まず、白旗神社。源頼朝の居館のあった大倉御所のあったあたり、鶴岡八幡宮の東北に位置する。ここには持仏堂があり、頼朝の死後は法華堂と呼ばれここに葬られていた。明治維新後、白旗神社に改められ、頼朝を祭神とした。
白旗神社横の階段を上がると小さな頼朝の墓がある。
意外なほど小さい頼朝の墓。高さ2mの石塔で、1779(安永8)年、頼朝の子孫という薩摩藩主島津重豪によって再建された。現在の塔は平成2年補修。頼朝は1199(正治元)年没、死因は糖尿病だということだ。
この墓の右手に急な坂がある。そこを上ってこんな山道をたどると・・・
その先に「やぐら」が3つある。左から、大江広元の子、毛利氏の祖となる毛利季光の墓。
中央が大江広元の墓。大江広元は、源頼朝の側近として「政所別当」を務めた人物である。
右は、頼朝の子といわれる島津忠久の墓である。もっともこの説は俗説らしく実際には惟宗広言(これむねのひろこと)の子らしい。
下から見上げるとこんなところ。ここは北条義時の法華堂跡といわれ、三浦一族墓と伝えられる「やぐら」がある。
これらの墓への上り口。灯籠には安政五年と彫られている。頼朝の墓への石段とは20mくらいしか離れていない。ここもぜひ上ってみることをおすすめする。足場は悪いけど。
鎌倉はまだ続く。

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