年配者になったので、余計に言われるのです。
「光代さんみたいに 素敵に年を重ねて、輝いている女性になりたい」と。
「素敵に年を重ねている」「輝いている」
どうしてそう思うのだろう?
私には全くわからない。
しかも、女性にしか言われないので(もちろん若い人)その辺りに理由があるかもしれない。
今朝もそう言うコメントがあったので、ちょっと考えてみようと思っているところ。
まず、「素敵に年を重ねる」と言う事に焦点を当てる。
これは分かりやすい。
女性は「年を取ることに恐怖している」のだと思う。
世間が、男性が、「女は若ければ若いほど良い」と言ってくる風潮がまだまだ残っているのだと思う。まあ、昔のように直接的な言葉は少なくなったのでしょうね。
でも、それはいろいろな形で押し寄せてきているんだと思いますし、女性自身がそう思ってしまっているんでしょう。
だから、どうせ年を取るんだから・・・と言う諦めの上で「じゃあ、素敵に年を取りたい」ってね。
さて、その上に社会も男性も たくさんのことを決めてくる。
痩せていて脚は細い方が良いけれど、「出るところは出て居て欲しい」
はあ

ほっといて〜。
ファッション業界は今年のトレンドを。
化粧業界もまた今年の化粧を。
社会に出たら、女性らしい気づかいを。
そして、女性の社会進出などと言いながら、女性が「家庭的」であることを求められ、料理の上手い女性が良い女扱いを受ける。
何としんどいこと
あ、そうか。
ここまで考えてきて、そのように言っている時の彼女たちの心持が少しわかる。
みんな、きっと、「いい女」とか「よき母」とか、自分の「よき**」に向かってすんごく努力している人だと思う。
私は確かに年を取っていますが(白髪も染めないし、しわやシミもほおっているからまるわかり)、その割に、隠してもいないし、楽しそうに朗らかにしている。
その辺りでそんな風に思われている気がする。
そう。
1.年をとっているのに気にしている風がない。
2.何となく楽しそうだ。
3.それはきっと自分の好きなことをして 自分を生かしているからだ。
4.だから輝いているんだ(と見えている)
と言う訳で、私は「素敵に年を取っているし、輝いている女性」に見えるわけ。
私は天職のように思っていた職を捨てて父の会社を無理やりのように継いだだけだし、歌だってそのストレスから出ている症状を緩和するためだったので、自分では、目の前に降ってくる環境で必死に生きてきただけと言う気がしています。
でも、どうやらしたいことをして自分を十分に生きていると見えるみたいね。
そう見える理由もなんとなくわかってきたわ。
少なくとも、自分のしたいことができなかったと言う事に対する「忸怩たる思い」のようなものは全然ないし、今の生活にはちょっとした諦めの気持ちはあるものの、後悔とかなんかその手のものは全然ない。
過去を顧みることはしないしね。
その辺の「あっけらかん」とした雰囲気が 好きなことをずっとしてきて自分を生かしているように見えるんだと思います。
いえいえ

全然ですよ。
私は両親から受けたものがトラウマとなっているのを感じます。
未だに傷はあって、そこに厚い皮は張っているものの、中はまだ傷だなあと言う認識です。
けれど、だからって恨むとかの感情がないのはありがたいことです。
とってもラッキーだと思う。
そして、年を取ってくると、いろいろなことが分かりますよね。
父も母もそれぞれの環境の中で受けたことを 必死で生きてきたんだろうなって。
それを受け止めるのが私だったんだとも思います。
何もできなかったし、本当にダメな人間だけれど、一つだけ、頑張ったなあと思う事があります。
思い出しました。
それは その連鎖を子供たちに行かないようにしたことです。
それだけは一所懸命取り組みました。
それだけです、私ができたのは。
今朝、ある女性から「素敵に年を重ねて輝いている」と言うコメントをもらって、自分のことを考えることができました。
とっても良かった
いい機会をもらいました。
私はそのトラウマとなる出来事のおかげで、いつもいつも「私って何?」と考えてしまいます。
でも、意外に それは楽しいことになっています。
徐々に自分が分かり、シンプルになり、楽になっているからです。
今朝もそのチャンスをもらい、整理ができたので、良い一日になりそう。
さ、バリバリやるか、今日は。
んじゃ、仕事に行ってきます。

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