障害者雇用促進法というものがあって ある程度大きな企業は障害者雇用を積極的にしなければらならないことになっています。
なのに、省庁が雇用せずに数字をごまかしていたことがわかりましたよね。
この件も腹立たしくて、ここに書きたいのに書くことができませんでした。
今日は、頑張って書きましょう。
障害者と言っても、色々な障害があり、また人によっても違うので、簡単に語るのは難しいです。
私の会社は父の時代には聾唖の人を雇っていました。
言葉が簡単には通じないので、社員同士のコミュニケーションの行き違いで争いになることもあったようです。
それでも、私が子供の時に目にしたのは、社員の人たちが簡単な手話を覚えていた姿です。
それは小さな私にとって、すごいことでした。全く私にはわからない言葉で話をしているんですもの。
その後、私が社長になってからはあるご縁で精神障害の人を雇っていました。
精神障害は障害の中でもとても理解されにくいと思います。
まず、見た目ではわからないこと、色々なことに左右されて体調、心の調子などが変わりやすく、対処の仕方もわかりにくいことなど、その人自身が体調の変化に対応仕切れていないので、会社でも戸惑いがあります。
結局十数年雇っていました。
彼はやる気満々でした。そして、どこかで頑張れば病気が治ると思っていたように思います。
それで頑張っては体調を崩し来られなくなる・・・・と繰り返していました。
それが極端なので、一緒に働く人は戸惑いがありました。
彼のために仕事を残しておいたほうがいいのかどうかと、日々気を使っていたと思います。
できることが少ないので、その仕事をやってしまうと彼がきた時に仕事がない・・・・・でも、これなかったらその一連の仕事がそこで止まってしまう。。。
また、年齢やお薬によっても変化が生じます。
その折々に対応できたのは、会社が小さく私たちが動きやすいこと。つまり、彼の体調などに合わせていろんな対応ができたこと。
そして、ラッキーなことに、その時々の従業員が、彼を受け入れて、ごく普通に一緒に仕事をしてくれたことです。
私の知る限り、障害者を雇うとき、雇い主だけではなく、従業員もまた、自分の心を開き、相手を理解し、自分自身が変わっていく必要が生じます。
自分たちが今まで知っていたやり方ではうまく行かないことが多いのです。
障害者雇用をするときに、それができますか?・・・・ということなのです。
ある大きな会社は、障害者雇用を推進し、たくさん雇っていると言っていました。
でも、結局のところ、会社の中に障害者のための施設を作り、障害者はまとめられ、そこで仕事をしていたのです。
障害者の支援施設と変わらない施設を会社内に作り、障害者雇用の率を達成していたのです。
障害者が働く場所が少ないので、それはそれで大きな進歩でしょうけれど、障害を持っていない人達と交流をしながら仕事をするという側面は達成されません。
どちらの側にも、違う人たちへの理解とか、そのための努力とか、自分を変えることなど起きてきません。
ここだと思うのです。
障害者を雇うことで自分が頑張らないといけない・・・・自分を変えないといけない・・・それが不安だったり、嫌だったりして障害者雇用が進まない気がしています。
また、障害者を雇うべきだとか、障害者差別云々をいう人、活動をしている人の無責任も感じます。
そういう人で、自ら障害者を雇っている人の少ないこと!!
自分自身が、差別だと思わないお給料を払って障害者を雇うことをしていないのに、意見だけは偉そう。
それと同じことが省庁でも起きていたということですね。
障害者雇用はしなければいけない。
でも、自分は嫌だってね。
以前、友人達2人と飲んでいた時、障害者ももっと街に出られるようにすべきだという話で盛り上がりました。
なので安心して、私はこう言いました。
「うちで こういう障害の人を雇っているんだけれどね」・・・単なる前置きです。
でも、この時点で二人から激しく迫られました。
「そんなことで経営者としてどうなの?」「それでいいと思っているの?」「経営がそんなので成り立つの?」
・・・・意味がわかりません。今でも。
私はそそくさと部屋を出ました。
帰りの電車でぽろぽろと涙がこぼれました。
街に障害者がもっと出ているべきだと言った彼女達でさえ、働く場所に受け入れることを非難するのですから。
じゃあ、障害者は一体どこにいたらいいのでしょうか?
あの時の記憶は今でもしょっちゅう頭をもたげてきます。
そういうことなのだなと。
今回のこともです。
自分に降りかからないなら、障害者雇用・・・と大きな声で言う人も、それが身近になりそうになると激しく拒否する。
どうしたらいいのでしょう?
今でも私はわからないのです。
恥ずかしいけれど、彼女達を変える努力をしていません。
できるだけ一緒に飲まないようにしているだけです。
傷つくのが嫌なのでしょうね、私。
この省庁での話にも、だから憤るとともに、自分の無力をひたすら感じて、とても悲しくなるのです。
今また、自分の障害と戦っている人が一緒に働いてくれています。
彼はどこかで自分を外からみて分析しているところがあり、冷静な部分があるので、一緒に仕事をする人たちからの信頼が厚いです。つまり、気分的な仕事をしないからですね。
今、ゆっくりと、自分のペースをコントロールしながら来てくれていると思います。
そのことが、私たちを励ましています。
これを書きながら、本当に彼の存在のありがたさを感じているところです。

4