お休みばかりしていましたけれど、今日やっと参加できました。
この俳句の会は一応、「セミナー」と言う形を取っているので、稔典さんがいろいろ教えてくださるのが魅力です。
今日は「俳句で一番有名な人は? そしてそれはなぜ?」と言うテーマでした。
もちろんみんなすぐに思い浮かぶのは 芭蕉ですよね。
では、なぜ、芭蕉が一番有名なのか?
私は、持論があります。
彼の俳句は 今の時代でもみんながすぐに理解できると言うのが本当に凄いと思うのです。
時代を超えて愛されている。
そして、その内容がしみじみと胸に迫ってくると言うのに、奥が深くて いろいろな解釈が許される豊かさがあります。
そこがとても魅力的。
稔典さんはこうおっしゃいました。
「五・七・五の俳句を『言葉の絵』にした」と。
つまりそこに感情や思ったことなどを入れていないので(写生)、読む人によって理解が変わる。
面白いことをおっしゃいました。
「古池や蛙飛び込む水の音」と言う俳句を 英語にしようと思ったら「蛙」が何匹か考えなくちゃいけないと言うのです。
英語には単数と複数で使う単語が変わりますからね。
で、日本人は大抵「一匹」だと思っている。
けれど、たとえばラフカディオ・ハーンなどの外国の人の訳では 複数になっていると言うのです。
「一匹」である理由は そのほうが静かな様子が伝わってくるから・・・・と言うのがほとんどでした。
けれど、複数となると賑やかになります。
そうしたら「春になってたくさんのカエルが出てきて 春を喜んでいる様」と言う理解もの成り立つと言うのです。
そうすると、命を讃歌するような歌にもなりますよね。
こうして一つの句が色んな風に読まれると言うわけですね。そこが俳句の面白いところです。
また、この俳句が出てくる前「蛙」は 飛ぶものじゃなく「音を楽しむもの」だったそうですよ。そこもまた面白い。
確かに、夜になるとカエルの鳴き声が大きく聞こえます。
けれど姿が見えないから、音を楽しむものだと言うのもわかります。
こうして、色んな状況を色んな俳句として書き表され、色んな解釈がdケイルというのが素敵ですね。
みたものをそのまま俳句にする=写生=自分を出さない。
それが俳句だ。
・・・・というのはみんな知っています。
私もそれを目指したい。
けれど、そうなると、とても平凡で、「みんながよくわかる」けれど、「いつかみたような」とか「前から知っていた」ような句になってしまい、ワクワクしません。
困ったものです。
稔典さんが望む「写生の句なのにワクワクする」というところに行くには 一生かかります・・・・とはいえ、私の残りの一生は短いなあ〜〜〜。
私は、もう少し「俳句脳」に戻って「俳句習慣」をつけないと、俳句が作れそうにありません。
今日、私が出したもの。
🎄 独り居のサンタは各部屋に一つ・・・・これは意味がわからないと言われました〜。
何で分からないか、分からないと思いました!
🍲 土鍋出す始めたきこと三つあり
・・・・三つの内容が分からなくてもどかしいと言われました。
始めたいことの内容よりも 私は三つもあるというところを描きたかったのですが・・・・・・。
稔典さんには 三つくらいやりたいなんて当たり前なのかもしれませんね。
私は自分がやりたいこと・・・というのがあまりなかったので、三つも思いついて嬉しかったのになあ・・・。
というわけで、散々な感じで終わりました。
それでも楽しいのが俳句の良いところです。
やる気になりましたよ
歩きながら早速三つも作ったのに、結局一つしか覚えていませんでした。。。。
次からはちゃんと記せるようにしましょう。
さて、今日の一番面白い記録は「カエルは複数か、単数か」というところですね。
色んな解釈が可能な俳句、良いでしょう?

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