クラブは次に何かが起きることを恐れています。
しかし、どうすれば防止できるのか分からない。皆目見当がつかないのです。
社会貢献活動に啓蒙活動、それらに参加を呼び掛けるリリース。次から次に発信される規制。
反対も賛成もない、そんなことをスタジアムで考えるつもりもないし、表現することもない。
ただサッカーを楽しみたいだけなのに、何か違うものに参加させられているような錯覚に陥ります。
浦和レッズはサッカークラブではないように思えてしまいます。
サポーターの行為がクラブを窮地に追いやってしまったことは疑いのない事実です。
しかし、それを見過ごし排除しなかったクラブの行為こそが危機的な状況を招いてしまったのです。
クラブは、何が良くて何が駄目なのか、いまは手探りの状況なのだと思います。
しかし、次に何かを起きてしまえば手遅れになってしまいます。浦和レッズは消滅します。
浦和サポーターが培ってきたスタイル全てを否定することでしか防止することが出来ないのです。
姿の見えない誰かに、そこにあるものがどう感じられ、どう扱われるのかを恐れています。
横断幕も、フラッグも、浦和サポーターが作ったもの全てを否定するしか術がありません。
クラブが作成した既成のフラッグだけしか、タオルマフラーだけしか認めることが出来ないのです。
何を規制し、何を認めればよいのか、いまは全てを規制し、管理することでしか守れないのです。
浦和レッズを守るため。浦和レッズを将来も存続させるために。
クラブはサポーターを信用してはいません。信用したくともそれができないのです。
“熱狂するスタジアム” は、クラブが創るものではなく、サポーターが創り出すものです。
クラブがサポーターを主導し、熱狂のスタジアムを創り出すことなどできるものではないと思います。
浦和レッズはサポーターを徹底的に管理し、規制し、監視することにしました。
そうすることによって観客動員が減ってもかまいません。満員で熱狂したスタジアムなどいりません。
観客動員が減っても、熱狂するスタジアムが失われても、浦和レッズを未来に残すことが大事なのです。
クラブは中途半端にサポーターの方を見るのではなく、そう宣言すべきなのかもしれません。
いま、埼玉スタジアムにはかつての応援風景はありません。
太鼓も、思いを込めたフラッグも、横断幕も、普通にそこにあったものは姿を消しました。
しかし、それでもチームを鼓舞するチャントや応援する声、拍手は失われてはいないと感じています。
浦和のゴール裏は試行錯誤です。ひとつのチャントをあわせるのも一苦労です。
早くなったり、遅くなったり、合わなかったり、場所によって異なるチャントが歌われたり。
でも、それまでは少なかった指定席からの応援の声が、手拍子が、拍手が聞こえるようになりました。
もういままでの埼玉スタジアムではありません。いままでとは違った姿がそこにはあります。
時計を逆に回すことはできません。時計の針は未来に向かって刻んでいきます。
将来、浦和のホームスタジアムがどのような姿になっているのか、いまは誰にもわかりません。
管理され、規制され、監視され、スタジアムに足を運ばなくなるサポーターもいることでしょう。
それでも、熱狂するスタジアムを創るのはサポーターにしかできません。

9