日本でも、結構そうだったけれど、うまく答えられない質問が二つあります。
1。何の目的で留学するの?
2。で、英語を勉強した後どうするの?
ノー目的。ノープラン。
ここでは特にそんなことが言いにくい。
私には私の人生で、こんなことをする理由がありますよね。
若い頃から、色々苦しい思いをして生きていたので、私には「したいこと」とか「なりたいもの」がありませんでした。
若い頃は生き延びるのに必死だった。
で、子育て(これがいちばんの宝物です)と、最後に継いだ町工場を続けていくことに必死でした。
でもね、会社も長男が立派に継いでくれて、子供達はそれぞれ自分の道を生きていて、両方の肩の荷が下りた・・・・・と感じた時、その後の人生、することがないなあ・・・と感じました。
宿題がなくなりました。
そういう意味で歌は本当にありがたい。
ずっと私をサポートしてきてくれました。
私の姿勢を正してくれたり、心をひろげてくれたり、自分を受け入れやすくしてくれたり、考え方を和らげてくれたり・・・といっぱい書くことができるのです。
でも、このまま死んでいくのかなあ・・・・と考えた時「私の人生はご飯を作る人生だったんだな」と思いました。
子供達だけではありません、友人たちにも、会社関連でも、いつも私はご飯を作っていましたからね。
それは悪いことではないし、お料理は好きだし、ずっとそのことが喜びだったし。
でも、ある時降ってきたんです。
「そうだ、イギリスに行こう!!」
こんなことなので「目的」や「その後どうする?」という問いに答えがありません。
今の時点で、分析をしてみたら、きっと私にはしたいこともなりたいものも色々あったのだと思うのです。
少なくとも、バレリーナとかオペラ歌手になりたい夢はありました。それは遠くの遠くの夢ですけれど。
折々にしたいこともあったかと思います、忘れているけれど。
それらすべての代表(?)が この留学だったのかなと思います。
そういえば、社長だった頃にも、大学に戻って研究したいと思っていたことがあるのを思い出します。
日本には2つの文化があると思っていました。思いっきり削ぎ落とす文化と 細かいことを表現する文化。
私はお能や茶道や俳句のような「削ぎ落としたもの」が大好きでした。
一方で 歌舞伎や私小説のように 細かいところを取り上げて大きく表現する文化もあります。
それがどのようにして起きているのか、日本人のパーソナリティのどんなところからそれが起きているのか、そして、その文化を私たちはどんな風に受け止めているのか。
あらあら。
したいことじゃあったじゃない!
そういえば、70年安保闘争の影響で、大学では授業がなく押し出されるように卒業したことも 残念なことの一つだったなあ・・・・・などと、今 色々思い出しています。
旅行もあんまりしないし。。。。
それら諸々の「したいこと」の代表が、こんな形になったのかもしれませんね。
私の脳細胞は時々、ポンっと何かを飛び出させます。
理由がわからない。
でも後になってみたら、これとこれとこんなことが繋がってこうなったのかな・・・・と一応の理由を見つけたりします・
今回のことも、そうなのかもしれない。
残り少ない時間に したいこと・・・をするということで、幕を閉じたいのかもしれません。
問題なのは2番の問いです。
こちらではいろんな人に聞かれます。
答えがないので「ノープラン」と言っていましたけれど、今は適当なことを言っています。
シリアを代表として、中近東から来ている方々がたくさんいらっしゃいます。
すでに中年の人が二人。
一人はIT関連の仕事、もう一人は産科のお医者様。
彼らが英語を勉強して、仕事を得ようとするその姿を見ていると、「ノープラン」とは言いにくい。
言うとしたら、その言葉だけ放り投げるような言い方にならないようにしたい。
昨日もお散歩途中で寄ったギャラリーで聞かれたのです。
「そんなに勉強して、そのあと何をするの?」
もちろん、「もうそんな歳なのに」とはおっしゃいませんでしたけれどね。
先日トルコから来た方に聞かれて答えたように、「私は歌を英語で歌っているので、英語の勉強をして、歌詞に書かれていることをもっと深く知りたいし、どんな気持ちなのかをもっと知りたい」と答えようかと思います。
そういえば、それがいちばんのきっかけだった気がします。
隔靴掻痒。
雲をつかむ。
歌を覚えようするとき、始めはそんな感じです。
言葉だけわかっても、本当にわかった気持ちになれないんですよね。
歌っていくうちに、私のところにピタリと寄り添ってくれる歌もあります。
でも、なんか距離のあるものも。
そんなことを解決したいなあ・・・・と思っていました。
これからは、そういうこと答えを用意しておこうかと思います。
本当は「私は私の命を生きました。」の「。」が欲しかったんですけれどもね。

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