2006/10/28
がんと心と毎日と そのご がんになっちゃった
◇よく聞く話。
若い時、50歳なんていったらもう、すっげえ大人で、おじいで、もう、どうもこうも、ないだろうって思ってたけど、実際、その歳になっちゃうとなんてことわなく、そこには『基本的』に若い時とあんまり変わらぬ自分がいるんだ、って話。
おいらも、まったく、そう思う。
で、その、『基本的』って部分が、多分、こころだと思ったりする。
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思うに、歳を経て、ずうずうしくなったり、謙虚になったり、多少ややこしくなるのは、個人差なんかもあったりするんだろうけど、あれやこれ、無意識にせよ意識的にせよ、長く生きた分の知識や経験なんかに基いた技だったりするわけで、結局、こころは、そんな技を作り出すってとこも含めて、その辺りの核として、おそらくわ100年や200年ばかし生き永らえたとしても、なんら変わることはなさそうでわないか?
いろいろ衣をつけてみたけれど、所詮、コアな部分は昔のまんま。
たいしたもんじゃないのかも知れぬ。
なるほど、衣を突き抜けてのこころへダイレクトに届くようないちだいイベントが起きてしまえば、そりゃあもう、こころはゆさゆさゆさゆさ、ゆさぶられっぱなしなのも、納得かもなあ。
とにもかくにも、がんになったおいらは、はだかのこころの揺さぶりってやつを経験した。ような気がする。
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おいらの場合、がんの告知から手術まで、たった7日間。
7日間とはいえ、感情拒絶な、ある意味、安定の時を経て、しかし、揺れるこころは不安の渦にどっぷり飲み込まれたり、そしてまた、みょうにはじけたハイな世界を漂ったり、あっちの虚空、こっちの世界と、揺れを繰り返した。
それでも、渦に飲み込まれた後、そのまま溺れっぱなしでなかったのは、7日後の手術という確定的治療法が決まっていたためだろう。

手術前のインフォームド・コンセント(お医者が病状や治療方針を分かりやすく説明し、患者の同意を得ること)では胸を開けてみないとわからない最悪の確率とか、辛い部分も説明されてしまうわけだが、それよりもなによりも、お医者先生やみんなと一緒になってがんに立ち向かっているんだっていう意識が高まっていく。
いともよわっちいこころが溺れから這い出てくる。
これが、実にいい。
高ぶる気持ちというか、なんていうか、この感触が、妙にはじけてハイになれるのだ。
じつわ、このパート→『お医者先生やみんなと一緒になってがんに立ち向かっているんだっていう意識が高まっていく』ってのが、この先、とても重要なこころのポイントになるわけなのだけれど。
いずれにせよ、エッセイスト、岸本葉子さんの言葉をお借りすれば、がんという病気の一番の特徴は「不確実性」だ。
「手術で治ったといえるのかどうか。処方されている薬で治るのかどうか。どのこと一つ取っても不確実性がつきまといます。」
心理的な面で、これほどまで簡潔にがんを語る言葉はないとおいらは思う。
そして、その不確実性の中で唯一、まさしく自己主体、不確実性を感じさせないイベントこそが、原発のがんをとる手術だったとおいらはあらためて思う。
もちろん、手術そのものを否定的に捉える患者さんもみえるわけで、皆がそうだというわけではない。
あくまで、おいらは、個人的にそうだった、という事だ。
だって、いくら、術後の再発、転移の可能性があるからといって、原発の手術は一旦、体の中の病巣を取り除く物理的な作業であって、それは自己主体でがんに対しはっきり攻撃に転じる数少ないイベントなのだもの。
掃除だって、どうせ汚れるから掃除はしない、という論理はない。
食事だって、どうせおなかすくから食べない、という論理はない。
掃除をして、綺麗な部屋で、おいしいものをおいしく食べて、それは、もう、絶対、希望ってもんだ。
自らの環境のステージが辛く哀しいものだとしても、いや、むしろそれは普通であって、ちっとも悲惨な事ではなく、それを否定せずきちんと意識して、そうすれば、こころは、希望を捉えるチャンスに大いに恵まれる。
がんという病気を持ってして、こころはこうありたいと思った。
そして、多くの、元気に闘うがん患者さんたちもおそらくはそうなんじゃないかと、おいらは勝手にそう思うのだった。
(がんと心と毎日と さいごへ)
2006/10/23
がんと心と毎日と そのよん がんになっちゃった
◇公共広告機構のマンモグラフィ検診を勧めるCMに出演されている女優の宮崎ますみさん。彼女が昨年、乳がんの告知を受けた時のお話。
彼女への告知は、検査後、担当のお医者先生から夜遅くに直接電話で告げられたそうである。
彼女は一瞬動揺したものの、その後、深く瞑想し、一時間後には「これこそは、自らに与えられた大いなる試練であって、決して不安や恐れを感ずるものでないことを理解し、自らの浄化のまたとない機会であると感謝し、歓びに包まれた」と語っている。
なるほど、自らのスピリチュアルな観念からのこころを、すごく大切にしている彼女であればこそ、いかにも、気概あふるる表現である。
そして、おいらはこの話を聞いて、唸ってしまった。
おいらの場合の「感情台風の目に逃げ込む」作戦を、例えばこの、スピリチュアルな観念からのこころで表現するとすれば、せいぜい、幽体離脱、ってとこか?あと、逃げ出すエクトプラズム?
しょぼ。
そう、どっちにせよ、おいらのスピリチュアルなこころはしょぼくれている。
おいらのこころはどうしたって自己を中心とした「壁側」にへばりついていて、その壁をある時は、裏にしたり、又、ある時は、表にしたりして、文字通り、自己とこころは、表裏一体。
なるほど、なるほど。もろく、弱く、はかないおいらのこころの理由も、こんな感じで説明がつくか?

なるほど、なるほど。
おそらく彼女には彼女自身の何かはっきりとした、こころのよりどころがあるのだろう。
なるほど。
こころのよりどころってゆうものは、いかにも大事だ、って思った。
よりどこる(こおいう言い方でいいのか?)場所なんて全然、どうでも、ちっとも、考えてみなかったから。
ずうっと、昔っから、生きていくうえで「こころ」なんてもんわ、どうしたって後からついてくるもんだと、そおいうふうに感じてたから。
だから、変な技で感情を拒否したりすることは出来たとしても、いざ、感情が後ろから追いついてしまって、自己がそれに満たされてしまえば、なんとも、こころは、情けないことになってしまうのだった。
なるほど。じつわ、こころにはよりどこる場所が必要であって、その場所は自己をもっともっと拡げたところが、よいなあ、と、思った。
漠然としたイメージを自己から外に、ちょっとづつ拡げていくことでそのイメージはどんどんでかくなる。
んで、そのイメージをきっちり自分なりに定義付けることが出来れば、そこをこころのよりどころにできるんかいな?
そうすると、こころは、彼女のように気概あふるる姿を持つことができるんかいな?
それは、良いことなのでわないか?
そんなふうに考えるようになったのは、じつわ、つい最近のことである。
いずれにせよ、おいらは、スピリチュアルそのものに物申すことはないが、世の中の全ての霊能力者とかの類には、いまもって、一切共感できないので、その考えの延長にスピリチュアルの何たるかを見つけようというものではない。
拡がるイメージの場所に「こころのよりどころ」を見つけようとすることが、霊的なものの考え方でわ?という認識には、それは、あくまで、自らが定義した個人専用シェルターの範疇での出来事であって、それが果たして、霊的であろうがなかろうが、信仰であろうがなかろうが、まったく他者の及ぶものではなく、また、他者に及ぶものでもない。とするが、う〜ん、どうだろう?
********
眠れない夜があけた2日目の通院で、おいらは先生に本当のことを話す。
右手に汗をかいていないこと。
痺れとか、はっきり自分では認識できていないこと。
体がどんどん蝕まれているような気になること。
そして、それがとても怖くて怖くて、仕方がないこと。
お医者の先生は言った。
手術が出来る患者さんは肺がんの場合約3割。
あなたは手術が出来る患者さんだ。
たとえ、脊髄まで浸潤していてそれを削ることがあっても、お尻の骨を移植してなんとかしてみる。
やるべく治療は可能性としてたくさんあるのだから、それで、いかんかね?
おいらはいっぱい涙を流し、うなずいた。
こころが不安だけではなく、いろいろなもので、満たされた、と思った。
生きることの基本は哀しくて辛い。
でも、そこに希望が入り込んでくるからこそ、明るいのだ。未来があるのだ。
こころは毎日、これでもかと、ゆれた。
(がんと心と毎日と そのごへ)
2006/10/18
がんと心と毎日と そのさん がんになっちゃった
◇さて、十分、ぴんとしてしゃんとしていたはずのこころは、以外にも、思わぬところか
ら、いともあっけなく、崩れることに。
いまでこそ半身発汗的改造人間スタイルが定着したおいらだが、実わ、この事実を認識した時、見事、こころは乱れた。
それは、がんを自分の事としてどうしようにも自覚せざるを得ない最初の認識でもあったわけで。
*****
肺がんはほとんどの場合、自覚症状はないという。
後から思えば、病院へ通うきっかけとなった症状のひとつ、背中の筋違いか?っていうくらいの痛みが唯一それなのかなあ〜って思ったのだけれど、まあ、告知に際しても、ああこれがなあ、やっぱりなあ〜って、そおいう自覚はさっぱりなかった。
告知の翌日から主治医先生が外科の先生(手術の執刀医で現在も定期健診で御世話になっている先生)となり、問診、検査、手術の説明、等々、ばたばたしてくる。
がんの浸潤(しんじゅん→拡がりというか成長度合いを意味する)がどの程度までいっているのかはある程度、問診でわかるようなので、いくつかの質問があった。
あそこは痛い?とか、息苦しい?とか、あって、右の手のひらは汗をかいている?ってなって、え?って思ったけど、おいらは普段、緊張しいなので、こおいう場面でわ、手のひらはすぐ汗ばむので、汗かいているにきまってんじゃん、って、ふっと右手のひらを意識すると、カサカサしている。
左手のひらはもう、これでもかっていうくらい、べたべたなのに、だ。

なんなんだ、これ?
血の気が引いた。
みるみる感情が満たされていく。
こころが乱れた。
おいらはがんに侵されているんだ。
それを一瞬に意識した。
おいらは咄嗟にうそをついた。
汗は出ていると。
汗が出ていないとどうなのか、きいた。
その場合、がんは肋骨に浸潤しているのだという。
進行ステージがあがるのか?
いや、現に汗は出ていない。
左手のべたべたはさらに度を増した。
*****
その夜、おいらはほんとうに怖かった。
病院では、他のいくつかの質問に、もう、その答えがうそなのか、本当なのか、よくわからないまま答えるしかなかった。
右脇はしびれていない?
指先はしびれていない?
頭は痛くない?
しびれているといえばしびれているような気がするし、しない気もする。
頭だってそうだ。痛いような気もすればそうでないような気もする。
そしてそれらは家に帰り、夜になって、時間が経つにつれ、やっぱり、しびれてきているように、痛くなってきているように、どんどん、そう思えてくるのだ。
なかなか寝つけず、そして、怖い夢を見た。
体が何かにぐしゅぐしゅと蝕まれていくイメージの夢。
その夜、おいらはどうやっても台風の目に逃げ込むことは出来なかった。
ああ、こころはいとも弱いものなのだ。
(がんと心と毎日と そのよんへ)
2006/10/17
がんと心と毎日と そのに がんになっちゃった
◇がんという病気は実に厄介である。
人それぞれ個性があるのと同じようにがんもまた、極めて個性の強い病気であるからだ。
あの人がこうだったから、この人もこの治療で大丈夫、ってゆうわけにわいかない。
最近の研究でわ、また、その人の個性が、何らかの形でがん発症のメカニズムに関係していることも否めないらしい。
個性の病気、そして個性からの影響。
それは「こころ」と「がん」の因果関係なのか?
「がん」になる「こころ」ってどおいう「こころ」だろお?
*****

「がん」イコール「死病」でわない。
がんを患って元気にしている知人だっていっぱいいる。
だからがんだって言われたって特別怖くはない。
なあに、たいしたことでわないかもしれない。
おいらの「感情を拒否する」という術は、いかにもこんな感じで第三者的に(吹き荒れる雨風を無視して)自分を捉えるかである。
そおして、その状況を少しでも長く保つには、第三者なりに、できるだけ情報を確保しなくてはいけない。
さらに、その情報のどこまでが事実であるのかを冷静沈着に見極めようとしなければいけない。
そう、あくまでもミスター・スポック、あの人である。
それがとりあえず、楽なのである。
こころの苦痛がとりあえずだが軽減されるはずなのである。
繰り返しになるが、おいらのこころはこころの危機の瞬間に際して、あえて必要以上の苦痛を選択しないよう危機管理されているらしい。
もし、仮に、感情が台風の目に入っていなかった場合は、たぶんこうだ。
『え?がん?!
先生はがんの可能性はほとんどないと言ったじゃないかっ!
どうしてくれるんだっ!』
高ぶった感情はいつもながらの(?)不毛な展開から始まることになる。
それはこころが非常に苦痛を感じるであろう展開を意味する。
がんである以上、いずれはその苦痛を味わうことになるのだが、告知、すわ、その展開、ではあまりにも救われようもない。
だが、まてよ?
このがんは治りますか?の問いに、もし、「治らない」と言う答えだったらどうだっただろう?
そのままこころは台風の目にいることが出来ただろうか?
がん告知の現場で患者側がその進行度を尋ねれば(ほとんどの場合、それはあり得るであろうシチュエーションであって)おそらく、お医者側としては、患者のこころの状況をどの程度把握しながらかはさておき、その時点での見解をちゃあんと答えてくれるであろう。
勿論、がんは単純に治る、治らない、といえる病気でわない。
がしかし、いまの西洋医学では「治らない」と診断されたがんはかなりの高確率で治らない。

果たして、そおいう告知も現実に在るのだ。
もし、それが答えであったなら、おいらは、おいらのこころはどうだったんだろう?
思えば、ああ、いくら感情の高ぶりを消したって、感情台風の目玉に逃げ込んで、どんな大掛かりなミッションを持ってして「こころ」の苦痛からしばし逃れようとしたって、現実の尺度にはとうてい叶わない。
こころはいとも弱いものだと、はかないものだと、あらためて思う。
それでも、そんな弱いこころで、はかないこころで、だましだまし、ダークサイドに取り込まれぬよう、アナキン・スカイウオーカーの轍(てつ)を踏まぬよう、踏ん張らねば、とも、思う。
*****
「治るのか?」の問いにおいらは「わからない」という答えをもらったわけだが、いずれにせよ、答えは2つしかない。
「治らない」か「それ以外」の2つ。
前記したように「治らない」の診断は治らない確率がかなり高いが、「それ以外」の診断はとてもあやふやである。
つまり「それ以外」というのは「わからない」のであるからして、今後、どうなるのかを含んでともかく、あやふや極まりないのである。
それでも、この時点ではこれで十分である。
初期がんではないけれど、現時点で転移がなければ手術ができる可能性ありだ。
手術が出来れば、これまた、何とかなる可能性ありなわけで。
台風の目の中で、こころは、十分、ぴん、しゃん、していた。
(がんと心と毎日と そのさんへ)
2006/10/15
がんと心と毎日と そのいち がんになっちゃった
◇えっと、ちょっとがんの話など。
*****
◇「組織はがん細胞でした。残念ですがすでに初期と呼べる段階でわありません。」
だったかどうか、定かでわない。
ないけれど、おいら的にわ、その時のお医者の言葉は、そおいう記憶になっている。
果たして、世間で言うところの『頭の中が真っ白になった』とか『気が遠くなった』ってことわ、まあ、無かったのだが。
いわゆる『がんの告知』である。
その日は2回目の気管支鏡検査の結果をせかして、日程を幾分早めての診察日だった。
と言うのも、その翌日から絶対はずせない3週間の海外出張が決まっており、とりあえず、病状の何たるかを知った上で出発したかったからだ。
結果、『がん』というのはまさしく、寝耳に水であった。
とりあえず「治る可能性わありますか?」とおいら。
この質問の記憶は正真正銘である。

11月後半からの微熱、背中の痛み、肺の影、肺炎、結核を想定した検査、診察、抗生物質での炎症緩和作戦。結果、年が明けて、自覚症状はなんとなく治まり、一件落着の様を呈しての確認CT検査の結果は、なぜか、肺の影そのものの衰えは無かった。
その後、お医者の困惑がはっきり伺える、まったくの無意味な一度目の気管支鏡検査の失敗。
さらに3週間後、件の再検査の結果までにわ、11月終わりからの通院も既に2ヶ月半が過ぎ、がんは元気に(?)育ち、それでも、おいら自身の中でわ「がんはなかろう」という何の根拠もない稚拙なバリヤーの擁立が不安を払拭していた。
いや、お医者先生の診断の見解が「まず、がんではなかろ」という方向性で2ヵ月半やってきていたのであって、おいら、お医者先生のお言葉からして、ならばまあ、と、まったく、そこが一途の根拠であったわけなのだが、が、しかし。
果たして、お医者先生の見解にこそ、どんな根拠があったかとなれば、いやはや、あやふや極まりない。
お医者先生にしてみれば「お医者が全部正しい診断が出来ると思ったら大間違い」らしい。
それを否定する気はない。正論である。正論であるが嬉しくはない。正論だけにそこの落とし穴にひっかかっちゃった自分が、まぬけで、実に愚かしい。
正論である以上、肺に影→お医者の見解がなんであろうが、病院中の笑いものになろうが、まず、「がんの細胞があるのかないのかはっきりさせる検査を願う」がその嬉しくない正論に準じた患者の第一の選択肢であったはずなのだ。
病気に対しての知識はお医者のように無いけれど、病気を患っているのは、あたりまえなのだが、患者本人である。
その自覚はどんな場合でも、絶対に欠かしてはならない第一義なのだ。
お医者と治療方針で対等を持する最低限の心得はこれにつきるのだろうと、今にして思う。
え?おいら?がん?えへ?
寝耳に水の告知、おまけに初めての経験で(初めてってえのも変だけど)「がん」という実感が無い、いや、がんって何たるかを感情が拒否しているようだった。
おいらはそおいう事がまあ、得意である。
へにょへにょ自慢でなんなんだが、おいら、ガキの頃から、そこそこな大型感情台風に襲われちゃった経験を積んできたので、そおいうときは無意識で台風の目に入っちゃう技を身につけているのだ。
感情の封印?
死んだ真似?
がんという病気の知識だって無いに等しい豆知識くらい。
それが果たして知識と呼べるものかどうだったかも、疑わしい。
ま、がんという病気を知っている、ってところぐらいだ。
その脆弱ながんの知識とがんの何たるかを拒否する感情とが、がっぷり四つに組み、(がん告知に対しての第一声)「で、治るのか?」だった。
台風の目にこそこそ入り込んでいた感情では「真っ白」どころか、なんの高ぶりすらなかった。
(がんと心と毎日と そのにへ)
2006/10/12
いまちゃんのプレゼント
◇いまちゃんは我社の企画担当である。

(いまちゃん↑である。ピンとくれば関係者だ)
従って、ネット関係も怪しげなパクリもいまちゃんの担当である。
もっとも、パクリに関してわ、おいらの指示に従っての凶行と、やつわ供述するであろうが、いやいや、同罪は免れまいぞ。
さて、そんないまちゃん(どんないまちゃんだ?)だが、最近、個人的にフィギュアの作家先生を兼ねている。

(初期作品。目玉は会社の備品をパクッったらしい。おいらの大好きなフォルムなので目をつぶる。)
作品は既に版を重ね、名古屋の大須界隈でわ、知る人ぞ知る存在と成る。
(ま、知る人が知っているだけで、ほとんどの人わ知らない、ってことなのだけれど。)
とわいえ、いま、のりに乗っている(糊に乗る?べたべた?海苔に乗る?巻き寿司コスプレ?)先生、おいらの誕生日プレゼントにスペシャルフィギュアをこさえてくれたのだ!
南国好き、怪しげ好き、モアイ好き、の真髄を衝いた↓この作品はどうだ?


体に浮かぶ数字とおぞましきキャラクターからして、すわ、破面(アランカル)、ヌメロスの頂点、十刀(エスパーダ)か?と思いきやじつわ、この数字、おいらのたんじょうびだったりする。(破面関係の意味は少年ジャンプ愛読者に)
まさにスペシャルばーじょんなのだぞ。
おいらはえらく感動したっ!
そおしてもっといっぱい種類がほしいなあ〜と、思った。
がんばれいまちゃん!
ありがとお、いまちゃん!
そんで、これからも、なんかの時はスペシャルばあじょん、ちょうだいね!

(最近の作品。色展開もしている。ど〜も、こいつのモチ〜フ、ぱくりだ!ぷぷ
センスの良いパクリということで。いまちゃん先生の作品は大須のクラッカーで入手可能!先生はとても飽き性なので早く行かないと作品の製造が終わってしまうぞ!)
2006/10/11
どらごんず
◇優勝である。
街中一斉に売れ売れムードで活気立つ。

おいらんちの営業だって地元の優勝は否が応でも反映される。
「いやあ〜優勝しちゃってえ。えへへへ。なんか買ってくださいよお〜。ねえ〜もお〜買って買ってええ〜ん。」
電話でのやり取りとて、このくらいのばかさ加減を堂々とこなせるところが優勝の魅力だ。
ま、優勝だからええじゃないか!である。
街のあちこちでわ、もう、ほんと、買って買って買ってってえ〜〜の嵐だ。
試しに通常250円のフレッシュいちじくジュースなんかを飲めば、紙製中日ドラゴンズサンバイザーを目深に被った販売員、「優勝セールで225えんでええ〜す!」だ。
かもんたつおか?きみわ。
とりあえず10%オフでええじゃないか?である。
ロフト3階でしょぼしょぼ売ってるおいらの小売店でも、優勝セールだ。
是非、覗いてみよう!ぷぷぷ
◇おいら、この夏、初めてナゴヤドーム球場に行った。
どっかで浴衣を買った時、「浴衣でドーム祭り」の招待券が当たったのだ。
おりしも真夏の阪神戦。
野球はあんま、好きじゃないし、ドラゴンズが好きってわけでもないのだが、なんだかすっごいたくさんの人がぐわああ〜〜〜っていて、あっちこっち、ぐおおお〜〜〜って見渡せて、ぐぎゃああ〜〜〜って盛り上がってて、球場は、なんか、気持ちよかった。

んで、帰りにTシャツなんかも買ってみたりして、ちょっとしたドラゴンズファンのようなおいらなのである。
う〜む、イチジクジュースのみならず、優勝セール3日間限定20%オフのブーツも買ったことだし、ここわひとつ、ええじゃないかスタイルでおいらなりに優勝を祝っとこっと。

2006/10/9
南国イズム
◇10月6日は南国満月。
南国満月はとっても明るくて、青いのだった。
(写真をクリックするとおっきな写真になるのだ。)



◇南国の色は普段思っているより、実わ、ちょっと、しっとりしている。
そおいう思いのギャップを味わう事が、なんだか、好きだ。



◇南国のつまらないところは帰るころにやっと、南国にいることが理解できることだ。



◇南国はパラダイスか?
最近はひと昔前ほど贔屓ではない。
ないけれど、それでも、時として、南国への思いは揺れる。



2006/10/3
図録買うだけでええじゃないか
◇名古屋市博物館の「ええじゃないかの不思議」−信仰と娯楽のあいだ−に行く。
富士急ハイランドのジェット・コースター「ええじゃないか」の方がきっとすごいんだろうけど、とりあえず、こっちでがまんする。
実わ、地下鉄構内なんかで見たこの催しのポスター、魚介類他コスプレで踊りまくる当時の民衆の図巻(蝶々踊り図巻っちゅうらしい)にそそられたおいらなのだが、いや、そのコスプレ図、さあ、おいらはどれにしよう?っていきなしそこまでいってしまうやうな手合いなのだ。

(とことんすっぽんになりきる極意をぜひ教えていただきたいと鯉に問う、すっぽんおやじの下で、捕まえてごらん〜とはしゃぐナマズおやじはどうだ?)

(両手を広げたかたつむりおやじ。やればできる!平常心でそう語っているかのごとく)
このコスプレ踊り自体は直接「ええじゃないか」そのものでないらしいのだが、なんだか数ある展示品にして、やっぱ、おいらは最後までこれに尽きた。

(たこおやじのちょい悪っぽいハラだしがいかす。)
最終的に件のポスターがおまけに付いた図録(¥900)を買うわけだが、う〜ん、なんだか図録を買うだけでよかったのでわなかったか?って思ったりもしたのだが、どうだろう?そこんとこ?
◇秋空にそびえ立つ、80本目のおくらくん!

いやあ、まだまだ屋上ファームにて収穫が続くおくらくん、記念すべき80本目だ。
これがまた、うちのおくらったら、実においしいのだ。
やわこいし。
悲願の100本までマジック20といったところか?(か?)