2006/10/23
がんと心と毎日と そのよん がんになっちゃった
◇公共広告機構のマンモグラフィ検診を勧めるCMに出演されている女優の宮崎ますみさん。彼女が昨年、乳がんの告知を受けた時のお話。
彼女への告知は、検査後、担当のお医者先生から夜遅くに直接電話で告げられたそうである。
彼女は一瞬動揺したものの、その後、深く瞑想し、一時間後には「これこそは、自らに与えられた大いなる試練であって、決して不安や恐れを感ずるものでないことを理解し、自らの浄化のまたとない機会であると感謝し、歓びに包まれた」と語っている。
なるほど、自らのスピリチュアルな観念からのこころを、すごく大切にしている彼女であればこそ、いかにも、気概あふるる表現である。
そして、おいらはこの話を聞いて、唸ってしまった。
おいらの場合の「感情台風の目に逃げ込む」作戦を、例えばこの、スピリチュアルな観念からのこころで表現するとすれば、せいぜい、幽体離脱、ってとこか?あと、逃げ出すエクトプラズム?
しょぼ。
そう、どっちにせよ、おいらのスピリチュアルなこころはしょぼくれている。
おいらのこころはどうしたって自己を中心とした「壁側」にへばりついていて、その壁をある時は、裏にしたり、又、ある時は、表にしたりして、文字通り、自己とこころは、表裏一体。
なるほど、なるほど。もろく、弱く、はかないおいらのこころの理由も、こんな感じで説明がつくか?

なるほど、なるほど。
おそらく彼女には彼女自身の何かはっきりとした、こころのよりどころがあるのだろう。
なるほど。
こころのよりどころってゆうものは、いかにも大事だ、って思った。
よりどこる(こおいう言い方でいいのか?)場所なんて全然、どうでも、ちっとも、考えてみなかったから。
ずうっと、昔っから、生きていくうえで「こころ」なんてもんわ、どうしたって後からついてくるもんだと、そおいうふうに感じてたから。
だから、変な技で感情を拒否したりすることは出来たとしても、いざ、感情が後ろから追いついてしまって、自己がそれに満たされてしまえば、なんとも、こころは、情けないことになってしまうのだった。
なるほど。じつわ、こころにはよりどこる場所が必要であって、その場所は自己をもっともっと拡げたところが、よいなあ、と、思った。
漠然としたイメージを自己から外に、ちょっとづつ拡げていくことでそのイメージはどんどんでかくなる。
んで、そのイメージをきっちり自分なりに定義付けることが出来れば、そこをこころのよりどころにできるんかいな?
そうすると、こころは、彼女のように気概あふるる姿を持つことができるんかいな?
それは、良いことなのでわないか?
そんなふうに考えるようになったのは、じつわ、つい最近のことである。
いずれにせよ、おいらは、スピリチュアルそのものに物申すことはないが、世の中の全ての霊能力者とかの類には、いまもって、一切共感できないので、その考えの延長にスピリチュアルの何たるかを見つけようというものではない。
拡がるイメージの場所に「こころのよりどころ」を見つけようとすることが、霊的なものの考え方でわ?という認識には、それは、あくまで、自らが定義した個人専用シェルターの範疇での出来事であって、それが果たして、霊的であろうがなかろうが、信仰であろうがなかろうが、まったく他者の及ぶものではなく、また、他者に及ぶものでもない。とするが、う〜ん、どうだろう?
********
眠れない夜があけた2日目の通院で、おいらは先生に本当のことを話す。
右手に汗をかいていないこと。
痺れとか、はっきり自分では認識できていないこと。
体がどんどん蝕まれているような気になること。
そして、それがとても怖くて怖くて、仕方がないこと。
お医者の先生は言った。
手術が出来る患者さんは肺がんの場合約3割。
あなたは手術が出来る患者さんだ。
たとえ、脊髄まで浸潤していてそれを削ることがあっても、お尻の骨を移植してなんとかしてみる。
やるべく治療は可能性としてたくさんあるのだから、それで、いかんかね?
おいらはいっぱい涙を流し、うなずいた。
こころが不安だけではなく、いろいろなもので、満たされた、と思った。
生きることの基本は哀しくて辛い。
でも、そこに希望が入り込んでくるからこそ、明るいのだ。未来があるのだ。
こころは毎日、これでもかと、ゆれた。
(がんと心と毎日と そのごへ)
2006/10/18
がんと心と毎日と そのさん がんになっちゃった
◇さて、十分、ぴんとしてしゃんとしていたはずのこころは、以外にも、思わぬところか
ら、いともあっけなく、崩れることに。
いまでこそ半身発汗的改造人間スタイルが定着したおいらだが、実わ、この事実を認識した時、見事、こころは乱れた。
それは、がんを自分の事としてどうしようにも自覚せざるを得ない最初の認識でもあったわけで。
*****
肺がんはほとんどの場合、自覚症状はないという。
後から思えば、病院へ通うきっかけとなった症状のひとつ、背中の筋違いか?っていうくらいの痛みが唯一それなのかなあ〜って思ったのだけれど、まあ、告知に際しても、ああこれがなあ、やっぱりなあ〜って、そおいう自覚はさっぱりなかった。
告知の翌日から主治医先生が外科の先生(手術の執刀医で現在も定期健診で御世話になっている先生)となり、問診、検査、手術の説明、等々、ばたばたしてくる。
がんの浸潤(しんじゅん→拡がりというか成長度合いを意味する)がどの程度までいっているのかはある程度、問診でわかるようなので、いくつかの質問があった。
あそこは痛い?とか、息苦しい?とか、あって、右の手のひらは汗をかいている?ってなって、え?って思ったけど、おいらは普段、緊張しいなので、こおいう場面でわ、手のひらはすぐ汗ばむので、汗かいているにきまってんじゃん、って、ふっと右手のひらを意識すると、カサカサしている。
左手のひらはもう、これでもかっていうくらい、べたべたなのに、だ。

なんなんだ、これ?
血の気が引いた。
みるみる感情が満たされていく。
こころが乱れた。
おいらはがんに侵されているんだ。
それを一瞬に意識した。
おいらは咄嗟にうそをついた。
汗は出ていると。
汗が出ていないとどうなのか、きいた。
その場合、がんは肋骨に浸潤しているのだという。
進行ステージがあがるのか?
いや、現に汗は出ていない。
左手のべたべたはさらに度を増した。
*****
その夜、おいらはほんとうに怖かった。
病院では、他のいくつかの質問に、もう、その答えがうそなのか、本当なのか、よくわからないまま答えるしかなかった。
右脇はしびれていない?
指先はしびれていない?
頭は痛くない?
しびれているといえばしびれているような気がするし、しない気もする。
頭だってそうだ。痛いような気もすればそうでないような気もする。
そしてそれらは家に帰り、夜になって、時間が経つにつれ、やっぱり、しびれてきているように、痛くなってきているように、どんどん、そう思えてくるのだ。
なかなか寝つけず、そして、怖い夢を見た。
体が何かにぐしゅぐしゅと蝕まれていくイメージの夢。
その夜、おいらはどうやっても台風の目に逃げ込むことは出来なかった。
ああ、こころはいとも弱いものなのだ。
(がんと心と毎日と そのよんへ)
2006/10/17
がんと心と毎日と そのに がんになっちゃった
◇がんという病気は実に厄介である。
人それぞれ個性があるのと同じようにがんもまた、極めて個性の強い病気であるからだ。
あの人がこうだったから、この人もこの治療で大丈夫、ってゆうわけにわいかない。
最近の研究でわ、また、その人の個性が、何らかの形でがん発症のメカニズムに関係していることも否めないらしい。
個性の病気、そして個性からの影響。
それは「こころ」と「がん」の因果関係なのか?
「がん」になる「こころ」ってどおいう「こころ」だろお?
*****

「がん」イコール「死病」でわない。
がんを患って元気にしている知人だっていっぱいいる。
だからがんだって言われたって特別怖くはない。
なあに、たいしたことでわないかもしれない。
おいらの「感情を拒否する」という術は、いかにもこんな感じで第三者的に(吹き荒れる雨風を無視して)自分を捉えるかである。
そおして、その状況を少しでも長く保つには、第三者なりに、できるだけ情報を確保しなくてはいけない。
さらに、その情報のどこまでが事実であるのかを冷静沈着に見極めようとしなければいけない。
そう、あくまでもミスター・スポック、あの人である。
それがとりあえず、楽なのである。
こころの苦痛がとりあえずだが軽減されるはずなのである。
繰り返しになるが、おいらのこころはこころの危機の瞬間に際して、あえて必要以上の苦痛を選択しないよう危機管理されているらしい。
もし、仮に、感情が台風の目に入っていなかった場合は、たぶんこうだ。
『え?がん?!
先生はがんの可能性はほとんどないと言ったじゃないかっ!
どうしてくれるんだっ!』
高ぶった感情はいつもながらの(?)不毛な展開から始まることになる。
それはこころが非常に苦痛を感じるであろう展開を意味する。
がんである以上、いずれはその苦痛を味わうことになるのだが、告知、すわ、その展開、ではあまりにも救われようもない。
だが、まてよ?
このがんは治りますか?の問いに、もし、「治らない」と言う答えだったらどうだっただろう?
そのままこころは台風の目にいることが出来ただろうか?
がん告知の現場で患者側がその進行度を尋ねれば(ほとんどの場合、それはあり得るであろうシチュエーションであって)おそらく、お医者側としては、患者のこころの状況をどの程度把握しながらかはさておき、その時点での見解をちゃあんと答えてくれるであろう。
勿論、がんは単純に治る、治らない、といえる病気でわない。
がしかし、いまの西洋医学では「治らない」と診断されたがんはかなりの高確率で治らない。

果たして、そおいう告知も現実に在るのだ。
もし、それが答えであったなら、おいらは、おいらのこころはどうだったんだろう?
思えば、ああ、いくら感情の高ぶりを消したって、感情台風の目玉に逃げ込んで、どんな大掛かりなミッションを持ってして「こころ」の苦痛からしばし逃れようとしたって、現実の尺度にはとうてい叶わない。
こころはいとも弱いものだと、はかないものだと、あらためて思う。
それでも、そんな弱いこころで、はかないこころで、だましだまし、ダークサイドに取り込まれぬよう、アナキン・スカイウオーカーの轍(てつ)を踏まぬよう、踏ん張らねば、とも、思う。
*****
「治るのか?」の問いにおいらは「わからない」という答えをもらったわけだが、いずれにせよ、答えは2つしかない。
「治らない」か「それ以外」の2つ。
前記したように「治らない」の診断は治らない確率がかなり高いが、「それ以外」の診断はとてもあやふやである。
つまり「それ以外」というのは「わからない」のであるからして、今後、どうなるのかを含んでともかく、あやふや極まりないのである。
それでも、この時点ではこれで十分である。
初期がんではないけれど、現時点で転移がなければ手術ができる可能性ありだ。
手術が出来れば、これまた、何とかなる可能性ありなわけで。
台風の目の中で、こころは、十分、ぴん、しゃん、していた。
(がんと心と毎日と そのさんへ)
2006/10/15
がんと心と毎日と そのいち がんになっちゃった
◇えっと、ちょっとがんの話など。
*****
◇「組織はがん細胞でした。残念ですがすでに初期と呼べる段階でわありません。」
だったかどうか、定かでわない。
ないけれど、おいら的にわ、その時のお医者の言葉は、そおいう記憶になっている。
果たして、世間で言うところの『頭の中が真っ白になった』とか『気が遠くなった』ってことわ、まあ、無かったのだが。
いわゆる『がんの告知』である。
その日は2回目の気管支鏡検査の結果をせかして、日程を幾分早めての診察日だった。
と言うのも、その翌日から絶対はずせない3週間の海外出張が決まっており、とりあえず、病状の何たるかを知った上で出発したかったからだ。
結果、『がん』というのはまさしく、寝耳に水であった。
とりあえず「治る可能性わありますか?」とおいら。
この質問の記憶は正真正銘である。

11月後半からの微熱、背中の痛み、肺の影、肺炎、結核を想定した検査、診察、抗生物質での炎症緩和作戦。結果、年が明けて、自覚症状はなんとなく治まり、一件落着の様を呈しての確認CT検査の結果は、なぜか、肺の影そのものの衰えは無かった。
その後、お医者の困惑がはっきり伺える、まったくの無意味な一度目の気管支鏡検査の失敗。
さらに3週間後、件の再検査の結果までにわ、11月終わりからの通院も既に2ヶ月半が過ぎ、がんは元気に(?)育ち、それでも、おいら自身の中でわ「がんはなかろう」という何の根拠もない稚拙なバリヤーの擁立が不安を払拭していた。
いや、お医者先生の診断の見解が「まず、がんではなかろ」という方向性で2ヵ月半やってきていたのであって、おいら、お医者先生のお言葉からして、ならばまあ、と、まったく、そこが一途の根拠であったわけなのだが、が、しかし。
果たして、お医者先生の見解にこそ、どんな根拠があったかとなれば、いやはや、あやふや極まりない。
お医者先生にしてみれば「お医者が全部正しい診断が出来ると思ったら大間違い」らしい。
それを否定する気はない。正論である。正論であるが嬉しくはない。正論だけにそこの落とし穴にひっかかっちゃった自分が、まぬけで、実に愚かしい。
正論である以上、肺に影→お医者の見解がなんであろうが、病院中の笑いものになろうが、まず、「がんの細胞があるのかないのかはっきりさせる検査を願う」がその嬉しくない正論に準じた患者の第一の選択肢であったはずなのだ。
病気に対しての知識はお医者のように無いけれど、病気を患っているのは、あたりまえなのだが、患者本人である。
その自覚はどんな場合でも、絶対に欠かしてはならない第一義なのだ。
お医者と治療方針で対等を持する最低限の心得はこれにつきるのだろうと、今にして思う。
え?おいら?がん?えへ?
寝耳に水の告知、おまけに初めての経験で(初めてってえのも変だけど)「がん」という実感が無い、いや、がんって何たるかを感情が拒否しているようだった。
おいらはそおいう事がまあ、得意である。
へにょへにょ自慢でなんなんだが、おいら、ガキの頃から、そこそこな大型感情台風に襲われちゃった経験を積んできたので、そおいうときは無意識で台風の目に入っちゃう技を身につけているのだ。
感情の封印?
死んだ真似?
がんという病気の知識だって無いに等しい豆知識くらい。
それが果たして知識と呼べるものかどうだったかも、疑わしい。
ま、がんという病気を知っている、ってところぐらいだ。
その脆弱ながんの知識とがんの何たるかを拒否する感情とが、がっぷり四つに組み、(がん告知に対しての第一声)「で、治るのか?」だった。
台風の目にこそこそ入り込んでいた感情では「真っ白」どころか、なんの高ぶりすらなかった。
(がんと心と毎日と そのにへ)
2006/8/31
お病院はどきどきだ がんになっちゃった
28日と29日、定期診断があった。
術後、半年である。

◇おいらは名古屋第二赤十字病院でガンを切った。
手術から現在までの外科の主治医先生はとても優しいし、話もちゃあんと聞いてくれて、安心感もある。
お医者としての人格を備え持っている。
お顔立ちは手塚治虫的風貌でおいら好み。
やっぱ、お顔立ちは大事だでね。こおいうばやい。
もちろん、エビデンスのない代替医療に関しては、普通、多くの西洋医学のお医者がそうであるように、主治医先生、何の興味もなさそうだし、残念ながら、って言うし。
でも、おいらはこの先生、かなり、好きだ。
6月にセカンド・オピニオンとして帯津良一先生の漢方薬など、代替医療の診断、治療を受けたいと相談すれば、快く、すぐさま紹介状を作ってくれたりもしたのだ。
◇この病院への最初のきっかけは友人のお医者からの紹介で、呼吸器内科ってとこへ通ったから。
昨年末の結核じゃないか?ってやつからね。
んで、ガンが発見されて以後は手術を含め、呼吸器外科ってとこへ、現在も、定期的な検診で通っている。
手術前、おいらはおいらの担当だった呼吸器内科の先生を拒絶することにした。
それは、こいつからのがん告知を含め、本気でお前、そお言うか?お〜コラぁ!ってのがあって、そんで、それはまた、度重なって、とてもいや〜な思いをしたからだ。
おいらは、入院後暫く、病室にちょくちょく顔を出しては毒を吐く、そいつの病室への出入りを断った。ホントは、息の根も止めてやりたいくらいだった。
お医者は必ず全てが人格者でなければいけないわけでわ、ない。
お医者であろうが、警察官であろうが、政治家であろうが、学校の先生であろうが、隣の住人であろうが、出来れば、人格者であって欲しいと期待するのは勝手である。
でも、まあ、現実がそうであるように、人格者だけでわ、必ずしも、ない。
たまさか、自分の癌を告知するお医者が、人格者で無い場合もあるわけだ。
そんで、それわ、なかなか、嫌である。
なので、まあ、ぶん殴りもせず、息の根を止めもせず、最低限譲歩して、拒絶、だ。
が、しかし、手術以外のガンの治療は(抗癌剤とか放射線など)呼吸器内科の分野なので、もし、それをすることになると、そっちに戻っての治療なわけで。
あったりまえだけど、おいらは、この病院の呼吸器内科に戻る気は毛頭ない。
そうすっと、もし、その治療と言うことになれば、このまま、呼吸器外科の主治医の先生が診てくれるのだろうか?
果たして、おいらの運命や?
なあんて、患者にはそお言う弱みがあることもあって、酷なドクター・ハラスメントをも我慢してしまうむきもある。
ま、嫌ならさっさと病院を替わるだけだ。
やばいお医者を拒絶するぐらい、全然、まったく、構わない手段としようでわないか。

(長野で帯津合宿・夏バージョン!)
◇おいらは今の呼吸器外科の主治医先生に結果的とはいえ、手術を任せれた事、ほんとうによかったって思っている。
実際、ガンの告知があって7日後に手術をしたわけで、え?なに?え?ってなもんで、なんの準備も、ましてやガンの知識、手術のことなど、知りようもなかった。
つまりどこのだれがどんな手術をすることで、それがどうなるのか、他にどんな手立てがあるのか、いったいぜんたい、なにがなんなのか、思う間もなく、ただただ、不毛な時間が過ぎた。
情け無いようだけど、告知以後の毎日、日々、ガンに蝕まれていくイメージに苛まれることになり、一刻も早く取っちゃってくれえ〜って思うしかなかったし、実際、手の乾きや脇の痺れなど、手術前の数日、いやでもガンの進行を意識することとなって、とても怖かったからね。
退院後、そこそこ気分も落ち着いてから、(おいらは退院後20日くらい、このあたりは人によって違うと思うけど)ガンについてのいろんな本を読むことになるわけだが、告知後の患者は如何にすべきか、とか、治療方法はどう選択するとか、病院はどういう基準でとか、果たして執刀医は?とか、セカンドオピニオンの利用とか、げっ、そうなんかあ〜ってな話が山盛りあった。
告知後、すぐ、そおいう本を読む患者さんもいるんだろうなあ。
おいらはだめだったなあ〜ぐるぐるぐるぐるしただけだったなあ〜。
そんなんで、なあんも選択肢の無いまま、たまたま来ただけのこの病院でガンを切った。
そして、それは流れとわいえ、結果、良い主治医の先生に恵まれたわけで、これが、内科のバカ医者みたいのだったりしたら、ほんと、哀しいわけで、あらためて、ハラハラしちゃったりする。

◇で、胸部CT検査の結果。
先生は、うなずきながらパソコン画面を見入り、スキャン映像をスクロールさせる。
その様子をおいらは先生と映像と先生と映像と、んでまた先生、映像、と、交互に見る。
素人目でも、映像の中での右肺上部が見事になくなっているのがわかる。
否が応でも、どきどきする。
おいらのようなステージだと、原発箇所の早い再発がどうしても懸念されるんだそうで。
ううううう〜〜
どきどきするううう〜〜〜
先生「よっしっ!問題なし!半年、クリアー」
ふう。
半年で、肺の再発だけで、この緊張感かあ〜
先生「脳への転移の場合、一気に来る頭痛とか、それなりに自覚があるしね。大丈夫だよね?」
って、大丈夫なのか、こっちが聞きたいぜえ〜
2006/7/16
にんじん掌 がんになっちゃった
◇『ゲルソン療法』という厳格な代替療法がある。
ドイツのゲルソン博士が1930年代に開発、実践、世に知らしめた。
お塩を一切取らない。
生野菜ジュース(おもににんじん)を一日2,000〜3,000CC摂取。
砂糖、脂肪抜きの食事。
これらを柱にする、特殊な栄養療法、食事療法である。
がんを体全身の栄養障害、代謝障害と定義づけての考え方。
実際、エビデンスもあるようで、効果はかなり期待できるそうだ。
でも、本当に厳格な治療法なのですごい精神力など、要求される。
おいら、いろいろ本も読んだし、興味もすごくあるけれど、果たして、完全実践となると、今のところしり込みしてしまう。塩抜き、油抜き、ジュースの量など、毎日の生活の姿勢に密着する部分が多く、食事での治療に生活環境のかなりの比重を割く覚悟がなされていないからだ。
がしかし、今、おいらの実践している食事療法的なものと比較して、180度違うのかといえば、そうとも限らない。
厳密ではないがゲルソンに近い部分だってないことはないのだ。
にんじんジュースだって400〜500CCは一日に飲む。
そう。
にんじんジュースをそうやって飲んでいると、そおいう証が、でてくる。
なんだかこのごろ、掌が黄色いのだ。

最初は、げ、黄疸?って。
でも、食養内科の先生がおいらの掌を診て、ああ、にんじんジュース、やってるの?って。
そう、生のにんじんジュースを毎日毎日飲んでいると「てのひら」はカロチン反応で黄色くなる。すげえ。
こうなると、なんだか、もっともっと黄色くしたくなるおいら。
まあちっと、にんじん量を増やそうかにゃあ〜と密かに思いつつ、ゲルソン博士にひっぱたかれそうな、きょうこのごろで、ある。
2006/6/19
アンチエイジング がんになっちゃった
◇「抗老化」って意味なのだそうだ。
高齢化社会の健康スタイルって感じか?

(↑お気に入りの八つ頭の葉っぱ。すっげえ勢いなのだ。)
土曜日に「第1回アンチエイジング国際シンポジウム&エキスポ東京」っていうのに行って来た。
その会場で『ガン患者のアンチエイジングとは?ガンに負けない!ゆったり いきいき「スローヘルス患者学」のすすめ』という市民講座があったから。
関根 進さん(スローヘルス研究会会長)とか黒川 宣之さん(前「週刊金曜日」発行人)とか翻訳家の藤野 邦夫さんとか女優の宮崎 ますみちゃんとか、なかなか渋めのガン関係者による講演、ディスカッションという内容。
関根進さんは元週刊ポスト編集長でご自身のガン体験をベースに多数の本も出版され、日本のホリスティック医療推進の要に位置するお一人。
帰りがけにちょっとだけ直接お話が出来て「冬に入る前は死んじゃいやすいから気をつけないとね」ってニュアンスの一言が、さすが堂に入ったガン患者さんぶりで、おいらはとても感銘した。
んで、今回も思ったのだけれど、一言でガンと闘うって言っても、その内容は実に豊富だ。
いざって時は、まったく、あの方法、この方法と、試すにいとまが無さそうである。
それは関根進さんのいう「ガンとの闘いは情報戦」であり、それを知ることはまた、とても心強い。
そんなこんなのあっという間の4時間、とても良い市民講座でございました。

(↑玄米を発芽させ埋めておいたら苗になったのだ。田植えたうえ!)
◇おいらはそれほど世の中、「アンチエイジング」でなくても良いのでわないかと、思ったりもする。
自然に老いて行くのは良いねえ、と、思う。
おじいさんに腹筋やキントレはいらない、と、そんな感じでの思いだけど。
自分をだんだん、ああ、自分は自然の中の一部だったんだって感じれる、そんな老いが良いねえ、と思う。
普段から粗食とか散歩とか早寝早起きとか、普通で歳相応な自己管理をしながら「アンチエイジング」を意識せずに自然な老いに徹する。それがいいねえ。そんなんがいい。
んで「冬に入る前は死んじゃいやすいから気をつけよっと」って、そんな感じが、うん、実にいいと思うのだ。
2006/6/6
帯津良一というお医者 がんになっちゃった
◇先週末、長野の山の中で行われた、ホリスティック医療(従来の体だけの治療だけではなく、こころ、いのち、も含めた人間をまるごとを診てゆこう、というもの)での第一人者、帯津良一先生の養生合宿に参加した。
医療従事者が著する沢山のガン関係の書物の中で、やはり、群を抜いて、帯津良一流が輝いている。
そう思わない人もいるだろうけど、おいらはそう思うのだ。
西洋医学を尊重し、さらに、代替療法などの必要性を説き、なにより、患者一人一人の立場を尊重する。
そおいう、本来そうであるべく、お医者さんスタイルが帯津良一流だ。
おいらはすごく、帯津先生に会ってみたかった。
そんな折、帯津先生を囲んで二泊三日の養生合宿!
参加しない手は無い。
今回の合宿参加者はガン患者さんとそのご家族、他に帯津ファンの数名の看護士さんもいて、約40名。
合宿は帯津先生による講演、気功講習、座談会(といっても、実際の治療法などの質問や悩みを、全員が、皆の前で、先生とやりとりできる公開問診みたいな感じ)などがゆったりとしたカリキュラムで組まれていた。
こおいう集まりって、おいら、初めての経験で、なんだか雰囲気、渋いんじゃないかなあ〜ってちょいと思っていたりしたのだが、実わ、とおんでもない間違いだった。
皆、ガンになっちゃったよお〜って悲壮感など微塵もなく、なっちゃったけど、なっちゃったもんは仕方ないんで、何とかするぞ〜的な「まえのめり」感。
会場はめちゃめちゃなごやかで明るく、んでもって、なによりも、あらゆる場での思いやりが感じられたのだ。
帯津先生の言葉で言えば、ほんとうによい「場」であった。

んで、その、よい「場」の中心、帯津先生はなにがなんでも、素晴らしかった!!
帯津先生のガン治療はある意味、とてつもなく、パワフルなんだなあ〜と思う。
先生は今年で70歳になられるそうなのだが、ご自分の病院での診療、気功講座をはじめ、全国での講演、セミナー、執筆活動など、それはそれはエネルギッシュに動きまくっておられる。
そのパワーをまじかで感じるだけで、ともかく、気力がわいてくるってなもんだ。
ともかく、ガンはわからないのだ。良い意味でも悪い意味でも。
なおったり、なおらなかったり。
帯津先生だってそこのところははっきりしている。
ただ、他のお医者と違うのは患者の気持ちを萎えさせない。
代替療法にしても帯津流だと修行的な感はない。
食事療法ひとつをみても、まあ、たまにははめを外しましょう!と、ゆるい。
抗癌剤投与、放射線治療は良い方向への可能性がある場合、それをよしと判断する。
サプリメントや漢方、レメディー(ホメオパシーの丸薬)に関しては特効薬などあるものではない、としながらも、それでも、現状より一歩前進の兆しを求め、患者一人一人に自ら処方を施し、その追求を怠らない。
お医者が患者に最後まであきらめない方がいいとその意向を示すこと、たとえ、そのお医者自身が何も施す術がなくても、それが全てではないはずだ、と、あきらめない意向を示すことは悪いことだろうか?
おいらは絶対そうは思わない。

でも、現状の医療現場ではほとんどの場合、まるで、それが悪いことのように、その意向は示されない。
「残念ながら」「何もすることは無い」「もって半年です」うんぬん。
全てにおいてなおざりの一般論でくくる意味があるのだろうか?
お医者が患者の気力をそいでしまうことに何の意味があるのだろうか?
勿論、お医者は治療に全力を注いでくれる。
が、そこで力尽きたそのお医者の限界が、すべての患者の限界であるとお医者自らが判断することは絶対に間違ってるぞ、って思うのだ。
だって、多くの患者には最後まで限界など無いのだから。
そして、帯津流には、そこから、が、ある。
主体はあくまでも自分自身だ、という、考えが、そこには、ある。
帯津流はお医者と患者はそこからをそれぞれで診ていこう、という考え方なのだ。
気持ちだけで病気が治るなんて思っちゃいない。
でも、病人の気持ちがふさいでしまうことは、病人にとって、悪いことに決まっている。
お医者は、患者の気持ちを、気力を、萎えさせるようなことを絶対にしてはいけない、と、おいらは思う。
とても単純なことだと思うのに。
お医者は気力をそぐ以外の方法を患者に語ったとて、何のリスクもあるまいし。
そのお医者自身はこれ以上何も出来ないけれど、世の中にはまだまだ別の方法論からして自らの治療を自ら施す術はまったく無いわけでもない、と、語ることに、何のリスクがあるというのだ。
あらためてこの合宿で、おいら、帯津流のホリスティック医療に、計り知れない人間の「ゆるさ」を基盤とした、そして、とてつもなくパワフルな「気力」を感じた。
ガンは治ったり、治らなかったり。
それは仕方の無いことだ。
でも、病気の「こころ」はかならず、治る。
患者自身がそれを治癒することは、出来るのだ。
病気を治す、という一面には、そおいうことも在るのだと、思った。
そして、時として、それが、何より大事なことなのだ、と、思った。
今回の合宿でおいらはそう確信した。
帯津良一先生のやさしい笑顔の中で、そう、確信した。
きっと、みんな、そう、確信したに、違いない。
そう思うとほんとうに、嬉しくて楽しくなるから、なんだか不思議だ。
2006/5/26
まあ、そおいうことなら がんになっちゃった
23日の火曜日は退院後4回目の検診。
手術後85日だ。
検診といっても、先生が、どうですかあ〜ってな感じで問診。
おいらは「調子良いです」って答えて、先回の腫瘍マーカーは問題ありませんよ、って言われて、第一部は、そんでおしまい。
んで、胸部X線撮影に行って、血液とられて、出来上がった写真を持って再度先生のところへ。
ふむふむ。
良いですね。
肺もだいぶ膨らんできました。
あ〜背骨がかなり曲がっちゃったねえ〜
これで背中がつったり肩がこったりするのかもねえ〜
ま、肋骨、取っちゃってるから仕方ないけどねえ〜
(う〜むう。先月よりも曲がってる。)
これって、治せますか?
先生はいつものように「残念ながら」
次の検診は3ヵ月後でよいとのこと。そん時はCTスキャンの検診だそうだ。
3ヵ月後に背骨、ぐわああ〜って曲げ曲げにならんやろか?
まあ、これ以上曲がらんと思うけどねえ〜、と、先生。
背中のつりや肩こり、痛みは24時間、大なり小なりあって、慣れてきたとはいえ、そりゃあ、今より治まるに、こしたことは無い。
右腕も少しずつ使えるようにはなったものの、ほとんど筋肉は削げてしまった。
背中の40センチぐらいの傷跡そのものは、ま、ほとんど痛まないのだけれど、右肩、右背中、右胸を鉄板でぐるぐる巻きに挟み込んだような感触と、感覚の無い痺れは相変わらずだし、右腕だけでちょいと体を支えちゃった日にゃあ、筋肉注射を打たれたような激痛が右肩、腕の付け根にぎょおお〜〜って、はしる。
背骨のこともだが、その辺りの筋肉関係、神経関係、リハビリの方法など、やっぱ、気になる。
主治医の先生は「そのうちに慣れます」だからね。
で、かねがね計画していた「整形外科で聞いてみよう」作戦を実行することにした。
おいらが美容師だった頃、おいらのお店の近くで開院された整形の先生がおられた。
時々、お店にもこられ、おいらがカットしていたご縁で、その頃は懇意にさせていただいていた。でも、もう15年もお病院には行っていない。
その昔、食い意地の張ったおいらは、日本海で悪い雲丹のそばにいるサザエを採集中、指に悪い雲丹のトゲトゲがぶっささり、3週間もほうっておくものだから指がパンパンになってしまって、変色して、ううう〜〜〜ってなって、二進も三進もいかんくなって、その先生に救急で手術してもらっちゃったりした。

(↑今朝、カモのかわりに見つけた「いととんぼ」。え〜〜もうとんぼかよ〜)
15年ぶりの先生は、それでも、とても優しく、いろいろ対応してくださった。
背骨は大丈夫。
許容範囲。
腕の痛みやそのあたりのごちゃごちゃは、とにかく筋肉が硬直しているので、リハビリでぎゅうぎゅう伸ばしてやれ、と。
ま、そんなもん、命に別状は無いぞ、と。
先生はガンの再発防止をなんとかせねばいかんよ、と。
自己治癒力、免疫力、それが再発防止の要だよと。
ふむふむ。タバコだけじゃあない、説だ。
先生いわく、早く仕事に復帰してそこそこのストレスを持ちなさい。んで、がんがん食べて、肉でもなんでも、いっぱい食べて、体力をつけなさい。と。
そうしないと免疫力は低下しちゃうぞ、って。
ふむふむ。ありがたいなあ〜と、思った。
先生は先生の説をおいらに教えてくれる。
いろいろなお医者先生の本も読んだ。
いろいろなガン患者さんの生還記録も読んだ。
いろいろな人のお話も聞いた。
備わっている自然治癒力の話とかも含めて、お医者先生それぞれで、いろいろな意見や考え方がある。生還患者さんとて、そうだ。それは果たして、まぎゃくな話であったりも、する。
ガンは、結局、あんまりわからないのだろう。
科学では、あんまり、わからないのであろう。
治ったり、治らなかったり。
いろいろな話を聞けば聞くほど、そして、それが、まぎゃくな話であったとしても、おいらは、なんだか、ちょっと、安心する。
ま、結局はわからない、って感じて、ちょっと、安心するのだ。
ガンが再発しないためにがんばる。
ガンにおいらの主体を渡さないためにがんばる。
自分でやれることを、がんばる。
ガンは治ったり、治らなかったり。
がんばって、へこたれないように、がんばって、がっかりしないように。
ガンはわからないのだ。
そおいうものならば、へこたれても、がっかりしても、また、がんばれるかな、と思って、ちょっと安心できる。
整形の先生のお言葉どおり、リハビリをしっかりやって、ぼちぼち、少しずつ、仕事復帰だな。
先生、ほんとうに、ありがとう。
肉は、やっぱ、いらないけど。ふふ
2006/5/13
かってにかいぞう! がんになっちゃった
◇ここのところのおいら、御召し替えが多いのだ。
一日にいったいぜんたい何回の御召し替えか。
ちょっとした売れっ子タレントなみだ。
ま、汗かいて着替えるだけなんだけど。
手術の時、なんか、交感神経だか副交感神経だか(どっち?)に関連した肋骨を一部取っちゃっているので、左上半身が勝手に汗だくになる。
ちょいと知らん間に見事、汗だくになる。
んで、右上半身や右掌はまったく汗が出ない、ときている。
おかげで手のひら(右)はときどき、げげっ!ったくう〜干からびちゃっているのだ。

かなりの改造人間だ。
気分的にはキカイダーをイメージしちゃったりする。
半身汗だくと半身干からびのキカイダー。
なんかしょぼいヒーローだ。
悪いことにおいらは汗をかいてしばらくすると真夏でも氷のように肌が冷える。
この時点ですでに改造人間みたいなのだが、これはお病気になる前からだ。
一説ではこの体質がお病気を呼んだ説もあるくらいで、とにかく、冷え、は大敵なのだ。
だもんだから、術後は、冷えないよう、いつ何時でも、しっかり厚着をして靴下だって2枚も履いておる。
今日なんか、雨は降るし、ちょいと寒いので、長袖の下着、その上にまた長袖、んで、防寒ベスト、んで、ニットのカーデガン!
ももひきも必需品じゃ。
あったかいと術後の痛みも和らぐからね。
で、問題はお散歩。
そんなんで散歩に出かけるものだからまったく始末が悪い。

すぐさま、知らん間に、汗びっしょり!
なんたって、厚着との悪循環。
最近発見した家から歩いて『1,200歩』圏内(オムロン・HJ-108調べ)の本屋に着く頃にはすっかり氷の体が出来上がっているわけだ。
富豪刑事ならばお着替えのストックを持ったお供が付いてきたりするのだろうけれど、しょぼキカイダーな改造おいらの場合、ネコだってお供してくれない。
だいたい、いくらしょぼキカイダーといえ、本屋の前でまるまるっとふるちんお着替えは無理なのだ。
唯一、持参せしタオルをお腹の周りにまいてみたりする。
これがまた、大して保温効果もなく、実に、しょぼい。
せっかく1,200歩かけて本屋に辿り着いてもそそくさと帰らねばならぬ羽目に。
こんなキカイダーな改造おいらです。
なんかいい方法は無いもんでせうか?(そおいうコーナーかいっ!)