川上貞奴は自分の仕事が一段落したと感じた頃、若いころから信仰していた不動明王を祀る寺院の建設にとりかかり、昭和8年(1933)63歳を迎えた年に、私財を投じて岐阜県各務原市鵜沼に貞照寺を建立した。(現在は「成田山貞照寺」であるが、建立当時の寺の名は「金剛山桃光院貞照寺」であった。福沢桃介の“桃”と貞奴の“貞”を組み込んでいる。)
現在の貞照寺は、檜造りの本堂を取り囲むように仁王門、鐘楼堂、庫裡、縁起館が建つ壮麗な寺院である。銅板瓦の緑が周囲の松の緑に映えて、奥に鮮やかな景観をつくり出している。
桃介は、この寺が完成したときに一度訪れただけで、昭和13年(1938)年2月15日に永眠した。享年70歳であった。
貞奴はその8年後の昭和21年(1946)12月7日、熱海の別荘で75歳で没し、この貞照寺に葬られた。境内のひっそりとした一角には貞奴のねむる霊廟があり、福沢桃介が建設した大井ダムに向って観音像が立てられている。
貞照寺境内の玉垣には、建立費を寄付した中村吉衛門や尾上梅幸、松本幸四郎といった当時の名優の名前が刻まれている。貞照寺は現在も芸能の寺として多くの芸能人の信仰を集めている。
貞照寺を建立したとき、門前に別荘として萬松園を建設している。木曽川を見下ろす場所に、一部二階建ての数寄屋造り・わらぶきの民家風のモダンな建物である。約25室あり、洋風のサンルームのほか、建物の細部まで意匠が凝らされ、貞奴の生活の一端を垣間見ることができる。
長く都築紡績の所有となっていたが、現在、「創寫館」が管理し、隣接した敷地に「サクラヒルズ川上別荘」という結婚式場が作られている。

貞照寺本堂。

本尊不動明王。全高180cm、一木造り 昭和5年6月完成。

本堂の周りに貞奴が、お不動さんのおかげで苦難を乗り越えた場面がレリーフとなって刻まれている。この場面は音二郎とともにボートで海に乗り出し,海驢(あしか)の襲撃を受けた場面である。

貞奴の墓所。福沢桃介が建設した大井ダムに向って観音像が立てられている。

貞奴縁起館。貞奴の遺品が数多く展示されている。

「萬松園」は「川上別荘」と名を改め11月開園の予定であったが、大幅に遅れ来年4月になりそうだという。

「晩松園」と一般的には記載されているが、「貞奴縁起館」の額には「萬松園」とあり、茅ヶ崎も鵜沼も同じ字を使用している。

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