佐渡裕さんプロデュースの「
「メリー・ウィドウ」」に 行ってきました。
このオペレッタは 海外からも毎年来ていた頃、ずっと行っていたし、子供達を連れて行ったこともあり、本当に懐かしい演目です。
お話もバカバカしく 騒がしく、とても楽しく、ひたすら楽しめる演目です。
私はあまり悲劇とか、ドロドロのものは見たくないので・・・・・。
兎にも角にも、こんなに大勢の人が出演する演劇やオペラなどは 久しぶりです。
ロンドン以来ですから2年も行っていないことになります。
始まりました。
ああ

突然涙が出てきてしまいました。
これです、私が求めていたものは

生の音楽。
体の奥の奥から 生きる喜びが湧き上がってきます。
そして驚きました。
オーケストラもですが、合唱団が素晴らしい。
胸が震えるほど嬉しい。また涙が出てきます。
せっかく海外から素晴らしい歌い手を招聘しているのに、日本の合唱団の力がいまいちということがあり、特にアグネス・バルツァのカルメンの時にはあまりの酷さに彼女に申し訳なく思い、いたたまれない程でしたもん。
日本人のレベルがこんなにも高くなっていることに驚いきました。素晴らしい迫力です。滑らかにお話が進んでいきます。もうすでに、お化粧がなくなるほど涙が出てきました。
・・・・このテンポで書き出すと一日中かかりそうなのでかいつまんで書きます。
まず、出演者全員の歌のレベルが高くて心から楽しめました。
声も歌もですし、驚いたのはその表現です

海外のお話な上、突拍子もない喜劇で思いっきり大袈裟な表現がいっぱいあるのに、どの人もその表現が身についていて「シャイで寡黙な日本人」ではなく、キチンと架空の小さな国(少し中東の文化が入った)の人になりきっています。
しかも、歌いながら踊らされ、本当に大変ですが、それも


頑張りましたね。
狂言回しは桂文枝さん。
大変だったと思います、日頃は座ったきりの芸なのに、大きな舞台で靴を履いて衣装をつけ走り回ったりするのですから。
また元宝塚の香寿たつきさんが出演し、途中では宝塚の男性衣装を着て「すみれの花咲く頃」を歌われました。とても丁寧な歌いぶりで宝塚の良さを発見しました。
実は最初は日本語上演が気になってなりませんでした。
でもお話が進むにつれて、それが飲み込めてきました。
クラシックだけではなくこうして宝塚の方も出演なさり、落語家も出て、色々なアートへのリスペクトをすごく感じましたし、兵庫でする意味を考えられたことも伝わりましたし、何よりも、観客が心から色んな風に楽しく楽しくなることをいっぱいびっくり箱のように入れ込んであるのだと思いました。
そしてその企み通り、私は心の奥から楽しく、指や髪の毛の先までこの世界に浸り切ることができました。
こんな感動は久々です。
舞台というのは「すごい主役」だけでは成り立たないですね。
すべての人の実力はもちろんですが、情熱、丁寧な仕事ぶり、それらを統括する力を感じられる時に、そしてそれら全てが一つに纏まっている時、私たちは本当に感動するのだと思います。
実際昨日は舞台の端まで、すべての人がこのステージに立てる喜びに満ちていて、私たち観客を喜ばせたいと心から思っているのがずっとずっと伝わってきて、その度に私は泣いて・・・・。
主役のハンナ役の高野百合絵さんは お若いのに堂々としていて、ハンナという役の人の艶やかさとその美しい振る舞い、おそらく苦労もしてきたであろう人柄まで伝わってくるほどでした。
声も艶やかで美しい。
これからたくさん活躍していかれることでしょう。
また、驚いたのが主役ではないのですが、テノールの小堀勇介さん。
「わあ、日本人にもこんな美しく伸びやかで しっかりした力のあるテノールが生まれているんだ

」と驚きました。
これからも聞いていきたい人です。
会場は満員でした。
間を開けないで座っています。
佐渡さんが書かれている言葉を引用します。
「昨年からコロナ禍により、芸術文化は大きな影響を受けました。
しかしその中で、安全は最優先にしつつ、可能性を最大限に考えて公演を重ねてきました。
その度に以前にも増して温かい拍手をいただき、”心の広場”としての劇場に集う喜びを新たにしています。」
”心の広場”
なんと素敵な言葉でしょう。
これです。
この佐渡さんの言葉そのままのステージでした。
そして、観客はその心をいっぱい受け止めて、大人しく、けれど、また最大限に「生で聞ける喜び」を表していました。
私たちの政府や行政に足りないのはこの心です。
「安全性を最優先にしながら、最大限に可能性を探る」
その愛も情熱もありません。
この愛や情熱は 音楽に対するものでもありますけれど、人への愛と情熱なのだと思いました。
私もこの心を持って 8月5日のライブを頑張ろうと思います。
コロナに対してどんな態度を取るかということは、とりも直さず いかに生きるかということ。
「有事」を特別に生きるのではいけないということは、ガダルカナルから生き延びて戻ってきた父に教えられました。
「有事」を理由に 人が踏み付けにされてはいけないのです。
こうしてここに昨日の公演のことだけを書くつもりが、書きながら私はもっといろんなことを学んだことを知りました。
たくさんの心意気をもらって、今日は元気です


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