2007/7/25
エコツアー 日本橋界隈ボート&ハイクに参加 その3 ◎東京見物 ♨東京から日帰り温泉
大手町・丸の内・有楽町を中心に街の活性化に取り組む
NPO法人「大丸有エリアマネジメント協会」の
「日本橋界隈ボート&ハイク」というイベントに参加。
*ボートで日本橋→ http://diary.jp.aol.com/tabizuki05-08/105.html
*日本銀行本店と三井本館の紹介→ http://diary.jp.aol.com/tabizuki05-08/106.html
【三越本店】

正面玄関

側面から 奥行きのある建物だったのだ
1914年竣工。アメリカでデパート建築を学んだ横河民輔氏の設計。
日本初の自動扉エレベーターや新式のエスカレーター、スプリンクラー、
暖房換気が設置され、話題を集めた。
東京都選定の「歴史的建造物」に指定されています。
正面玄関には2頭のライオン像。あまりにも有名ですな。
ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔下のライオン像を模し鋳造されたもの。
中央ホールは1階から5階まで続く吹き抜けになっており、一面に敷き詰められた大理石。
ここでアンモナイト探しをするのも楽しそうだね。
正面玄関(三井本館よりの玄関)が建物の真ん中にないのが不思議だと思っていましたが、
最初はちゃんと真ん中だったそうですよ。
最初の建物の隣に建て増ししたため正面が中央じゃなくなったんだそうです。

赤い看板のところがつなぎの部分 よくみると違うね(クリックで拡大)
【日本橋】

にほんばし。「にっぽんばし」じゃないんだよ
橋銘は第十五代将軍だった徳川慶喜の筆による物

橋の真ん中であり道路の真ん中にある元標(五街道の基点を意味する)
さすがに危なくて撮れなかったので橋の北詰西側にあるレプリカを撮影

東京市道路元標
元々は道路の真ん中にある本物元標の真上にあったが今はレプリカ元標の隣に。

乙姫広場
江戸開府と同じ1603年、日本橋が架けられ、ここが東海道、中山道など五街道の起点と定められた。現在の橋は1911年に架けられた19or20代目で、国の重要文化財に指定されている。
外観が石造りで、中味がコンクリートと煉瓦造の一体型である。
交通標識でよく見かける「東京まで何km」の「東京」は今でもここを基点としている。
1923年の関東大震災で築地に移転するまで、日本橋北詰の東側一帯は江戸一大魚市場として栄えていたので、そのあたりには今でも海苔や鰹節、刃物といった老舗が多く集まっている。
橋詰には現在4つの広場。
・乙姫広場→ 「日本橋魚市場発祥の地」の碑
・滝の広場→ 「晒し場」跡 現在は交番
主殺し・女犯僧、心中者のかたわれなどの処刑者を、
「晒し箱」に入れ首かせをかけて、見せしめのために晒した。
・元禄の広場→ 日本国道路元標レプリカ
・花の広場→ 「御触れ」などを高札として揚げた高札場(こうさつば)跡。
現在は日本橋由来碑がある
日本橋○○町と前に日本橋がつく町が多いのは中央区発足時の町名変更の名残である。
元々の日本橋区と京橋区の合併により中央区が発足されたのであるが、
日本橋の名前が消えてしまうので全ての日本橋区域の町が町名を変更した。
その後戦災復興期の区画整理により一部の町名は消滅し、
東日本橋といった新しい町名が誕生。
最後のその4につづく。
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NPO法人「大丸有エリアマネジメント協会」の
「日本橋界隈ボート&ハイク」というイベントに参加。
*ボートで日本橋→ http://diary.jp.aol.com/tabizuki05-08/105.html
*日本銀行本店と三井本館の紹介→ http://diary.jp.aol.com/tabizuki05-08/106.html
【三越本店】

正面玄関

側面から 奥行きのある建物だったのだ
1914年竣工。アメリカでデパート建築を学んだ横河民輔氏の設計。
日本初の自動扉エレベーターや新式のエスカレーター、スプリンクラー、
暖房換気が設置され、話題を集めた。
東京都選定の「歴史的建造物」に指定されています。
正面玄関には2頭のライオン像。あまりにも有名ですな。
ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔下のライオン像を模し鋳造されたもの。
中央ホールは1階から5階まで続く吹き抜けになっており、一面に敷き詰められた大理石。
ここでアンモナイト探しをするのも楽しそうだね。
正面玄関(三井本館よりの玄関)が建物の真ん中にないのが不思議だと思っていましたが、
最初はちゃんと真ん中だったそうですよ。
最初の建物の隣に建て増ししたため正面が中央じゃなくなったんだそうです。

赤い看板のところがつなぎの部分 よくみると違うね(クリックで拡大)
【日本橋】

にほんばし。「にっぽんばし」じゃないんだよ
橋銘は第十五代将軍だった徳川慶喜の筆による物

橋の真ん中であり道路の真ん中にある元標(五街道の基点を意味する)
さすがに危なくて撮れなかったので橋の北詰西側にあるレプリカを撮影

東京市道路元標
元々は道路の真ん中にある本物元標の真上にあったが今はレプリカ元標の隣に。

乙姫広場
江戸開府と同じ1603年、日本橋が架けられ、ここが東海道、中山道など五街道の起点と定められた。現在の橋は1911年に架けられた19or20代目で、国の重要文化財に指定されている。
外観が石造りで、中味がコンクリートと煉瓦造の一体型である。
交通標識でよく見かける「東京まで何km」の「東京」は今でもここを基点としている。
1923年の関東大震災で築地に移転するまで、日本橋北詰の東側一帯は江戸一大魚市場として栄えていたので、そのあたりには今でも海苔や鰹節、刃物といった老舗が多く集まっている。
橋詰には現在4つの広場。
・乙姫広場→ 「日本橋魚市場発祥の地」の碑
・滝の広場→ 「晒し場」跡 現在は交番
主殺し・女犯僧、心中者のかたわれなどの処刑者を、
「晒し箱」に入れ首かせをかけて、見せしめのために晒した。
・元禄の広場→ 日本国道路元標レプリカ
・花の広場→ 「御触れ」などを高札として揚げた高札場(こうさつば)跡。
現在は日本橋由来碑がある
日本橋○○町と前に日本橋がつく町が多いのは中央区発足時の町名変更の名残である。
元々の日本橋区と京橋区の合併により中央区が発足されたのであるが、
日本橋の名前が消えてしまうので全ての日本橋区域の町が町名を変更した。
その後戦災復興期の区画整理により一部の町名は消滅し、
東日本橋といった新しい町名が誕生。
最後のその4につづく。

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