都構想には絶対に反対です。
それは私が本当に大阪を愛しているからです。
ここにも大阪を愛すというカテゴリーを作ってくるくらいですからね。
大阪生まれの大阪育ちの私には、都構想ほど悲しく情けないものはありません。
なんですか? 「都」って?
大阪は、大阪に誇りを持っていました。
自立し、独特の文化を作り上げてきていました。
それは人との垣根が低く、フレンドリーで活気に溢れた文化でした。
そうすることがまた、お商売をうまく回すことにもなっていたのでしょうね。
又、ここには何度も書いていますけれど、大阪は庶民が大阪を愛し、育ててきた町だと思います。
大阪の運河や川を暗渠にする前、その運河や川を渡るための橋は庶民=商人がかけたのだとか。
200以上あった橋のうち、お上がかけたのは12基だけだと聞きました。
又、大阪城が焼け落ちた時も、庶民の寄付だけで再建していたのですから素晴らしいです。
それは大阪に経済的な力があったとうことなのでしょう。
大阪は、いろんなダメージを受けたり、商売がうまくいかなくなるたびに、庶民の力で再建したり、新しい商機を見つけて、盛り返したりしてきました。
では、なぜ今大阪はパッとしないのか?
私はそれを「大阪が大阪らしさを失ったから」だと思っています。
70年の大阪万博が成功したあと、私の記憶では大阪は「東京に追いつき追い越せ」をスローガンにしていました。
あれがいけなかった。
そこで、大阪独自のアイデンティティは失われ、「ただの追随するもの」となってしまったのです。
だから、自ら商機を見出すことをさぼっちゃったのですね。
クリエイティブに仕事を生み出すのではなく「儲かりそうな話に飛びつく」ことになってしまいました。
そこで大阪らしさを失いました。
大阪にあった底力=自立し、自ら商売を生み出す力=大阪を愛し、自らの文化を育てる力も失われました。
それは大阪という誇りを失ったということです。
誇りを失ったから、どこかの真似をする羽目に陥っています。
それが今の「都」構想です。
東京の真似をしたらうまくいく?
いいえ、そんなはずがありません。
都構想は 大阪が今まで積み上げてきて、まだ失わないでいる最後のとても大切な「文化」を完全に否定するものです。
積み上げてきた長い大阪の歴史という誇りを否定し、文化を否定することです。
そして、文化というのは「人」ということです。
人が日々暮らしてきた、毎日毎日の小さなことの積み重ねが、文化だからです。
私たちの先祖が頑張ってきた日々の営みの積み重ね。
私たちが愛してきたものの積み重ね。
私たちの存在そのものであり、命そのものであるとすら感じています。
「二重行政」という言葉に騙されてはいけません。ごまかしの言葉です。
もしそれがそんなに悪いことなら、なぜ、日本中に都道府県以外に市があるというのでしょうか?
大阪市だけではなくそれぞれの区にもそれぞれの特徴があります。
その地域の特性に合わせた行政ができるよう、大阪市があり、色々な区があります。
そして、町があります。
小さな単位ほど、細やかに対応できるというわけですね。
都構想には絶対に反対です
これが通ってしまった時、大阪は完全に潰れていくことでしょう。
大阪に借金があるのは、二重行政のせいではありません。
必要のない巨大なものや、新しい街を作ってしまい、しかもそれが負の遺産になってしまっているからです。
見てみましょう。
日本の国こそ、借金まみれです。
1100兆円と言われています。
なら、二重、三重行政だと言って、都道府県をなくしますか?
維新の会の人たちには、目の前の数字だけを追わず、見えていない「文化」という遺産を大切にして欲しいです。
「文化」が壊れると2度と戻りません。
さあ、投票に行きましょう。
コロナで重くなっちゃった腰を上げて、頑張っていきましょう。
そして「反対」と書きましょう。
そのたった2文字が、私たち大阪人の未来を救います。

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