普通の慣行農家であった我が家
親父はそれなりにこだわって色々やってたみたいだが
農薬をあまり使わない、肥料もあまり使わないという農業。
特別な環境にいなかったが、その中ではすごく頑張っていたと思う。
新しいことにも随分挑戦していたみたいだ。
いかんせん情報がなかなか入らなかったのがもったいない。
親父がいなくなって、農業なんて儲からないし
やっててもしかたない・・・
さて、残ったものはどうするべきか?と考える。
そんなときに無肥料栽培に出会った。
最初は信じなかったが
長年やっているひともいるし、それで出来るなら
随分楽だろうし、いいかも・・・と思った。
しかも食べるものが随分といいものが出来るらしい・・・
そこから無肥料栽培の道へ。
色々やっていくうちに、無肥料栽培から自然栽培へ。
このころは随分と勉強して、食べる物の大事さ
現在の流通している食品の恐さを知ることになる。
せめて自分では安全なものを食べたいと思うが
供給するという立場から、自分が食べたいと思うものを提供すべきと思うようになる。
思えばもう普通の恐い生産方法などやりたくない。
自然栽培では一気にやると大変だから
少しづつ増やしていこうよ・・・ってそんなことやってられるか。
1年試してみて
やれそうだからと、全面積を自然栽培に切り替える。
そこからの苦悩は大変だった。
しかし後が無いから必死に頑張る。
米は多少悪いと言っても収量が少ないくらいだから大丈夫。
畑では先人に聞いた事をしっかりとやって土を作ってきたから大丈夫!
よ〜〜し、これで俺は農業者として、絶対いいものを供給できるようになるんだ。
ところが、現実はそう簡単ではなかった。
思うように出来るものなどほとんど無く、
虫取り作業に追われる。
野菜は虫食いだらけ。
まともに生産していると言えるものなど無い。
生活に困った。
どうすればいい?
もはや逃げ道はない。
とにかく土を作り上げないとどうにもならない。
土を作り上げるには肥毒の解消・・・
米がなんとか上手くいっていたから持ちこたえられたが
肥毒の壁は簡単ではなかった。
何か肥毒の解消方法はないのか?
苦しんだからこそ必死に考えていた。
そこで出会ったのが土壌生成理論だった。
最初は何だかわからなかったが、肥毒が解消できるなら・・・と
その内容を必死に勉強した。
そしてその凄さがだんだんと解ってくる。
これは・・・・・
今までの対処療法ではないぞ・・・
そう
何かが起きることにどう向かうかではなく
何かが起きるのはこうゆうわけだから
そういう事にこうしておけばいいのだよ・・・というものなのだ。
いわば根本療法か?
つまり
そこにある現象を解明できているからこその話なのだ。
この違いに気がつくのにそんなに時間はかからなかった。
それは苦しんだ時間がそうさせてくれたのだと思う。
自然栽培の世界で解らないことも、そこには答えがある。
整然とそれの理由がわかってくる。
自然栽培で勉強したことと
土壌生成理論を組み合わせると
そこにあるものはどこからも崩しようのない
自然界のルールが見えてくるのだ。
私はとても運のいい男だ。
自然栽培に出会って
さらに土壌生成理論にも出会えた。
この意味するところは?
それを考えるこの頃である。

8