2009/5/19
鹿児島県の「霧島神宮」 旅行
桜島の次は霧島市まで戻り、霧島神宮へ。
古事記の世界。過去には宮崎県の天岩戸神社、
高千穂神社、槵触神社(くしふるじんじゃ)、鵜戸神宮 へ行っています。
ここで、古事記とは何ぞや?
・・・を書けるようなワタクシではないので詳しく知りたいかたは↓を参考にしてね。
日本神話の御殿 http://nihonsinwa.at.infoseek.co.jp/
むむ〜 お勉強になるね〜
霧島神宮 http://www.kirishimajingu.or.jp/index.htm
住所:鹿児島県霧島市霧島田口2608-5 地図はこちら
JR日豊本線霧島神宮駅よりバスで10分(時刻表)詳細は林田バス国分営業所(0995-45-6733)
本数が少ないので駅からはタクシーになると思います
主祭神:
・ニニギノミコト(天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊)
・コノハナサクヤヒメ(木花咲耶媛尊)
・ヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)
・トヨタマヒメ(豊玉媛尊)
・ウガヤフキアエズノミコト(鸕鶿草葺不合尊)
・タマヨリヒメ(玉依媛尊)
御由緒:
天祖天照大神の御神勅を畏み戴きて三種の神器(皇位の御璽)を奉持し、高千穂峯に天降りまして皇基を建て給うた肇国の祖神<天孫瓊瓊杵尊>をお祀りしている。
旧記によると欽明天皇の御宇(西暦540年)、はじめ高千穂峯のほど近く脊門丘に社殿が建立されたが、その後たびたび噴火炎上し幾星霜を経て今から五百年前現在の社地へ御鎮座になりました。
いまの御社殿は第二十一代藩主島津吉貴公が正徳5年(1715年)に造営寄進されたもので、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐の美をなし、西の日光とも称せられる。
特に殿内は漆塗りで二十四孝の絵画、龍柱、床には鴬帳りが施されている。
明治七年二月「霧島神宮」と社号改定、官幣大社に列格仰せ出されました。

社務所
さざれ石

御神木は杉
拝殿
菊紋 重要文化財
慶応二年(1866年)、坂本竜馬・妻のおりょうが新婚旅行でこの地に訪れています。
京都伏見の寺田屋事件(1866年1月23日未明)で幕史に襲われ九死に一生を得た龍馬は妻おりょうとともに霧島の山深く入り温泉で傷を治しながらその足で霧島山(高千穂)の峯にある天の逆鉾を見ようと妻おりょうと高千穂登山をしています。
姉乙女への手紙によりますと「天の逆鉾」を見て天狗の面に似ていると二人で微笑んだと記されています。下山途中は一面にみやまきりしまが咲きほころび美しい情景であったそうです。またその足で霧島神宮をお参りし、大きな杉の木もあるが御神殿の建物にも奥深いものがあると感じながらここに一泊しそこから霧島の温泉に戻り四月十二日鹿児島へ帰っているようです。坂本龍馬が鹿児島へ訪れた行程は八十八日間と示され、現在の新婚旅行とも言われています。by案内板
次は妙見温泉の旅館「石原荘」。良かったのだ!
1
古事記の世界。過去には宮崎県の天岩戸神社、
高千穂神社、槵触神社(くしふるじんじゃ)、鵜戸神宮 へ行っています。
ここで、古事記とは何ぞや?
・・・を書けるようなワタクシではないので詳しく知りたいかたは↓を参考にしてね。
日本神話の御殿 http://nihonsinwa.at.infoseek.co.jp/
むむ〜 お勉強になるね〜
霧島神宮 http://www.kirishimajingu.or.jp/index.htm
住所:鹿児島県霧島市霧島田口2608-5 地図はこちら
JR日豊本線霧島神宮駅よりバスで10分(時刻表)詳細は林田バス国分営業所(0995-45-6733)
本数が少ないので駅からはタクシーになると思います
主祭神:
・ニニギノミコト(天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊)
・コノハナサクヤヒメ(木花咲耶媛尊)
・ヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)
・トヨタマヒメ(豊玉媛尊)
・ウガヤフキアエズノミコト(鸕鶿草葺不合尊)
・タマヨリヒメ(玉依媛尊)
御由緒:
天祖天照大神の御神勅を畏み戴きて三種の神器(皇位の御璽)を奉持し、高千穂峯に天降りまして皇基を建て給うた肇国の祖神<天孫瓊瓊杵尊>をお祀りしている。
旧記によると欽明天皇の御宇(西暦540年)、はじめ高千穂峯のほど近く脊門丘に社殿が建立されたが、その後たびたび噴火炎上し幾星霜を経て今から五百年前現在の社地へ御鎮座になりました。
いまの御社殿は第二十一代藩主島津吉貴公が正徳5年(1715年)に造営寄進されたもので、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐の美をなし、西の日光とも称せられる。
特に殿内は漆塗りで二十四孝の絵画、龍柱、床には鴬帳りが施されている。
明治七年二月「霧島神宮」と社号改定、官幣大社に列格仰せ出されました。







慶応二年(1866年)、坂本竜馬・妻のおりょうが新婚旅行でこの地に訪れています。
京都伏見の寺田屋事件(1866年1月23日未明)で幕史に襲われ九死に一生を得た龍馬は妻おりょうとともに霧島の山深く入り温泉で傷を治しながらその足で霧島山(高千穂)の峯にある天の逆鉾を見ようと妻おりょうと高千穂登山をしています。
姉乙女への手紙によりますと「天の逆鉾」を見て天狗の面に似ていると二人で微笑んだと記されています。下山途中は一面にみやまきりしまが咲きほころび美しい情景であったそうです。またその足で霧島神宮をお参りし、大きな杉の木もあるが御神殿の建物にも奥深いものがあると感じながらここに一泊しそこから霧島の温泉に戻り四月十二日鹿児島へ帰っているようです。坂本龍馬が鹿児島へ訪れた行程は八十八日間と示され、現在の新婚旅行とも言われています。by案内板
次は妙見温泉の旅館「石原荘」。良かったのだ!
