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2008/4/4
「第一部第一篇第一章第二節その7」
資本論第一巻
使用価値である上着やリンネルなど、簡単に言えばいろいろな商品体は、二つの要素の結合物、自然素材と労働との結合物である。上着やリンネルなどに含まれているいろいろな有用労働の総計を取り去ってしまえば、あとには常に或る物質的な土台が残るが、それは人間の助力なしに天然に存在するものである。人間は、彼の生産において、ただ自然そのものがやるとおりにやることができるだけである。すなわち、ただ素材の形態を変えることができるだけである
(13)
。それだけではない。この、形をつける労働そのものにおいても、人間はつねに自然力にささえられている。だから、労働は、それによって生産される使用価値の、素材的富の、ただ一つの源泉なのではない。ウィリアム・ペティの言うように、労働は素材的富の父であり、土地はその母である
〔21〕
。
(13) 「世界じゅうのすべての現象は、人間の手によってひき起こされようと物理学の一般的諸法則によってひき起こされようと、事実上の創造ではなく、ただ単に素材の変形であるにすぎない。結合と分離は、再生産の観念の分析にさいして人間精神が絶えず繰り返し見いだす唯一の要素である。そして、価値」(使用価値のこと、とはいえ、ヴェリはこの対重農学派論戦では、自分がどの種類の価値のことを言っているのか、自分でもわかってはいないのだが)「や富の再生産についても同じことである。すなわち、土地や空気や水が畑で穀物に転化される場合とか、人間の手によってある昆虫の分泌物が絹に転化される場合とか、あるいはいくつかの金属片が組み合わされて時打ち時計が組み立てられる場合とかがそれである。」(ピエトロ・ヴェリ『経済学に関する考察』――初版、一七七一年――所収、クストディ編『イタリア経済学者』、近世篇、第一五巻、二一、二二ページ。)
商品体=自然素材×労働。 細かい説明のあと、
労働は、それによって生産される使用価値の、素材的富の、ただ一つの源泉なのではない。
ウィリアム・ペティは
労働は素材的富の父であり、土地はその母である
という。
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投稿者: TAMO2
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