服部鉦太郎の『明治の名古屋』(泰文堂 昭和43年刊)を読んでいたら、前に取り上げた愛知県令國貞廉平の記事が何ヵ所か出てきた。
國貞廉平(名は景庵、字は士直、号は韓山)
1842年(天保13)の生まれ。
1877年(明治10)、愛知県参事から大書記官に昇進。
1880年(明治13)、愛知県令に昇進。38歳の若さである。
ところが、5年後の1885年(明治18)1月18日、県令在任中に没している。当時の「蓬風」という資料に“一軍人に斬殺さる”とあり、暗殺されたようである。矢場町の政秀寺に葬られた。

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