Saine-Saint-Denisの後半です。
午後は、Saine-Saint-Denis県が主催する、「国際平和の日」行事です。
メインゲストは、被爆者の山田玲子さん(
小学生の時に、爆心地から2.8qの広島市己斐町の小学校で手旗信号練習の休憩中に運動場の砂場で被爆)と、アウシュビッツの生き残りのJules Fainzangさん(
1922年生まれ、42年3月に捕まり、アウシュビッツ第三収容所=モノビッツ収容所に送られました)です。
ジュールさんの証言は、こちらで聴けます:
http://www.tv5.org/TV5Site/auschwitz/fainzang.php?url=http://213.41.65.178/akamareal/tv5/auschwitz/fainzang1.rpm

山田さんの通訳は、
美帆シボさんです。
彼女は、フランス在住の平和活動家です。
こちらにプロフィールが載っています:
http://www.izu.co.jp/~jintoku/miho.htm
マラコフ市で広島長崎研究所というのを、仏人の夫とやっています:
http://www.ihn-france.org/index.html
右から二人目の女性は県議会副議長のClaire PESSIN-GARRICさん。彼女も、去年広島・長崎に来ました。
続いて、去年広島・長崎を訪れた「
平和のメッセンジャー」3人が発言しました。

Yvan(イヴァン、右端)

Bastien(バスティアン)

Sabah(サバ)
彼らは、それぞれの立場で、広島・長崎の「記憶の義務」を果たしているのです。

Julesさんの発言を翻訳する僕
あんなのメモによると、以下のことを言っていたそうです。
自分で訳しておきながら、記憶にないのです。。
「ユダヤ人の生き残り。車両の中に入れられていた。3日3晩列車の中にいた。4日目にドアが開いた時、みんな重なり合って倒れていた。
ドイツ人が銃を向けていて、この世の最後のように思った。5つの強制収容所以外に40くらいの強制労働所があった。
番号ごとに「シャワー」を浴びろと言われた。天井には2つホースがついていて水が出てくるのだと思った。
何日も列車の中にいたから水とかシャワーと効いただけでも嬉しくて走り出す。
雪の中を裸でころがって逃げた人もいた。
1,000人連れて行かれたうち自分も含めて8人しか生存者はいない」
「もう退職して時間はいっぱいあるので、こうやって語り続けているのだ」といっていた気がします。84歳には見えないですね。

それを聴くひろやとあんな
僕も発言の機会をいただきました。
この日は、前日に、「憲法(9条)改悪」を公約に掲げていた安倍が自民党の総裁選挙で勝った日でした。そこで、「9条の危機」を訴えました。
「
9条は、ここで今被爆者や元収容者が語った多くの犠牲の上につくられた、人類的価値のあるものです。それが今変えられようとしています。どうぞみなさん、地域で、職場で、学校で『9条の会』を結成して、9条の精神を広げてください」
と言ったような気がします(なにせ、もう2ヶ月も前のことで、記憶が定かではありません…)。

「あ、とぅーたんだー!!」

「有名人」とツーショット?

はい、おねえさんにも、「LOVE 9」シールとバッジをあげるね
中学生達は、折鶴に興味津々。
バッジとシールも全部なくなっちゃいました。
引率の先生達は、次の予定に進めなくて困惑気味でしたが、こういう交流ができて、子ども達にはよかったでしょう。
以上で「公式行事」はおしまいです。
本当に中身の濃い「平和の旅」でした。
ちゃんと、「9条の精神」を輸出できたかなあ?
今回の反省を、次回に生かしたいですね。

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