大阪高裁は高浜原発の運転差し止め仮処分決定という地裁判断を取り消す決定を出した。
その事に心の底から激しく怒り、そして大好きだった日本という国に失望している。
「安全性欠如と言えぬ」
としても、それが運転差し止め仮処分決定の取り消しの理由にはならない。
欠如と言えないというだけでは、私たちは原発に未来を託す事はできない。
第一、「『絶対的安全性』を要求するのは相当ではない」とはどう言う事か?
絶対に安全でないと困るのだ、原発は。
未だに 原発事故に対して明確なる手を打てないでいるというのに。
何も解決もしていないというのに、なぜ、この国は全てが無かった事の様に経済を優先して行こうとしているのだろう。
未だに経済の高度成長時代の妄想から逃れられないらしい。
小さな島国である私たちは、何よりもまず、自立を計るべきだと思っている。
まず、食。
自給率を上げ 自分達の力で自分たちの食べると言う事をして行かなくては行けない。
そして教育。
未来を担う子供たちの教育にもっともっとお金をかけて欲しい。税金の事よ。
最近のニュースを見ていたら、役人達は税金が足りないと言いつつ、とんでもない所に便宜を図ってとんでもない税金の使い方をしているらしいと言う事が 徐々に見えてきましたよね。
残念ながらそれが森友学園や豊洲問題だけじゃなさそうだと、沢山の人がそろそろ気づいて来たはず。
それなのに真剣に怒る人が本当に少ない。
もっと、真剣に怒ろう!
私たちの税金をそんな風に使うなと。
私たちの未来を原発に預けるわけにはいかないと。
今日の毎日新聞にC.W.ニコルさんが興味深い事を書いていました。
英国では(彼はイギリス人と言われるのを嫌っています)「Country Gentleman(カントリージェントルマン)」が尊敬を集めるというのです。
カントリーは 田舎という意味。それは「しっかりと大地に根を下ろした信頼に足る人物」と言う意味になるそうです。
田舎に土地を持たないと 暴動や戦争の際に国を守るための人手や馬や食料を集められないという考えなのだそうです。土地を守り育むものこそが人々の尊敬を集めたのだと。
つまり、有事の際に皆が生き延びられるには土地が豊かで食料がまかなえなければならないと言う事ですよね。
原発は その考えを根底から崩すものです。
原発は ものとして存在しながら、実際には「保証できない安全」という幻によって作り上げられるものです。
幻が形になったという象徴的なもの。
しかもその幻は 経済効果という現実を生んでいます。
そのために私たちは目がくらんでしまっている。
でも、それは悪魔に魂を売るのと同じ行為なんだ。
処理しきれない原発のゴミ(放射性廃棄物)を生んでいる。
それだけでも解決できていないというのに。
徐々に徐々にそれらが私たちを蝕んでいっているというのに、私たちはどこに行こうとしているのか?
私たちはもっと本気で怒らないと行けない。
そして、私たちができる事で力を発揮していかないといけないと思う。
次世代をになう人達、私たちが見る事もできない未来の人達に、処理しきれない宿題を残さないように。
もうこれ以上、未来を食べてしまっては行けない。

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