交換価値は、まず第一に、ある一種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、すなわち割合(6)として現われる。それは、時と所とによって絶えず変動する関係である。それゆえ交換価値は偶然的なもの、純粋に相対的なものであるように見え、したがって、商品に内的な、内在的な交換価値(valeur intrinse~que)というものは、一つの形容矛盾(7)〔contradictio in adjecto〕であるように見える。このことをもっと詳しく考察してみよう。
(6) 「価値とは、ある物と他のある物とのあいだ、ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換関係である。」(ル・トローヌ『社会的利益について』、所収『重農学派』、デール版、パリ、一八四六年、八八九ページ)。
(7) 「どんなものも、内的な価値をもつことはできない。」(N・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』、六ページ)。または、バトラーが言っているように、
「ある物の価値は
ちょうどその物がもたらすであろうだけのものである。」
〔The value of a thing
Is just as much as it will bring.〔19〕〕
交換価値は固定的でなく、時と場所で変わっちゃう。市場経済が全面化する時代の前、例えば封建時代においてはこの差異を利用して商人が利益を得ていたわけだ。だから、この時代にあっては、流通から剰余価値が生まれるように見えたわけだ。そうであるがゆえに、
商品に内的な、内在的な交換価値というものは、一つの形容矛盾であるように見えるんだな。先走ると、労働価値説ってのは、この偶然的なもの であることを否定するのだが。しかあし!ローマーらによると、この労働力っていう特殊な商品も、商品一般から左程区別されるべきものではなく、搾取される対象は労働力のみではない、すなわち、労働価値説は特殊状況で成立する(置塩の定理)というのが数理マルクス経済学で証明されちゃっているらしい。思いはレーニン・ローザ論争とか、ロマン主義の特徴づけに寄せてなどに飛ぶが、幾らなんでも脱線しすぎなので、暇があればコメント欄ででも。
そういうわけで、とりあえずは労働価値説にとってとても大事なところについて、説明を聞こう。
あ、こんな本があることをさっき、ネットで知った。
「マルクスのロビンソン物語」
http://item.rakuten.co.jp/book/1573760/
1−1−1−4を掘り下げているとのこと。

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