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2009/7/23

奈良観光:F【世界遺産】奈良の大仏「東大寺」  旅行

7番目に訪れたのは東大寺。「奈良の大仏」で有名ですね。

境内はとても広く見所満載ですが、歴史的背景もなかなか興味深いものがあります。
ここに全部書くとすっごく長くなるのでこれまたウィキペディアを参考にしてください。
こちら→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA

東大寺 http://www.todaiji.or.jp/

住所:奈良県奈良市雑司町406-1 地図はこちら
JR奈良駅、近鉄奈良駅(この2つの駅は違う場所にある)より
奈良交通市内循環バス外回り系統で「大仏殿春日大社前」下車徒歩5分


東大寺とは:byウィキペディア
「金光明四天王護国之寺」(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。
「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、
開山(初代別当)は良弁僧正(ろうべんそうじょう)である。

東大寺のはじまりは、神亀5年(728)、聖武天皇の皇太子、基(もとい)王の菩提を追修するために建てられた金鐘山寺(きんしょうせんじ)。
その後、金鐘山寺は大和国の国分寺に充てられ、金光明寺とも呼ばれるようになった。

奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約100m)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。
現存する大仏は、台座などの一部に当初の部分を残すのみであり、現存する大仏殿は江戸時代、18世紀初頭の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。
「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の本山にあたる「総国分寺」と位置づけられた。
1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

歴史的背景
聖武天皇が位についていた8世紀前半、すなわち天平時代の日本は
天然痘・飢饉・天平6年(734年)の大地震、乱など決して安定した状況にはなかった。
そこで聖武天皇は天平13年(741年)の詔で、国ごとに国分寺と国分尼寺を造ることを命じ、
東大寺は大和国の国分寺であるとともに、日本の総国分寺と位置づけた。
この国分寺造立の思想的背景には「金光明最勝王経」の信仰がある
日本に仏教が伝来したのは6世紀前半。聖武天皇の時代には仏教伝来からすでに2世紀が経過、平城京には元興寺、薬師寺、興福寺などの大寺が建立されており、歴代の天皇は仏教を篤く信仰していた。
こうした政教一致ともいうべき国家体制のなかで重視されたのが、国を護る経典である「金光明最勝王経」(10巻、唐僧の義浄訳)であった。
同経の説くところによれば、この経を信じる国王のもとには、仏教の護法善神である四天王が現われ、国を護ることになっている。
聖武天皇は、日本のすみずみにまで国分寺を建て、釈迦像を安置し、金光明最勝王経を安置することによって、こうした社会不安を取り除き、国家の安定を図ろうとする意図があったものと思われる。

だが、このような大規模な建設工事は国費を浪費させ、日本の財政事情を悪化させるという、聖武天皇の思惑とは程遠い事実を突き付けた。実際に、貴族や寺院が富み栄える一方、農民層の負担が激増し、平城京内では浮浪者や餓死者が後を絶たず、租庸調の税制が崩壊寸前になる地方も出るなど、律令政治の大きな矛盾点を浮き彫りにした。

奈良の大仏 盧舎那仏(るしゃなぶつ)
まず東大寺、その後大仏造立である。聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われた。
大仏は当初、奈良ではなかった。天皇が詔を発した天平15年(743年)の都は恭仁京(くにのみや 京都府相楽郡加茂町)。その北東に位置する紫香楽宮(滋賀県甲賀市信楽町)に造られる計画であった。
しかし、いらした紫香楽宮の周辺で山火事が相次ぐなど不穏な出来事があったために造立計画は中止され、都が平城京へ戻るとともに、現在、東大寺大仏殿がある位置での造立が開始された。

盧舎那仏は、華厳経(西暦400年前後に中央アジアで成立し、中国経由で日本へもたらされた仏教経典)に説かれる仏で、華厳経に言う「蓮華蔵世界」の教主である。
聖武天皇は日本の総国分寺である東大寺に廬舎那仏を安置することによって、日本の国土を華厳経の「蓮華蔵世界」のような理想的世界にしようという意図があったものと思われる。

大仏完成後数十年にして亀裂や傾きが生じ、斉衡2年(855年)の地震では首が落ちるという事故
その後大仏および大仏殿は、源平争乱期と、戦国時代の2回、兵火で焼失している。
2回目の焼失後、大仏殿はとりあえず仮堂で復興したが、それも慶長15年(1610年)に大風で倒壊し、大仏は仏頭が落ち、雨ざらしの無残な首無し状態で数十年が経過した。
その後の大仏の修理は元禄4年(1691年)に完成し、再建大仏殿は公慶上人(1648年-1705年)の尽力や、将軍徳川綱吉や母の桂昌院をはじめ多くの人々による寄進が行われた結果、宝永6年(1709年)に完成した。

現存する大仏は像の高さ約14.7m、基壇の周囲70mで、頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代から室町時代の補修であるが、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部天平時代の部分も残っている。台座の蓮弁(蓮の花弁)に線刻された、華厳経の世界観を表わす画像も、天平時代の造形遺品として貴重である。

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クリックすると元のサイズで表示します 奈良といえば鹿だね

クリックすると元のサイズで表示します 国宝 南大門
平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、
鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの
門内左右には金剛力士立像(国宝)と石造獅子1対(重文)を安置する。

クリックすると元のサイズで表示します 中門と大仏殿が見えてきた
手前に見えるのが中門(重文)。
金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造の楼門(2階建ての門)。享保元年(1716年)頃の再建

クリックすると元のサイズで表示します 国宝 金堂(大仏殿)
現存の大仏殿は3代目。正面の幅(東西)57.5m、奥行50.5m、棟までの高さ49.1m。
高さと奥行は創建当時とほぼ同じだが、幅は創建当時(約86m)の約3分の2になっている

クリックすると元のサイズで表示します 国宝 盧舎那仏(るしゃなぶつ)
クリックすると元のサイズで表示します 大仏の裏側

クリックすると元のサイズで表示します 虚空蔵菩薩坐像
クリックすると元のサイズで表示します 如意輪観音菩薩像
如意輪観音坐像・虚空蔵菩薩坐像(重文)
大仏の左右に脇侍として安置される。これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造。
如意輪観音像は元文3年(1738年)頃の完成、
虚空蔵菩薩像は遅れて宝暦2年(1752年)の完成。

クリックすると元のサイズで表示します 広目天像
四天王のうち西方を守る神。持っているのは筆と経巻。
クリックすると元のサイズで表示します 多聞天像
広目天と多聞天像は寛政の時代に完成

クリックすると元のサイズで表示します 頭2つ
堂内に展示された持国天像と増長天像の頭部。
この2体は完成することなく素木(しらき)の頭部だけが残されたそう。

クリックすると元のサイズで表示します 柱の穴から子供が
金堂(大仏殿)の柱の穴をくぐると、子供の寝小便とか厄除けに効き目があるそうな

クリックすると元のサイズで表示します 国宝 二月堂
旧暦2月に「お水取り」(修二会)が行われることからこの名がある。
寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物。

クリックすると元のサイズで表示します 二月堂の上

クリックすると元のサイズで表示します 二月堂からの眺め

その他、写真はないが、三月堂がある。
東大寺法華堂(三月堂、羂索堂)
  境内の東方、若草山麓にある。東大寺に残る数少ない奈良時代建築の1つであり、
  天平仏の宝庫として知られる。東大寺の前身寺院である金鐘寺(こんしゅじ)の
  羂索堂(けんさくどう)として建てられたもので、記録により天平15年(743年)
  までには完成していたと思われる。
  内部には奈良時代彫刻の優品が多く安置されている。また、鎌倉時代の復興期には、
  重源に重用された慶派の仏師による彫像群が造られ、興福寺のとともに、
  大変に重要視されている。

またしても説明が長くなってしまった。
その後正倉院も見に行ったが、残念ながら見学時間を超えていたので観れなかった。残念。

この中で一番気に入ったのは大仏や大仏殿ではなく、二月堂

これにて奈良観光は終了。もうくたくた。
次はこの日の宿泊先、クラシックホテルの「奈良ホテル」について。

ちなみに 前に奈良へ来た時に泊まった宿はこの東大寺の前にある「観鹿荘」。
というか、ほぼ境内にあるといっていい位置。
東大寺別院を移築した純和風旅館だ。お庭がとてもきれいで観光にはとても便利だった。
夜のライトアップ、早朝の散策がとてもよかったのを覚えている。
観鹿荘 http://www.kankaso.jp/index.shtml
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