これは誰のことなんだろう?とか。
この句の中でこの作者はどんな立ち位置にいるんだろうとか。
書かれている**になっていっているのか、第三者になっていっているのかとか。
書かれているものに対してこの人はどんな気持ちを持っているんだろうとかね。
その想像する時間は 結構楽しいのです。
ある意味、そこが俳句を鑑賞する醍醐味のように思っていました。
その私にとってとても大切な部分の種明かしをされてしまい、楽しい時間を過ごせなくなり、どうやらそれで、私は怒っているみたい。
「私の楽しみを奪わないでください

」
半分苛ついて半分べそをかいているところです。
私はこの会が大好きで、この仲間もみんな好きなので、こんな悪口になるようなことを書きたくないのです。
でも、ちょっと記録として残しておこうと思いました。
それは、私が今感じていることを、こうして記しておいて、もう少し俳句を分かってきたときに読み返したら、どう思うのかなあ・・・・という思いが少しあるからです。
それと、主人公を意識するということが一体、作句にどんな影響があるか考え続けたいからです。
今の私には、いいことが思いつけず 消化不良のままです。
なんで、こういうテーマになったのかなあ。
みんなはどう思って このテーマを受け入れたのかなあ。
これからも ずっとこだわり続けることでしょうね。。。。。

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