いろいろなことがあった2011年ももうすぐ終わります。
3月11日の東日本大震災でJリーグが中断し、サッカーのない時間を経験しました。
自分の日常からサッカーのある時間が消えました。それに気付かない時間が過ぎました。
そして、リーグ中断中に行われた山形との練習試合で感じた喜びは何にも変え難いものでした。
失ったことすら気付かずに過してきた日常にサッカーが戻ってきた瞬間でした。
2011年は自分にとっても浦和レッズにとっても、とても苦しいシーズンになりました。
予想通りといえば予想通りだったわけですが、それでも笑顔で終われることを願っていましたが…。
これほどクラブとの距離を感じながら過したシーズンはありませんでした。
昨年末から感じていた不安がPSMで現実になり、何も変えることが出来ずに1年が過ぎました。
ペトロを人質に獲られたまま、何も出来ないままとても苦しい時間だけが過ぎてしまいました。
J2降格の危機を救ってくれたのは堀監督と天野コーチ、そして諦めなかった選手のおかげです。
自分は何も出来ませんでした。ただ崩壊していくチームを見ているだけしか出来ませんでした。
こうなることを予想しておきながら、浦和レッズを変える術を持っていないことが悔しかったです。
自分は無力です。ただピッチで闘う選手を見ているだけ。そのチームを応援するだけ。
スタイルを継続するといっておきながら、なぜフィンケ監督以下コーチ陣が全員退陣するのか、
なぜフィンケ監督に代わる監督がペトロなのか、なぜペトロなのか、明確な説明はありませんでした。
ペトロが指揮したチームがどんなサッカーを志向していたのか、継続ではなく再建ではないのか。
マスコミの質問には答えても、赤豆さんが知りたいことには何ひとつ答えてくれませんでした。
クラブはペトロに現在のチーム状況を、所属する選手の情報をきちんと説明したのでしょうか。
ペトロ監督就任の報に触れ、答えのない疑問にフロント不信は深まるばかりでした。
「また、我々の姿をあるべき姿に戻しましょう」
赤豆さんはペトロのこのコメントに不安を感じました。
かつて英雄だったOB選手を監督に招聘することで観客動員を回復させるつもりだったのでしょう。
レッズに在籍していたとはいっても、その当時を知る選手も、サポーターも少なくなりました。
ペトロが知っている浦和レッズは10年も昔のことであり、それはもう幻影でしかなかったのです。
2011年、クラブは “継続” を拒みました。
数年で膨大に膨れ上がった収入に群がるものが、それを許さなかったのかもしれない。
他に追随を許さない収入を得ても、掲げた信念すら守れないというのはどういうことなのか。
周囲の雑音に右往左往し、情熱も誇りも失ってしまった姿を晒すだけのビッククラブでした。
“いま守ならければならないもの” を守ることがフロントの役割であるならば、
フロントが守ろうとしたものが、自分が好きだった浦和レッズではなかったことが悔しいです。
今季、2010年のサッカーの延長線上にあるものを見ることはできませんでした。
来季は再びペトロビッチ監督の下、ゼロからのスタートです。
浦和レッズはどこに向かって進んで行くのでしょう。その道標は示されないままです。
“勝利という結果” が出せなければ、監督以下スタッフをコロコロ代えるしかありません。
これまでもそうしてきたように、“レッズスタイル” のためにそれを繰り返すのだと思います。
決めるのはクラブであり、サポーターはその結論を受け入れるしかありません。
大切なのはその結論よりも、誰が、どのように考え、何を持って判断したのか、であると思います。
その中身で、サポーターは納得できなくとも、希望を持ったり、安心したり出来るのだと思います。
まだ、来季の浦和レッズに希望をもったり、安心したりすることが出来ず、不安がいっぱいです。
2011年シーズンは本当に本当に苦しかったです。
ピッチでその力を出せずにもがき苦しんでいる選手を見ることが多かったと感じます。
苦しんだとき、悩んだとき、迷ったときに、立ち戻るスタイルがないチームは脆いと感じました。
苦しむチームの力にもなれない自分がもどかしく、絶望的な無力感を感じた1年でした。
いま 「浦和レッズでプレーがしたい」 と思ってくれる選手は何人いるでしょう。
憧れだったり、夢だったり、希望だったり、浦和レッズに託してくれる人は何人いるでしょう。
降格は免れましたが、2011年シーズンは全てがバラバラになってしまったと感じます。
クラブだけではなく、スタンドを包む空気も、見つめるサポーターも同じ方向を向いていません。
2012年は崩れた破片を根気よくひとつづつ繋ぎ合せることから始めなけれなりません。
でも、失われた破片は埋めることはできません。たくさんの大切な破片が失われてしまいました。
2012年は浦和レッズにとってどんなシーズンが待っているのでしょう。
共に過した浦和レッズの仲間たちが、それぞれの場所でそれぞれが迎える2012年。
いつか “2011年は大変なシーズンだった” と笑って振り返ることが出来る日が来るといいな…
いまはただ、苦しかった2011年を共に戦った全ての浦和レッズの仲間たちに感謝しています。

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