2005/8/7
脱皮が始まった。
8/1にFUJIロックから帰ってきて、しばらくは肌の兆候なし。
昨日辺りからようやく日焼けした皮がむけてきた。
私日焼けとかあんまり気にしないからまったく日焼け止めはぬらなかった。
高校時代は夏休み40日間中2日間しかお休みがないくらいずっとずっとテニスをしていたから、日焼けは当たり前で、逆にまったく皮はむけなかった。
でも大学入ってすぐは日焼けすると2日後とかにむけてきたのに、年齢を感じます。新陳代謝の悪さ…。

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2005/8/5
【7/15 SSWSグランドチャンピオン大会】
ミキさんはすごかった!
SUIKAを見て、ねじめしょういちさんの朗読を聴き、その直後ミャンマーに行ったとき現地のアーティストチョウ・イーティンさんからもらったミャンマーの石のブレスレットがはじけた。
「負けるな。」と思った。
でもレモンさんもまだまだこれからだと感じて、負けたのも良かったのかなと思った。
【7/21〜25 NIPAF】
なかなかすさまじかった。
東京の路上でもなんだけれども、私はミャンマーのアウン・ミュンのパフォーマンスに涙があふれた。
5月にミャンマーに行ったときは、まさか日本に来れるとは思わなかった。
本当に日本で再会できてよかった。
今回は名古屋だけだったから、悔しくて何度も泣けてきたけれどもみなを送った後、もうしばらくアートとしてのパフォーマンスをしないと思うと少しほっとした。
ちょっと行き詰ってたから。

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2005/8/3
今日は朝起きると昨日兄が拾ってきた飛べないスズメはどうやってか、段ボール箱から出て、ちょこちょこと歩いていた。
ごはんを食べているか心配していたが、うんこをいっぱいしているので、まずは安心した。
バイトへ出かけるときクーラーを止めて、窓を開けた。
大丈夫か心配だったけど、バイトはどうしようもなかった。
昼過ぎ、バイトの休憩中の終わりかけ、母からメールが入ってきた。
件名もなく、ただ一文だけ。
「すずめ、死にました。」
それから4時間のバイト中、私は自分を責め続けた。
きっとダンボールの中が暑くなりすぎたんだ。
きっとお水がなくなってしまったんだ。
暗くて狭いダンボールでストレスがたまってしまったんだ。
朝まで元気だったのに、朝まで目をパチクリさせながら指にとまっていたのに。
家に帰るとまだ私の部屋窓辺には死んだスズメを入れたままのダンボールがおかれていた。
飛べないスズメは小さくて暗い段ボールの中で羽ばたくように羽を広げて、横たわっていた。
今日1日で、世界中で多くの命が消えていっているはずなのに、私は目の前の消えたばかりの小さな小さなたった一つの命に涙した。
このスズメの命の儚さに、私はやっぱり消えてしまっていい命などひとつもないような気がした。
スズメは兄が家の外に埋めた。
家には段ボールで作った鳥かごだけが残った。

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2005/8/2
「ポテトチップスの棚で座ってた」
突然私の部屋にいたネコを外へ連れて行き、靴の入っていた小さな箱を持ってきた。
「堀田のローソンにいた。お腹減っているだけだろうから、エサやって。」と。飛べないスズメを兄(圭くん)が拾ってきた。
指にとまらせたら、すごくかわいいスズメは緊張しているようだった。
まず大きめな段ボール箱に割り箸を二つつなげた棒をさして、空気穴を開けた。光が入らないとかわいそうだから、と30分かけて汗かきながら穴をあけた。
それに移してあげるとそれまでバタバタしていたスズメさんは割り箸の枝にとまってすごく静かにしていた。
それからエサを買いに行った。1キロで300円弱。安い。
エサを与えたけれども食べているのかが分からない。何とかして食べてほしい。
父が帰ってきた。スズメの話をすると笑いながら「本当にバカだなぁ。」といいながら怒らなかった。
母は「またぁ?」と言いながら、「放したらおうちに帰れるのかな?」と心配していたが、スズメにおうちは無いんじゃないかな。
二人とも見たいと言うので連れてきたら喜んで手に乗せていた。
うちの家族は本当に動物が好きなんだよね。
うちには3匹のネコがいて、いじめられてしまうから今はスズメさんは隔離中。はやく元気になるといいな。
久々のブログ。
7/15 グランドチャンピオン大会
7/21〜25 NIPAF名古屋公演
7/28〜8/1 FUJI ROCK FES
など色々あったので、それはまたゆっくり書いていきます。

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