きっとこれまで松田直樹という選手を応援したことはなかったと思います。
倒すべき相手チームの中心選手であり、常に自分たちが乗り越えなければならない壁でした。
2004年、レッズにとって最初で最後のチャンピオンシップでも松田選手は倒すべき横浜の選手でした。
第2戦を前に松田選手の煽り発言を掲載したスポーツ紙を読み、闘志を燃やしたこともまだ覚えています。
退場をもいとわない激しい闘志を感じる気持ちの強い選手で、大きなブーイングで迎える対象でした。
真正面から闘志むき出しで挑んでくる松田選手はレッズにとって厄介な選手でした。
昨年、横浜を戦力外になり、横浜サポの前で「もっとサッカーがやりたい」と思いを打ち明け、
レッズとは因縁のある松本山雅へ移籍を決めたことを知り、松田選手らしい決断だと思いました。
テレビで松田選手のインタビューが放送され、松本山雅をJ2に上げるんだと熱く語る姿がありました。
もし、松本山雅と再び戦うことになったら、松田選手とまた戦うんだなぁと思っていました。
そして、それはきっとそんなに遠くない未来に実現する日が来るんじゃないかとも感じていました。
いつも松田直樹という選手はライバルチームの中心選手でした。
松田選手は、8月2日練習中に急性心筋梗塞で倒れ、意識不明の状態が続いていましたが、
本日13時過ぎに入院先の長野県松本市内の病院で家族に見守られた中、息を引き取りました。
34歳という若さで、「もっとサッカーがやりたい」 と言った選手の早すぎる死に言葉もありません。
松田選手が倒れたという情報は、8月2日の午前中に突然 twitter 上に流れました。
心肺停止で救急車で運ばれたという情報も、事の真偽が分からず twitter を追いかけていました。
時が経つにつれ、流れてきた悲報が事実だと分かり、ただ一言だけ ツイートしました。
“松田…戻ってこい!大丈夫、絶対戻ってくると信じている”
松田直樹という選手を応援したことはありませんが、初めて心の底から応援しました。
戻ってきて欲しかった。目を覚まして欲しかった。もっとサッカーをさせてあげたかった。
志半ばでサッカーが出来なくなってしまった松田選手の無念さを想像するとかける言葉もありません。
私はレッズと対戦するチームの選手としての松田選手しか知りません。
それでも、いま、サッカーを愛する仲間の早すぎる死に大きな喪失感を感じています。
ライバルチームの選手であっても、戦う場所が違っても、サッカーを通じて繋がっているはずです。
もう、闘志を剥き出しにして向かってくるあなたにブーイングをすることは出来なくなりました。
松田選手と長い間共に闘ってきた横浜Fマリノスの関係者、選手、サポーター、
同じ夢を持ち、共に戦ってきた松本山雅の関係者、監督、選手、サポーターの心情は、
自分が想像することも出来ないぐらいに、悲しく、悔しく、言葉に出来ないものがあると思います。
松田選手が最後までその情熱を注いだ夢。松本山雅がJ2に昇格することを心から願っています。
Jリーグの舞台で、松田選手の魂を受け継いだ松本山雅というチームとの対戦を心から望んでいます。
いまはただ、松田選手のご冥福をお祈りするだけです。どうか安らかに。。。

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