(2004.4.3)書込
「その4」で紹介した思い出,BBSやメール,そしてよく会う人は直接と,様々な人から
「感動したよ!!」
「泣けるねぇ!!」
などの言葉をいただきました。皆さんどうもありがとうございます!坂本九氏の仕事も含め,たいていは歌手の歌伴なのですが,中には
何でこの人の!?
という仕事もありました。その中でも特に思い出深いのはバブル景気の真っ只中で行われた,
ボージョレー・ヌーボー解禁パーティー
です。
大きなイベント会場(なんと!ボーリング場!!)を借り切って,当時は話題になり始めたばかりでまだ珍しかった,ボージョレー・ヌーボーのボトルが山積にされています。午前0時に向かってカウントダウンを行い,世界のどこよりも早く初物ワインを呑もうというわけです。広い会場で,どこでも演奏できるよう,今回の編成もトランペット・ソプラノサックス・トロンボーン・バンジョーの,ディキシーバンドで呼ばれていました。
で,そのイベントにゲストとして呼ばれていたのが,なんと!!
芸術はバクハツだ!!
の,O本T郎氏!!
私たちの世代にとって,彼の作品は様々な形で心に焼きついていますよね。顔のついたロックグラス…ほしくありませんでしたか??
さて,司会に紹介されて,O本氏が入場してきました。司会者が盛り上げようといろいろなことを話しかけるのですが,さすがは「世界のOモト」,何を聞いてもまともなこたえが返ってきません。困ってしまった司会は,
「え〜・・・,フランス暮らしの長かったO本さん,ではここで,シャンソンを歌っていただきましょう!バンドの皆さん,伴奏をお願いします!」
と,ふってきました。
おいおい,何言ってるんだ!?そんな話,聞いてないよ!それに,
俺たち,ディキシーバンドだぜ!
ディキシーバンドでシャンソンかよ!?
でも,普段ビアガーデンで演奏している時には,誕生日の人がいたら「ハッピーバースデー」を演奏し,新婚さんがいたら「ウェディングマーチ」を演奏し,祝勝会の席では「見よ,勇者は帰りぬ」を演奏する私たちです。
さらに,リクエストがきたときは,控室で練習して,次のステージでは意地でも応える私たち(『○軽海峡△景色』だってやったぞ!ディキシーで!!)なのです!!この困難な状況もなんとかしようと,その場で相談を始めました。
「シャンソンだってよ・・・」
「何知ってる?」
「じゃあ,『△リの空の下,セー☆は流れる』でもやろうよ・・・」
「でも,キーは何だろう!?」
「わからないから,とりあえずDmな!」
などと話し合って,演奏を始めました。さあ,O本氏,歌ってくれるかな・・・と,見てみると…
私たちをじっと見ていた,というより,睨みつけていたO本氏,いきなりちがう歌を歌いだしました。
あわててコードをさぐるバンジョー,そのバンジョーの指を見ながら,音をさがすソプラノサックス,どうしていいかわからず,呆然とその場に立ちつくすトロンボーン…。
どうにかついていき,何とか伴奏の形になると…,O本氏,歌うのをやめてしまい,また別な歌を歌い始めるのです。あわてる私たちと,T郎氏との追っかけっこは,延々と続きました。そんな事の成り行きをしばらくの間,固唾を呑んで・・・というよりはあっけにとられて見つめていた司会者,ハッと気づいて,
「ステキなシャンソン,どうもありがとうございました!ゲストは,O本T郎さんでした!!みなさん,大きな拍手を!」
と,きりあげてしまいました。何かを大声でつぶやきながら,両脇を抱えられるようにして退場するO本氏・・・。
この日から,彼は私の心の師匠となりました。もう二度と会うことのない,遠い世界へと旅立ってしまったお師匠・・・。あなたのその人生は,まさに
ジャヅ
であり,そのすべてが
ゲージュツのバクハツ
でした。
合掌

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