2009年シーズンはいろいろなことがありましたが、一番衝撃的だったのは…
浦和レッズ史上初めての
“天皇杯2回戦敗退” だったかなぁ…
公式戦8連敗から脱し、前の試合では峻希の初ゴールが生まれ、
チームの雰囲気も悪くない状況で臨んだ試合だっただけに、この敗戦は本当にショックでした。
“地域リーグのチームに国内トップリーグのチームが敗れる”
浦和レッズは松本山雅の前に歴史的、屈辱的な敗戦を喫してしまいました。
おかげで “松本山雅” というチーム名が、良くない頭にしっかりと刻み込まれました (^-^;;
刻み込まれると何かと気になる…信州出身でもないのにやたら気になるチームになってしまいました。
新聞で “松本山雅” の文字を見つけると無意識のうちに目を通したりしていいる自分がいます。
レッズと対戦する時の松本山雅は、翌週に全日本社会人サッカー選手権を控えていました。
天皇杯の試合のときの弾幕にもあったように、松本山雅の最大の目標は “JFLに昇格すること”。
そのためには全国地域リーグ決勝大会に絶対に出場することが絶対条件。
この時、北信越リーグで4位となった松本山雅はまだこの大会の出場権を得ていませんでした。
そして、その全国地域リーグ決勝大会に出場するためには、
全日本社会人サッカー選手権で優勝することだけが、松本山雅に残された最後のチャンス。
全日本社会人サッカー選手権は5日間連続で試合が行われ、フィジカル的にも過酷な大会。
松本山雅にとっては優勝の可能性が低い天皇杯よりも、翌週のほうが遥かに優先度が高い大会でした。
赤豆さんは、ひょっとしたら松本山雅はメンバーを落としてくるかもしれないと思っていました。
翌週の試合に備えて、主力のコンディション調整を優先させるんじゃないかと思っていました。
そして、例えそうしたとしても松本山雅のサポータは納得するだろうと赤豆さんは思っていました。
赤豆さんは、松本山雅というチームに謝らなければいけません。
松本山雅はそんなチームではありませんでした。レッズに対してベストメンバーで挑んできました。
松本山雅サポーターも最後まで選手の背中を押し、一体となって浦和レッズに立ち向かってきました。
鹿島のスタジアムよりも、新潟のスタジアムよりも、2009年で一番のアウェイのスタジアムでした。
レッズに勝ちたいと思う選手と、勝たせたいと願うサポーターが “浦和レッズ” に牙をむきました。
浦和レッズは選手もサポも “アウェイと感じる” 環境で戦ったことは多くありません。
試合中のアルウィンは松本山雅イレブンにとっては、かけがえのないホームスタジアムでした。
最初は少しは名の知れた浦和の選手目当てにスタジアムに来ていた観客も、
レッズよりも熱い姿を間の当たりにし、最後は地元のチームを応援するサポになっていました。
上手いとか、下手とか、そういったものを越えたところで負けていたと感じます。
先制され、焦りを見せるレッズの選手と一緒にレッズサポーターも焦っていました。
最後まで共に闘うことができなかった。ただの一度も浦和レッズのペースにならなかった試合。
どうすればよいかレッズサポーターが戸惑った試合だったように思います。
かつては浦和レッズのスタンドにあったもの。私たちが忘れてしまったもの。
いつのまにかどこかに置いてきてしまったものが反対側のスタンドにあったような気がします。
格上と目される浦和レッズに対して、本気で、そして全力で挑んできた松本山雅。
選手のプレーにスタンドが沸き、スタンドの反応に選手は限界を超えて力を得て頑張り、
そのプレーがまた観客の感動を呼び、拍手に包まれ、一体感を作り出しているように感じました。
そして何より誰もがフットボールを楽しんでいたと思います。
この日、浦和レッズが失ってしまったものが松本山雅にありました。
そしてそれは、浦和レッズが絶対に失ってはいけないものだと思い知らされました。
レッズに勝利した松本山雅は翌週の全日本社会人サッカー選手権に優勝し、
目標を達成するためにどうしても必要だった全国地域リーグ決勝大会への切符を手にしました。
厳しい大会を制する原動力は浦和レッズとの一戦で得た “自信と信頼” だったかもしれません。
全国地域リーグ決勝大会での松本山雅は、
11月に鳥取で行われた予選リーグを3戦全勝で通過し、
自らのホームスタジアム・松本アルウィンで行われる決勝ラウンドに進出。
多くの松本山雅サポーターが詰めかけたホームスタジアムで、悲願のJFL昇格を決めました。
「Hello JFL」 のTシャツに袖を通した選手たちを、大量の緑色の紙テープが迎えました。
きっとこの日を目指して、この時を夢見て、チームを支え続けたことと思います。
苦しい時もクラブと共に過ごしてきた松本山雅サポーターにとって最良の日が訪れました。
そしてその場所がホーム松本アルウィンだったのは、決して偶然ではないように思えてきます。
赤豆さんは、あの日の敗戦以来、松本山雅の試合結果が気になりました。
それは天皇杯が開催されたあの日のスタジアムの雰囲気がどこか懐かしく、
J1のクラブに全力で挑んできた松本山雅に、かつての浦和レッズを見たからかもしれません。
… 通常、過去のDNAが反射的に緑のチームには拒絶反応を示すんですけどね…(((^-^;;;;
“雷鳥は頂を目指す”
松本山雅は来季はJFLを戦います。そしてその上のカテゴリーを目指す戦いが始まります。
これまでとは違ったカテゴリーで戦う中では、また戸惑いや苦難が待ち受けているでしょう。
でも松本山雅のために戦ってくれる選手がいる限り、サポーターは声援を送り続けるでしょう。
浦和レッズは松本山雅に大きな借りを作ったままです。いろいろと考えさせられたままです。
出来れば…赤豆さんが元気でスタジアムに通っているうちにもう一度戦いたいと念願しています。
そして今度はあの日とは違った浦和レッズとレッズサポーターを見せたいと思っています。
さいたまスタジアムではなく、松本アルウィンで開催されるJの舞台で再会したいと思っています。
その日が来ることを待ち望んでいます。
… 赤豆さんは執念深いのでいつまでも覚えています ((^-^;;;;
松本山雅を支えてきた全ての皆様、JFL昇格おめでとうございます m(_ _)m

224