水の中に泡が潜んでいるように、私の頭の中に、バラバラにいろんな感覚的なもの、考えていること、感じていることが浮かんでいると思うことがあります。
お風呂に入っている時とか、歩いているときに、ふとそれらが浮かんでくるのです。
例えば、今回12月になってしばらくブログが書けなかった時もそうでした。
浮かんできたことを書きとめようと思ったら、また、次のものが出てきて・・・を繰り返し、結局何も書かない日々が続きました。
ま、それは良いとして。
さて、最近、それらが実は、バラバラじゃないんだなって思うようになりました。
私というものを地球の中心にあるマグマに例えるとしたら、それの出るところが、南半球だったり、どこかの山のてっぺんだったり、海中だったりするのかもしれません。
実際にマグマだったりするかもしれないし、あぶくかもしれないし、温泉だったり、山のような土地の隆起かもしれません。だから、バラバラだと思っていました。
でも違う気がする。
私はずっとお料理のことを考えてきました。
なんかね、あまり「アク」と呼ばれるものを取らないできたのです。
それも味のうちのような気がして。。。。。。
だから最初のちょっと色の悪いところだけを取るというような中途半端なことをします
また、例えばコロッケを作るとき、多少大きさが違っても、形が違っても、みんなで食べるんだから 自分に合わせて食べたら良いや〜〜と思って、さして気にしません。
先日「僕らは奇跡でできている」というテレビドラマを見ていたら、主人公は餃子をいろんな形に包むのに対して、歯医者さんの女性はきちっと形を揃えようとしていました。
私はその主人公に親しみを感じます。その方が、包むという作業が楽しくなるんですよね。
つまり、絶対にお料理のプロにはなれないのですよね。
アクも取らなければ、形も整えないし。
わかっているのは、その方が私が嬉しいということです。場合によってはワクワクするし。
他にもお部屋のこと。
これはちょこっと言い訳も入っているかなあ・・・・。
私はあまりにも整いすぎて綺麗なお部屋を好みません。
「もう!!」と怒りながらも、家族がぽいっと置いているものや、脱ぎ捨てたものを見るとき、その家族の何かに触れている気がして、それはそれで対して嫌じゃないというか・・・・。
母という人が不思議でした。
インテリアにも結構意識のある人だったのに、貰い物の変わった置物とか、ゴミ箱とか、テイストの違うものも平気で飾ったり使ったりする人でした。
それが妙なことになんだか シックリおさまっているから不思議でした。
それは、お部屋の持つ力なのかと思っていましたけれど、きっと母のセンスだったのでしょう。
どこにどのように配置するか、母はなんとなく自分のセンスでしていたことなのかなと思います。
そんな母のことを思い出すとき、自分のこともちょっとわかる気がします。
つまりね、全体がバラバラのように見えて、どこか、何か、同じような傾向があるんだろうなって。
今日書いたことだけで考えると、「雑味」と呼ばれるものに理由のはっきりしない愛着を持っていると感じます。
言葉と言葉の間にあるものにいつも囚われて探しているように、私はまた、「雑味」を好んでいるような気がします。
そこに私はなんらかのワクワクを感じているのでしょう。
というわけで、たくさんのあぶくのような感覚や思っていたこと、思いついたことは忘れちゃいましたけれど、忘れたおかげで、今日は自分のことを少し考えて整理することができました。
私はできるだけ、「在るがまま」を見つけたい、感じたいと思っているのかもしれませんね。
今日のエントリーのカテゴリーが「私の好きなもの」になっているのは、そういう訳なようですね。

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