ライフスタイルのコースになって、先生がよく変わるようになりました。。。。
教科書の全てに沿うよりも、出てきた言葉やイディオムなどをさらに突っ込んでいくことが多く、先生の現場力や経験の豊かさが必要になるところですが、今のところ、いい感じで進んでいます。
さて、Brexit.
このコースになって初めて、先生方の考えがちょっとわかるようになりました。
はっきりとした意見は聞いていませんが、例文に「みんなが望んでいない」などと書く人や、それとなく考えがわかる場合があり、先生方は反対派が多いのだと感じています。
ただここのホストマザーやそのお友達たちは 賛成派で、結構その意見が激しいのです。
たった二人の意見ですけれど。
その二人の意見の奥に見えてきたものを 書き留めておきます。
まず、彼らに根強くあるのが「怖れ」です。
こんなにたくさんの移民を受け続け、文化が交じり合い続けたら、「イギリス」が消え失せてしまう・・・・という怖れです。
確かに、ウインブルドンでは私が町を歩いているだけでも、スーパーやレストランなどで見かける人たちのかなり多数が海外の人たちだと感じます。
なので、英語も、色々な訛りのある英語にも慣れていかなくてはなりません。
実際、私たちの教科書(ケンブリッジ方式ですけれど)では、リスニングの時にありとあらゆる国の訛りのある人が普通に登場します。
それくらい当たり前になっているということなのでしょうね。
日本にいた時は賛成派の多数は「移民に仕事が取られる」という理由なのだと思っていました。
でも、彼女たちの意見はむしろ「文化が脅かされる」というものなのです。
実際地元の学校では、イギリス人の子供たちの率がとても低くなってしまっているという話です。
そして、ムスリムの人たちが多いので、その宗教的な決まりごとに配慮せざるを得ません。
昔の移民は多数派ではなかったから、移民側からイギリスの文化に馴染むことが当たり前だったのでしょう。
けれど、数が増えてくると学校や町でも 宗教的な儀式に配慮した施設や文化を尊重した催しをしていくことになります。
そのために、イギリスが時間をかけて培ってきた文化が壊れていく感覚を持っているのです。
そして、もう一つは「血」です。
イギリス人といろんな国の人との結婚が増え、小さな人たちの世代ではその血が混じり合っている人が多くなり、それに対する不安も大きいと感じます。
つまり、「イギリスがなくなる」という恐怖感です。
そして私には、その怖れの奥にあるのが大英帝国の誇りに思えます。
EUで統一の通貨ユーロが導入されたのが1999年からだということですが、いまだにポンドを使っているこの国で、EUというものがどのようなものであったのか、私にはまだ見えてきていません。
感覚的には、EUにいながら、混じり合っていなかったんだ・・・・・という感じなのです。
だから、今回のBrexitは 自然な流れに見えています。
ずっとくすぶっていたものが出てきているような。
反動というか。
私たちの先生方は若いし、「大英帝国の誇り」の中で育ってきた世代ではありません。
だから、そんな時代ではないという感覚でいると思います。
未来を見つめた時にBrexitは逆行する動きだという先生もいました。
この国の中の、小さな田舎っぽいウインブルドンという町の、ほんの少しの人との交流だけで感じていることです。
これが正しいかどうかわかりません。
ただ、この国を二分しているという状態がよくわかってきました。
私には一度、その逆行をしてみるしかないと思えます。
だって、初めから通貨という大きな軸足を残したままなんですもん。
ユーロ導入からほぼ20年経っているのに、今でもポンドだけですからね。
ここのマザーは「イギリスは私たちだけでやっていける」と言っていました。
小さな国だけれど、ずっとそのようにやれてきたという自負があるのだと思います。
それが、本当にこれからも通用することなのか、通用するとしたら今後どんな展開になるのか、見ていくしかありません。
私にはゆくゆく 経済的な理由で(それを前面に出すかどうかわかりませんが)、やはり、自分たちだけでは無理なのだということになっていくのではないかと思うのですけれど、それは分かりません。
実際、日本が同じ状況になったら、私はどのように考えるのでしょう?
いろんな想いの中で、揺れてしまう気がします。
何よりも、色々な国や民族が(宗教も絡んでくるので、単純に言い切れないところが難しいですけれど)、その個性を大切にし、歴史を大切にしていくことを優先していきたい気持ちが強いですからね。
グローバル・・・・という言葉が文化交流ではなく、アメリカという大きな国が世界的な経済行為を、統一の価値観でやりやすくすることにつながっていると感じて以来、「統一」という言葉の中に潜んでいるものに 警戒していきたいと思っていますので。
それと、混じり合うことの大切さを、どんな風に折り合いをつけるのか、本当に難しいところです。
最後に、マザー達の持つ「怖れ」は感情的なものですから、それが「排他的」な考えにつながっていく恐れも十分になることを書いておきます。

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