たとえば料理人が美味しいものを作りたいと思ったときにどうするでしょう?
長きにわたって料理し、上手く作る方法は出来ています。
この材料があればこうすればいい、すぐに頭に浮かんでくるでしょう。
しかし、本当に美味い物をと要求されたら
その材料から考えて、その材料の上手い活かし方を考えると思います。
コストを何も考えなければどうすべきかはわかっているはず。
ならば、どんなものであるかわからなければどうする?
材料を少し食べてみて、どうするかを考えるでしょう。
そこにどうしようもない材料があったのならば、どうしますか?
自然栽培でやっているんだと胸を張ってやっていて
出来上がったものは思ったものになっていない・・・
いったいなぜだ?
何年も土を作り、一生懸命にやってきた。
そこにある土はちゃんとした土になっているのか?
いつかそういう土になるんだと必死に頑張ってきて
何年も時間をかけて
はたして本当に思い通りの土になるのか?
自然栽培に向かうに
どうしようもない土であったのならば、どうしますか?
私はずっとその思いがありました。
あせるな、きっといい土になるから・・・
それを信じて一生懸命やって、なかなか思い通りにならない。
いったいどれだけの時間が必要なんだ・・・
しかしいいものを作りたい
みんなから喜んでもらえるものにしたい
その思いがあるから頑張ってきた。
しかし
そう簡単ではない。
それに人生をかけ
生きる糧にしていたら、どうなってしまうのか?
どうしたら早くできるようになるか?
いつしかそれは目標からあこがれに変わり
遠い存在になってしまう。
このままでは・・・
何か方法はないのか?
生きる糧として自然栽培は使えない。
使えるようになれる人は特別なひとなんだ・・・・
ギリギリまでやってできなかったら・・・
もうしかたない、別の方法を考えるしかない。
今の自然栽培ではこうなってしまう人も多いのではないか?
なぜそうなる?
土を知らないから。
土がどうあるかをわかっていれば対応もできるものの
土を語る人はいなかった。
たまたま出来たものを話すだけではだめなのだ。
いいものを作りたいなら
土を知る事
土を知るとはどういう事?
その答えをようやく見つけたんだよ。
いい材料となる土にしか
いいものは出来てこないんだ。
だから土を作ることと生産は切り離して考えないといけないんだ。
いい土を作ってからが本当の自然栽培
まずは土を知ろうよ。
今私は土がわかってきて思うには
どういう向かい方をするかであろうと思う。
新しい方策と、今までの方策と、どちらがいいのかなんてわからない。
ただ
新しい方策は無限の可能性を持っている。
だからといって全部そうするつもりはない。
いままでのものでも追求し
新しいものでも追求する。
営利としてどちらがいいかはある程度分かっているのだが
それだけではないような気もする。
だから今までのところでは新しいものを入れていない。
しかし、土をしっかりと考えてくれば
どういう方策をやっていけばいいのかが解ってきている。
何かが見えてきているんだ。

12