NHK ハートネットTV で放送されてました
岩崎 航 さん{詩人}
「生きるということ 進行性筋ジストロフィー」
とても強くて優しい凛とした方です。
お兄様も同じご病気で入院されてますが ご家族がとっても優しい
笑顔で温かい。。。素敵な方々だなって 向日葵畑の中にいるようなご家族です
何かを乗り越えたから、乗り越えようとしてるから、すべてを受け入れたから
私には想像もつかない苦しみと沢山の葛藤の中で
あんなに素敵でキラキラしている。
そんな岩崎さんの詩が 心根まで響いてきた。
生きるということを貫くと覚悟されるまでの葛藤や
孤独 不安 そして恐怖。その中から生まれてきたすべての言葉が
生きるということの意味のない答えを代わりに探してくれているように
感じた。
今日は火曜日、病院行って先生とお話して血圧を測りお薬を頂いて帰り
眠る日だ。もう5年も通ってると親戚みたいな感覚になるのも
困りもの汗 でもお薬が増えた分少し体がきついな〜太るし涙
また焦らずゆっくり減りますように。
では行ってきます!
素敵な岩崎さんのお話はまた明日^^
おはようございます!今日は雨ですね。
昨日の岩崎さんのお話のつづきです。
ー生き抜くという旗印 ―筋ジストロフィーの詩人・岩崎 航の日々―
■作者のこと■
1976年1月、仙台に生まれる。
岩崎航(いわさきわたる)の筆名で、詩や文章を書いています。
2013年7月に詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)を出版。
◇Twitter:
http://twitter.com/iwasakiwataru
◇note:
https://note.mu/iwasakiwataru
●岩崎航へのメールは↓
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※「♪」を「@」に置き換えて送信してください。
生きる
体に、障がいがなければ
生じることのないだろう
特有の出費がのしかかってくる
次々に、いくつもの経済上の闘いがあって
それらにも打たれながら
俺は今日も 包帯をとりかえる
兄さんは言った
衝突を
乗りこえて
行くのも
親孝行なんだよ
感謝の気持ち
岩崎 航さん HPより
── 写真家の齋藤陽道さんに
岩崎さんの詩集をいただいたんですけど、
素晴らしかったです。
岩崎 ありがとうございます。
── 何と言ったらいいのか、
「本当のことが、書いてあるんだなあ」
という感想を、持ちました。
岩崎 そうですか。
── ご両親についての歌が、ありますよね。
岩崎 はい、たくさん詠んでいますね。
母のことや、父のことは。
── 個人的には、とくに、それらの歌について。
岩崎 こういう身体でもあるので
やはり、いろいろ助けてもらってますから
感謝の気持ちを抱いているんです。
── ご両親に、感謝を。
岩崎 それはもう、生活していくうえで、日々。
── そういう、ご両親への感謝の気持ちって
いつごろから芽生えましたか?
岩崎 そうですね‥‥まだ若いころ、
ものすごく身体の調子が悪い時期があって。
吐き気が、ものすごかったんです。
生活のすべてが
吐き気に取り込まれているような感じで。
── 本にも書かれていましたね。
岩崎 あのころは、本当に苦しかったです。
で、そんなときに
両親が背中をさすってくれるんです。
── ええ。
岩崎 吐き気止めの薬なども、ぜんぜん効かなくて
どうしても
症状がおさまらなかったんですけど、
父と母が、
ずっと傍にいて、背中をさすってくれた。
そのときに、私は、自分が大変なときに、
傍に誰かがいてくれるということ、
背中をさすってくれるということ、
そのことが、本当に幸せなことだなあと
心の底から思ったんです。
自分の根っこのほうで、本心で、そう思えて。
── なるほど。
岩崎 そのときですね。
両親への感謝の気持ちが強くなってゆくのを
自分自身、感じたのは。
── 具体的には何歳くらいのころですか?
岩崎 20代の前半です。
── いや、あの、お聞きしたかったのは、
ご両親に反発することだって
ふつうにあったよなあ、ということなんです。
岩崎 ああ、それは、もちろんです。
人並みの親子ですから。
── ですよね。
岩崎 喧嘩もしますし。
── 反抗期だって、あったはずですよね。
岩崎 それなりに、なんでしょうけどね。
よく
「ご両親とは
喧嘩なんかされないでしょう?」とかって
聞かれるんですけど、
まあ、そんなことはないですよ。
だって、ただの、ふつうの親子ですもの。
── ぼく、岩崎さんと同い年なんですが
親に対する思いって
今でこそ、ありがたいなって思いますけど、
まだ若いころには
なかなか、持てないじゃないですか。
岩崎 そうですね。
未だに両親とは
衝突したり言い争ったりしてますけど(笑)、
でも、そんなものを超えて
「親心」という気持ちを持ってくれている。
今はそう、感じることができるんです。
だから、そういう喧嘩や衝突や言い争いを
ぜんぶひっくるめて、
親というのは、
本当にありがたい存在だなあって思います。
── では、苦しかった20代前半を越えてからは
徐々に、ご両親に対して素直になれたと。
岩崎 ええ、そのあたりから
感謝の言葉を素直に伝えられるようにも
なってきました。
‥‥ちょっと照れくさいなって気持ちは
やっぱりまだ、あるけど(笑)。
── 五行歌を書きはじめたのは?
岩崎 ですから、「そのあと」なんですね。
20代の半ばすぎくらいから。
── とすると、感謝の気持ちを
両親に素直に伝えられるようになったことが
創作をはじめる、ひとつのきっかけに?
岩崎 そうだと言えるかもしれません。
そのころには
「吐き気」に飲み込まれていた最悪の状況が
徐々に落ち着いてきていましたし。
自分自身、心持ちにも余裕が出てきて、
いろいろなことを
静かに考えられるように、なっていたんです。
── 岩崎さんの五行歌を読んで、まず思ったのは、
喜んだり、悲しんだり、楽しんだり、ヘコんだり、
「前へ進もう」と思ったり、
そういうことって
ぜんぶ「自分発」なんだなあってことでした。
岩崎 ああ、そうですか。
── 吐き気で苦しい、死にたいと思い詰めることも
やっぱり生きようと思い直すことも、
青空を見ただけで、うれしいと感動することも、
病気に思わされてるんじゃなくて
岩崎さんは、自分で、そう思っている。
いや、当たり前の話なんですけど。
岩崎 でも、それは、本当にそうですね。
たしかに、吐き気に支配されていたときは
創作どころではなかったです。
でも、このまま、自分が何もせぬまま、
漫然と時間を過ごしていくのかなあと思ったら、
それは絶対に嫌だと思ったんです。
「何かをしたい、しなければ」と、思った。
── はい。
岩崎 でも、それまでの私は、ほとんど家のなかだけ、
ごく限られた人たちのあいだだけで
生きていたんですが
この先、自分の将来を考えたら
「こんなんことじゃあ、絶対にダメだ」って。
── もっと、人と関わっていこうと。
岩崎 はじめは、とても怖かったです。
── 人と関わるのが?
岩崎 はい。実際、すごく苦痛も感じました。
だけど、いつまでも、そんなことを言っていたら、
私はこの先、生きていくことができない。
そう思って、いろいろな人と関わっていく努力を
はじめてみたんですね、自分から。
── 誰かに促されたというより。
岩崎 ええ、自分で、そうしなければと思った。
ずいぶん疲れましたし、大変だったんですけれど、
訪問介護の方に来ていただいたり、
少しずつ、少しずつ、挑戦してみたんです。
── はい。
岩崎 そうしたら、
狭かった自分の世界が広がっていったんです。
人と会って話し、出会いを重ねていくことで、
自分自身が変わっていくのが、わかって。
── すごいもんですね、人と会うとか、話すって。
岩崎 本当に、そう思います。
そして、そのときに、
これまでお世話になってきた人たちや
両親に対して
感謝の気持ちを伝えたいなあと、思ったんです。
── じゃあ、
感謝の気持ちを素直に伝えられるようになって、
感謝の気持ちを伝えたいとも思うようになって、
そのことが、五行歌の創作につながっていった。
岩崎 はい。
<つづきます>
── 岩崎さんの『点滴ポール』のなかには、
何度も何度も
「生きる」とか「生き抜く」という言葉が
出てくるじゃないですか。
岩崎 はい。
── 難しい質問だとは思いつつ、
それって、どういうことだと思いますか?
岩崎 私も「こうだ!」と断言できるような言葉は
まだ持ってないんですが
これだけは言えるということがあるとすれば
「生きていてよかった」ということです。
── あんなに苦しい思いをしながら。
岩崎 自分が、この歳になるまで、
こういう身体で生きてきたわけですけれど、
途中途中では
死にたくなっちゃうこともあったんです。
── 17歳のときの「家人のいない、ある日の午後」、
「目の前にナイフがあった」と、本にも。
岩崎 でも、私は「生きよう」と思い直しました。
そして、そうやって生きてきて思うのは
やっぱり、
「生きていてよかった」ってことなんです。
── そうですか。
岩崎 苦しいことはたくさんあるし、
身体も、どんどん不自由になってきているし、
できないことは
もう、山のようにあるんですけど、
でも、それでも、
「ああ、生きていてよかった」って、
心から思うので。
── どういうときに、そう思いますか?
岩崎 外へ出て、青い空を見ているときとか‥‥。
── に、「生きていてよかった」と?
岩崎 思いますね。
── そういえば『点滴ポール』の最初のページに
詠まれているのも「青空」の歌でした。
岩崎 あれを書いたのは、かなり初期です。
年に数度しか家を出られなかった時期が続き、
病院と自宅のあいだを
行ったり来たりしていた最悪の状態が
すこし、落ち着いてきたころで。
── ええ。
岩崎 病院へ行くときって
介護タクシーを呼んでもらうんですが、
あるとき、
ストレッチャーに乗せられて家を出た瞬間に
見えたんです、空が。
寝かされているから、見えるじゃないですか。
それが、ものすごい青空だったんです。
── そんなにも「青空」でしたか。
岩崎 もしかしたら
年に数度しか外に出られない時期だったので
なおさら、そう感じたのかもしれません。
でも、そのときは、
なんて青い空なんだろうと、思いました。
── で、その青空を見たときに
「生きていてよかった」‥‥と?
岩崎 うまく言えないんですけど
「私は、このなかで、生きているんだ!」
という実感がありました。
「青空をふくめた全体」というか、
「この真っただなかで、私も生きている」
というような。
その感動が、強烈な感動が、ありました。
── 感動。
岩崎 ほんの一瞬のことだったんですが
広くて青い空に吸いこまれる‥‥というか、
融け込んでゆく‥‥というか。
感動というと
みじかい言葉で終わっちゃうんだけれども、
心を貫かれたんです。
── その、なんでもない、青空に。
岩崎 そう。
── 人が「生きたい」
「生きていてよかった」と思うきっかけって、
なんとも不思議なものですね。
岩崎 本当ですね(笑)。
── もし、その日が曇ってたりしたら‥‥。
岩崎 どうだったでしょう。
あんなにも青い空だったからこそ、
感動したんだってことは、たしかですから。
── そう思うと、太陽ってすごいです。
岩崎 ほんとに(笑)。
日の光を浴びたり、風に吹かれたりするだけで
心地よくなりますものね。
── 若いころは「生きる」ことって
あんまり深くは、考えてこなかったんです。
ただばくぜんと
死ぬのは嫌だなとは思ってはいたんですが。
岩崎 ええ。
── でも、いつかは自分も死ぬじゃないですか。
「明日も生きるし
たぶんあさっても生きるんだけど、
そのうち
いなくなるんだよなあ、俺も」
というふうに思うと、
なんだか不思議な気持ちになったりします。
岩崎 そうですね。
人それぞれ、きっかけがあると思うんです。
僕の場合は、たまたま、こういう病気で、
若かったころは
「生きる」について何か考えるというより、
自分の十何年の人生が
すでに「余生」としか思えなかったりして。
── ええ。
岩崎 でも、あの日、あの青い空を目にしたことで、
「生きる」ということについて、
あるいは
「生きることのよろこび」について、
模索するようになったんです。
── なるほど。
岩崎 たとえば、車いすに乗って、外へ出たとき。
家族や友人など、自分が安らげる人たちと、
おしゃべりというかな、
何気ない会話をして、くつろいでいるとき。
そんなときに、人間らしく生きているなあと
実感できるようになってきました。
── 特別なことじゃなく、ふだんの生活のなかで。
岩崎 そう。そして、そういうときに、
私は「生きていてよかった」って、思います。
つらいとか、
苦しいってことは、もう当たり前にあるし
深く考え込んでしまって、
もう八方塞がりの状況になったりもします。
だけど、
そうやってでも「生きている」こと自体が
言葉で言うと簡単ですが
本当に素晴らしいことなんです、私には。
── でも、そうは言っても、
気分が落ち込む日だって、ありますよね。
岩崎 ええ、ありますね。
悪いことをいっぱい考えて(笑)、
落ち込んでしまう日もあるんですけれど、
そんなときはやはり、
人とのやりとりが、助けてくれます。
── 具体的には、どのような?
岩崎 両親、家族、友人はもちろんなんですが、
私の五行歌を読んだ人が
コメントやメールをくださったりするんです。
「自分にもつらい状況があるけど、
あなたの歌を読んで、力をもらいました」
というような言葉をくれたり。
── ええ、ええ。
岩崎 それを読んだからといって、
今、自分の抱えているつらさや苦しみが
解決するわけではないんだけれど、
だけど、
「やっぱり、がんばろう」という意欲や
「生きていこう」という気持ちが
身体のなかから、湧いてくるんですね。
私のほうも、力をもらっているんです。
── なるほど。
岩崎 だから今、誰かに
「生きていてよかったですか?」って
もし聞かれるなら、
私は、
もう即座に、
「生きていてよかった」と言いたいです。
「生きてるだけで素晴らしい」って
本当のことだって、もう知ってますから。
<つづきます>
── 岩崎さんの『点滴ポール』の最後に、
「この本作りは
37歳にして、はじめての『仕事』です」
とあったのが、とても印象的でした。
岩崎 それまで、はたらいたことが、なかったので。
── どうでしたか、はたらいてみて。
岩崎 やはり、好きな五行歌を書くということでも
「仕事でやる」となると、
いままでとは、ぜんぜんちがうことでした。
── それは、どんなところが?
岩崎 まず仕事ですから、厳しい面があります。
ナナロク社の担当の村井さんに
いろいろと、アドバイスをいただいたり、
真剣な「打ち合い」をやりました。
── いわゆる、ダメ出しとかも?
岩崎 ありましたね。詩とか五行歌について
考えたり、悩んだりすることばかりでした。
── そこでは「プロ」としてのアウトプットを
要求されていたってことですね。
岩崎 だから、全力を尽くしました。
そのぶん「仕事をしている」実感‥‥というか、
充実感を味わうことができました。
ちょっと身体が大変でも、
仕事を優先しなければならないこともあって。
── 締め切りとかに、追われたりも?
岩崎 しましたね(笑)。
あと、
「なんとしても、答えを出さなきゃならない」
という経験は
「仕事」とか「はたらく」ならでは、ですね。
── ご自身のブログに
締め切りとかもなく書いていたときとは‥‥。
岩崎 緊張感が、ぜんぜんちがいます。
やっぱり、何かをつくろうと
一生懸命「はたらいている」わけですから、
なんとしてでも、これを‥‥
という気持ちが生まれてくるんです。
── 妥協できないぞ、みたいな。
岩崎 私なりに「いい仕事がしたい」と思って
全力で、取り組みました。
身体の疲れすらも「仕事の実感」でした。
がんばりすぎて、
すこし具合が悪くなっちゃったりしたときも
あったんですけど(笑)、
でも、それだって「仕事のうち」でした。
── たのしかった、ですか?
岩崎 たのしかったです。
── 「はたらく」とか「仕事」って、
なんなのかなあって、よく考えるんです。
岩崎 そうですね‥‥はじめてはたらいてみて、
思ったのは
「仕事をする」ということは、
「生きる」ってことだな、ということで。
── あ、そう思われましたか。
岩崎 だって、そこでは、まさに私は
「生きていることを、している」感じだったから。
つらいことや苦しいこともたくさんあるけど、
たのしくて、幸せなこと‥‥というか。
── あの、岩崎さんは仙台在住ですけど、
東北の地震のあとに
一時的に「詩が書けなくなってしまった」と
本に書かれてましたよね。
岩崎 ええ。
── それって、どういう感覚だったんでしょう。
はたらくことが「生きること」だとしたら
岩崎さんにとって
詩が書けなくなってしまうというのは‥‥。
岩崎 あれはもう、絶望的な状況、でした。
── 書けない、というのは。
岩崎 それをふくめた、震災全体の状況が、ですね。
でも私自身は、多くの人のおかげで、
僥倖のように、「生きる」ことができました。
── そうだったんですか。
岩崎 私、地震で停電すると、困ってしまうんです。
人工呼吸器って電気で動いているから。
── 実際、電気は‥‥?
岩崎 震災当時、マンションに住んでいたんです。
両親やヘルパーさんが、
私のことを、必死に護ってくれたんですが、
やはり、停電が起こりました。
── ええ。
岩崎 119番に電話をかけたんですけど
地震による影響で
まったく、つながりませんでした。
大変なことになるって思ったんですが
自分では、どうすることもできない。
でも、そのとき、
たまたまマンションのようすを見に来た方が
玄関から声をかけてくれたんです。
── 大丈夫ですか、と?
岩崎 別に救援活動の仕事をしていたわけではない、
ふつうの、一般の方だったんですが
人工呼吸器に電気が必要だという事情を
お話ししたら、
外に、救急車を探しに行ってくれたんです。
── その人が?
岩崎 そう。
── 震災直後に救急車って、見つかるものですか?
岩崎 もう、本当に、ものすごく、
走り回ってくださったんだろうと思います。
どこでどうやって見つけてくださったのか
わからないんですが、
何時間かあとに、連れてきてくださった。
── すごい。
岩崎 だから、その方のおかげで、助かりました。
緊急時のバッテリーが切れる前に
救急車で電源確保することができたんです。
── 本当に、奇跡的というか。
岩崎 その方の家族や知り合いだって、
少なからず、大変な状況だったと思います。
でも、目の前の私を、助けてくれたんです。
── まさに命の恩人ですね。
岩崎 私自身は、そうやって助けていただきました。
でも、今度は、地震の被害の全体状況が
わかってくるにつれて
心を「暗黒のかぎ爪」で掴まれてしまいました。
歌を詠むなんてできなくなりました。怖くて。
── 怖いというのは、具体的には‥‥。
岩崎 震災に、自分の言葉で触れるのが、怖くて。
── なるほど。
岩崎 それからひと月、歌を詠みませんでした。
そうしているうちに、
詩を通して出会った、東京に住む友だちが
訪ねてきてくれたんです。
そして、私が歌を書いてないって知ると
「今こそ歌を書くときだ」って、
「今書かないで、いつ書くんだ?」って、
そう、言ってくれたんです。
そして、その言葉を聞いたら
なぜだか、
こわばっていた心が解けていったんです。
── また、書けるようになった?
岩崎 ひとつの大きなきっかけに、なりました。
── はじめは、どのような詩を?
岩崎 そうは言っても、葛藤は続いていたんです。
ですから、いちばん最初に詠んだのは
「もう言葉が出ない、書けない」
という状況自体を歌ったものになりました。
── なるほど。
岩崎 でも、それから徐々に
自分自身が感じたことや、体験したことを
書けるようになっていったんです。
── その、「書け」と言った人もすごいですね。
あの地震の揺れを体験した人に対して、
簡単には言えないと思うんです。
強い信頼とか覚悟がなかったら、簡単には。
岩崎 ですから、
はたらくことが「生きること」だとすれば
「今書かないで、いつ書くんだ?」って
言ってくれた友人は
もうひとりの、命の恩人なんだと思います。
── いまのお話を聞いていたら
「はたらく」というのは「希望」ということに
とても関係しているように感じました。
岩崎 そうですね、たぶん「希望」というのは
「これからも、生きていくんだ」
という気持ちのことだと、思うので。
── なるほど。
岩崎 きっと「はたらく」には
「自分自身の足で歩いていくこと」が必要で、
そしてそれは
「生きるたのしさ」そのものだろうなあって、
そんなふうに、思います。
── でも‥‥そうは言っても、
ついつい「怠け心」が出ちゃうなんてことも
あったりします‥‥か?
岩崎さんも、僕らみたいに。
岩崎 もちろん、ありますよ。
── そこをふくめて「はたらく」ですものね。
‥‥と、怠惰な自分を
正当化するわけじゃないんですけど(笑)。
岩崎 (笑)
<おわります>

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