2008/10/28

2日目:Aフェリーに乗って天草へ 天草五橋   ♨長崎 雲仙観光ホテルと島原・長崎の旅2008.09

時間配分に失敗したが、だんなの希望で天草五橋(パールライン)を渡ることにした。

天草五橋とは: byウィキペディア
熊本県宇土半島先端の三角(みすみ)から、天草諸島の大矢野島、永浦島、池島、前島を経て天草上島までを結ぶ5つの橋の総称で、1966年(昭和41年)9月24日に開通した。
当初は有料道路だったが、観光客が急増し交通量の増大によりわずか9年で償還を完了して無料化された。
一号橋から五号橋の間の国道266号及び路線に重複する国道324号は、天草で真珠の養殖が盛んなことから天草パールラインと名付けられ、日本の道100選にも選ばれている。
また、大矢野島から上島までの間3km足らずは小さな島づたいで、二号橋・三号橋・四号橋・五号橋がほぼ連続している。
その間の両側の海に大小さまざまな島が浮かぶ風景は、天草松島と呼ばれ日本三大松島の一つに数えられる。

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一号橋(天門橋) 全長:502m
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一号橋(天門橋)を渡る
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途中見かけた 天草四郎メモリアルホール 
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二号橋(大矢野橋) 全長:249m
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三号橋(中の橋) 全長:361mだったか 四号橋(前島橋) 全長:520m だったか
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五号橋(松島橋) 全長:178m


これを往復し、港へ戻ってフェリーに乗って島原へ帰りました。
*島原フェリーについては→ http://diary.jp.aol.com/tabizuki05-08/220.html

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鬼池港

次は 今回のメイン 素敵な雲仙観光ホテルについて。
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2008/10/27

2日目:@フェリーに乗って天草(熊本県)へ 富岡城見学  ♨長崎 雲仙観光ホテルと島原・長崎の旅2008.09

この日は県をまたがって長崎県から熊本県へ。フェリーに乗って目指すは天草
小浜温泉から南下して口之津港(南島原市)へ。車で1時間くらい。
ちなみに天草側の乗り場は鬼池港(天草市)。

島鉄フェリー http://www.shimatetsu.co.jp/ship/finfo.htm

口之津港〜鬼池港間の所要時間:30分 概ね1時間に1本(両港同時出港)
大人運賃:440円 
車輌運賃:3m未満 1,580円 /3m以上4m未満 2,150円 /4m以上5m未満 2,740円
      運転者1名の旅客運賃を含む 予約不可(先着潤)

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口之津港 乗り場 フェリー航路付近はイルカが生息しています
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予約不可。先着順でこうやって待ちます 9時台の船で
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フェリー内

最初に向かったのは「富岡城跡

富岡城跡・富岡ビジターセンター http://www.tomioka-visitor.ecnet.jp/japanese/J_index.html

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住所:熊本県天草郡苓北町富岡字本丸2245-1 城跡内 地図はこちら
TEL:0969-35-0170
開館時間:午前9時〜午後5時 (ただし、入館は午後4時45分まで) 入館無料
休館日:水曜日(水曜日が休日の場合、翌木曜日が代替休館日)
     (年末年始・ゴールデンウィーク・8月13-15日は開館)
二の丸駐車場:30台 / 汐入駐車場:15台 無料

富岡城とは: byウィキペディア
慶長5年(1600年)天草郡を含む肥後北部を領していた小西行長は、関ヶ原の戦いにおいて西軍方に参陣し敗れた。このため所領は没収され、翌年の慶長6年(1601年)東軍に参陣し功績のあった唐津城主・寺沢広高は天草郡4万2千石を与えられた。広高は肥前唐津から離れたこの地を治めるために、慶長10年(1605年)富岡城を築き城代を置いた。
寛永14年(1637年)10月28日(新暦12月14日)、10日ほど前に島原で蜂起した領民に続き、天草でも領民が蜂起した。こうして、島原・天草一揆が始まった。富岡城代の三宅籐兵衛は1,500人の唐津藩兵を率いて、本渡に出向き一揆軍との戦闘が繰り広げられた。しかし数に勝る一揆軍により11月14日(新暦12月30日)に三宅籐兵衛は討ち死にした。11月19日(新暦1638年1月4日)、一揆軍は富岡に迫り城下町と城を攻撃した。戦死した城代に代わり原田伊予が指揮を執り、猛攻によく耐え11月25日(新暦1638年1月10日)には一揆軍を撤退させた。一揆軍は海を渡り原城に立て籠もる島原の一揆軍と合流し、天草での戦闘は終了した。寛永15年(1638年)2月28日(新暦4月12日)、原城に立て籠もった一揆は鎮圧された。しかし、一揆の勃発を許した堅高(唐津藩2代藩主)は天草郡を没収された
平成6年(1994年)より城の発掘・復元が計画され、国会図書館にある『肥前甘艸富岡城図』をもとに丘陵上の本丸に復元。
平成17年(2005年)3月復元作業が終了し石垣や櫓が復元され富岡ビジターセンター」となって、天草の歴史・文化などが紹介されている。

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天草島原の乱の痕跡を残す石垣 人骨も出ています
詳細は→ 苓北町役場 http://www.reihoku-t.kumamoto-sgn.jp/info/1info_06_8.html
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石垣詳細案内
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お城からの眺め
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向かって左:「天草の恩人」 初代代官の鈴木重成 と その兄 鈴木正三 
    右:「日本の恩人」 勝海舟 と 日本外史著者の頼山陽

さてこのビジターセンターで周辺チラシを読んでいたら 天草中央エリア(本渡・五和・新和)の港ではウニとあわびが名産でうに丼が食べられると書いてあった
観光の順序としては富岡城周辺でランチして、南下して
「大江天主堂」「崎津天主堂」などを観るべきであったが、ここでうに丼が登場

やっぱ「うに丼!」と反対方向に1時間半かけて目指したのだが・・・

見つからない! 

そのパンフレットには食べられると書いてあるだけで、店の紹介は一切なかった。
まあ勝手に港に行けば「うに」だの「あわび」だのの旗がパタパタしてるに違いない
と思っていたのだが、そんなものちっともありゃしない。それらしき店もない。

仕方なく、その辺の食べ物屋さんに入ったが、海の幸はどこへ行った??状態でした。
後で雲仙で人に聞いたところ、わかりにくいよねってこと言ってましたよ。あ〜もったいない。

また島原へ戻るため、15時半にはまた港に帰ってこなくてはならないので、
もう「大江天主堂」「崎津天主堂」は無理であった。
とりあえず「天草五橋」を往復して、この日の天草観光終了。
今回のプランは時間的に大失敗だった。

次は天草五橋。
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2008/10/26

1日目:H小浜温泉 周辺散策と1日目のお土産  ♨長崎 雲仙観光ホテルと島原・長崎の旅2008.09

温泉街を 夕方1時間ほどお散歩しました。

小浜温泉の名物といえばちゃんぽん なのですが、
これから晩御飯なのでさすがに食べられません。
ちゃんぽんについては→ 小浜温泉観光協会 http://www2.obama.or.jp/shopping.php

旅館國崎の通りをまっすぐ行くと三宅商店を発見。
こちらでは温泉水を利用してつくる名物「手焼 温せいべい」を売ってるんです。

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三宅商店
住所:雲仙市小浜町南本町25-2 地図はこちら
TEL: 0957-74-3090
営業時間: 8:00〜17:00  不定休

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ゴーフレットのような薄い甘味のあるお煎餅。素朴だが味わいがある。

海よりの大通りを歩くとチェックイン前に入った「海上露天風呂 波の湯 茜」が見えます。
その手前に海産物直売所(お土産屋さん)が。

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山口海産
住所: 雲仙市小浜町マリーナ20-2 地図はこちら
TEL: 0957-75-0607
営業時間: 8:00〜19:30  年中無休

ここでしか買えない「お魚せんべい」のたこを試食しました。出来たてはうまいぞ〜

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こうやってプレスします。すっごく美味しかったのに
買ったのは何故かお煎餅にするためにプレスする前のもの(↓)。

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写真右: これをプレス機にかけるとそのまんまパリパリのお煎餅に。
写真中: 小浜温泉にくる前に寄った千々岩観光センターのカステラ 1200円くらい
写真左: 湯せんべい ご自宅用 確か200〜300円くらい

次は2日目 フェリーに乗って天草へ。
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2008/10/22

1日目:G小浜温泉の旅館國崎 お食事編  ♨長崎 雲仙観光ホテルと島原・長崎の旅2008.09

旅館國崎の夕食も夕食も1階のお部屋で。

夕 食

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さすが海の幸が豊富。
下手にまぐろなんか出さず、なるべく地の物を出そうという気持ちがいいですね
実は私、カニがちょっと苦手。だからもったいないけど、残してしまいました。

写真は一部で最後にデザートまできちんと出ましたよ。

朝 食

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豆腐

個人的に夕食より朝食の方がいいと思いました。

次は小浜温泉周辺散策&お土産購入。
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2008/10/21

1日目:F小浜温泉の旅館 國崎 お風呂編  ♨長崎 雲仙観光ホテルと島原・長崎の旅2008.09

小浜温泉の旅館 國崎。
温泉のお風呂は自家源泉によるかけ流し。
加温、加水、消毒、循環などは一切なし。豊富な湯量。


いや〜ここ、小浜温泉は肌がしっとりして めっちゃいいわ〜
試しに温泉から出て化粧水つけなかったけど、朝まで必要ないと思ったもの。
(普段あまり化粧をしないせいかもしれませんので、
 皆さんそう思われるかどうかはわかりません。勇気のあるかた、試してみてください)

大浴場のほかに貸切の家族風呂が3つ
空き状況はお風呂の内側からカギをかかると
廊下のお風呂の名前が書いてあるランプが点るというしくみ

@玄関すぐ脇にある貸切風呂の石風呂
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  この石風呂のみ、脱衣所内の電話でフロントに電話して冷酒(300ml)を注文すると、
  お風呂内にあるボックスに入れておいてくれるというサービスがある。
  お風呂の湯が熱いので、洗面器に日本酒入れてのんびりと・・とはなかなか難しかったが、
  冬なら可能ではないかな。むふふだね。(何も言わないと辛口が出てきます)

A貸切で露天風呂
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B貸切でひのき風呂
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C大浴場
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ふと気付くと お風呂の中に かにがいます。

次は夕食。
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2008/10/17

1日目:E小浜温泉の旅館「國崎」   ♨長崎 雲仙観光ホテルと島原・長崎の旅2008.09

小浜温泉の海上露天風呂を味わった後は、この日お泊りの旅館「國崎」へ。
*海上露天風呂については→ http://diary.jp.aol.com/tabizuki05-08/215.html

宿は大通りから1本入ったところにあるのでとても静か。
長崎県では唯一日本秘湯を守る会に入っている客室9室の旅館なのだ。


旅館國崎 http://kunisaki.jp/

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住所:長崎県雲仙市小浜町南本町10-8 地図はこちら
TEL:0957-74-3500
チェックイン 15:00 (最終チェックイン:19:00)  チェックアウト 10:00
JR諫早駅より車で60分
JR長崎駅・JR諫早駅より、バスで口之津方面行きに乗車。公立小浜病院前下車。
駐車場 10台 無料(すぐ近くですが旅館の前ではありません)

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泊まったお部屋
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ウエルカムデザート

なかなか趣のある宿です。
楽天トラベル(下参照)から2名一室 1人14700円で泊まりました。

この宿で最もよいのは源泉かけ流しの3つの貸切風呂があり、
その一つで、日本酒を飲みながら入ってていいってこと
お風呂にお酒の差し入れ口があるんですよ。むふふ。

次回はそのお風呂編。


クリック!→ 小浜温泉 旅館 國崎 楽天トラベルの口コミ★5つ満点じゃ!

【ご参考】 ここも良さそうと思った宿 
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春陽館。昭和13年の建築、唐破風の門構え。
3階建ての木造造りの本館がとても素晴らしい
ただし大通り沿いなので車の通る音がうるさいかも。
下の楽天トラベルからは1部屋2名で1人13000円くらいから予約できますが別館かも。
和のやど 湯のやど 春陽館 楽天トラベル口コミ★4つ
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2008/10/8

1日目:D小浜温泉 海上露天風呂「波の湯・茜」  ♨長崎 雲仙観光ホテルと島原・長崎の旅2008.09

小浜温泉にある橘湾に面した「波の湯・茜」は海と夕日を楽しむ立ち寄り露天風呂
波打ち際にあって海面との差がほとんど無いので海と夕日を独り占めできる(気がする)。
いいですよ〜 近くまで来たら寄りましょう。

海上露天風呂「波の湯・茜」

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住所:長崎県雲仙市小浜町マリーナ20 地図はこちら
営業時間:平日 7:00〜10:00 13:00〜20:00
       土・日曜・祝祭日 7:00〜12:00 13:00〜21:00 不定休
JR長崎本線諫早駅から雲仙行きおよび口之津行きバスで約50分
駐車場は番台の横に6台

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駐車場を背にして番台小屋があり、そこで1人300円支払って(ここでタオル売っています)
向かい側の防波堤の扉に入れてもらう(上の写真ね)

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目の前の階段を下りると左右に女湯と男湯に分かれている。
注意する点として、石鹸・シャンプー類は使用禁止廃湯はそのまま海に流れるから

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確かに海上露天風呂。だって上階に建物ないんだもん。
テトラポットの上って感じです。

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この日は天気がイマイチ。きっと夕日のころがきれいだろうね〜

我らが行った時は平日の夕方だったので、他に客なし。掛け流しで塩味がします。
ずっと誰も入ってなかったみたいで、よーくかき混ぜないと熱くて熱くて入れませんでした。

ここは夜もやってますが、
まっくらじゃ満喫できませんから、夕方までに入りましょう。

次は旅館「國崎」。
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2008/10/7

1日目:C島原の乱の一揆軍が最後に立て籠もった城「原城跡」  ♨長崎 雲仙観光ホテルと島原・長崎の旅2008.09

島原観光のメイン。
島原の乱の一揆軍が最後に立て籠もった城「原城跡(はらじょうせき)」。
天守閣などありませんが、広い敷地がそのままに残っています。

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住所:長崎県南島原市南有馬町乙 地図はこちら
原城本丸跡まで、島原鉄道バス「南有馬小学校前」より徒歩15分
無料駐車場 20台

国指定史跡「原城跡」とは: おおむね南島原市と長崎新聞社のサイトより
昭和13年5月30日、国の史跡文化財に指定
明応5(1496)年、東肥前までも勢力を延ばし当時26万石ともいわれた領主・有馬貴純によって築かれたといわれ、周囲4キロの三方を有明海に囲まれ難攻不落の天然の要害で、本丸・二ノ丸・三ノ丸・天草丸からなり、別名「日暮城」とも呼ばれた美しい城であった。
晴純の代に至り、有馬氏の全盛時代となったが、次第に衰退、義直時代には、
佐賀の龍造寺により再三侵略されたが、島津氏の救援で島原沖田畷にて勝利をおさめ、
島原半島の南部をかろうじて維持できた。
有馬晴信が慶長17(1612)年に岡本大八事件に連座し配流・切腹となり、
子直純が再度有馬の地をおさめたが、2年後日向に転封となった。
その後、元和2(1616)年大和五条より松倉重政が入封、一国一城の令によって島原城(森岳城)を築城したので、日之江・原城は廃城となった。
寛永14(1637)年、この廃城となっていた原城に一揆が籠城した。世にいう「島原の乱」である。

当時、徳川幕府の禁教令(1616年)でキリシタン弾圧が強まっており島原半島も例外ではなかった。キリシタン大名・有馬氏が衰退した後、島原領主となった松倉重政、勝家父子は、領民を使役や重税で苦しめ、年貢を払えない者やキリシタンは容赦なく拷問にかけ殺した。
圧政に対する領民の不満と怒りが頂点に達した中で、「島原の乱」は起きた。
半島には既に宣教師はいなかったが、キリシタンの「救世主」として担ぎ出された天草四郎が合流し一揆軍は結束。
いったん棄教した人も復帰し、1637年12月廃城となっていた原城に立てこもった。
幕府側は約12万人の兵力を動員して鎮圧に動き、88日間に及ぶ籠城の末、落城。
一揆軍は女性、子どもも含めほぼ皆殺しにされた。その数3万7千人。

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十字架の近くには天草四郎の墓がある
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眺めが素晴らしい 天気がいい日は天草が良く見えるそうです
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天守閣があった場所
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石垣

何の説明もないまま公園のような敷地を見ていると、
ガイドさんが話しかけてきてくれました。そのおかげで色々わかりました。

原城の石垣は、代わりに築城された島原城の用材として運ばれたようですが、
一部残っています。
最近の発掘調査(調査は既に終了)で、乱後、幕府が埋めた石垣が出てきました。
その他、ロザミオや人骨も
人骨がまとまって出てきた場所はなんとなく写真を撮る気になれませんでしたよ。
出土した遺物は原城跡近くにある原城文化センターで展示。

原城文化センター http://www.nagasaki-tabinet.com/conv/guide/serch/3shi/hall/harajou.html

住所:長崎県南島原市南有馬町乙1374
TEL:0957-85-3217
開館時間:9:00〜17:00 見学自由
休館日:毎週月曜日

島原の乱のあと、天草・島原地域には領民がいなくなりました。
ほとんどキリシタンだったから。
そこで全国各地から多くの移民が島原に入りましたが、
その中でも小豆島からが多かったようです。
だから島原はそうめんが有名なんですよ。

さて、天草四郎率いる一揆軍がこの原城に来る前はどこにいたのかというと、
熊本県の天草にある富岡城にいた。
一揆軍は富岡城を3回攻撃したが攻め落とせず、天草四郎は島原に渡り、
そこで原城に立て籠もる島原の一揆軍と合流した。

その富岡城にもこの旅行の2日目に訪問しています。
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2008/10/5

1日目:B諫早湾干拓堤防道路と千々石観光センター  ♨長崎 雲仙観光ホテルと島原・長崎の旅2008.09

諫早といえば諫早湾の干拓
諫早湾干拓事業で構築した潮受堤防上に道路を建設。
これを諫早湾干拓堤防道路といい、2007年12月から一般開放。
ちょっと遠回りになるけれど、自由に無料で通れるのでここを通って島原半島へ。
この道路の端から端までの時間車で約10分。

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延々まっすぐ
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レンタカーのナビが古く、海上を渡っていることになってますぅ。

渡り終わって向った先は「千々石観光センター」。千々石と書いてちぢわと読む。
こちらではカステラ工場見学とじゃがちゃんを食べに。
ところがカステラ工場の見学は休憩時間にあたってしまったので見学できず。
このあたりはじゃがいもが名産。
そこで「じゃがちゃん」なのだが、それだけあってホクホクで美味しかった。

千々石観光センター http://chidiwa.com/gaiyou.htm

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千々石観光センター 道路からは裏側が正面らしい
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観光センターの中にあるカステラ屋さん 千鶏カステラ本舗
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これが「じゃがちゃん」確か1本200円 外はカリッと中はホクホク 美味いです!
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いい眺め〜のはずがあいにくの天気

次は今回の観光メイン 原城跡へ。
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2008/10/2

1日目:A長崎県諌早市の眼鏡橋  ♨長崎 雲仙観光ホテルと島原・長崎の旅2008.09

諫早で鰻を食べたらせっかくですから、観光も。
こちらで有名なのは諫早公園にある「眼鏡橋」。ちょうどお店の近くです。
個人的には長崎の眼鏡橋より諫早の眼鏡橋の方が好きだな

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諫早眼鏡橋 

住所:長崎県諌早市高城町 諫早公園内
JR九州・島原鉄道諫早駅より長崎県営バスで約5分、「諫早公園」バス停下車
上山公園駐車場に100台

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橋の上
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案内 

諫早の眼鏡橋とは: byウィキペディア
1839年(天保10年)、現在地から約500メートル離れた本明川に架けられた。 世話人たちは「水害でも流されない頑丈な橋」を目指し、長崎の眼鏡橋を参考に架けたといわれている。眼鏡橋は世話人たちの願い通りの出来で、以後一度も流されることはなかった。
1957年(昭和32年)に起きた諫早大水害では、死者・行方不明者580人以上の犠牲者が出た。眼鏡橋は欄干の一部が損傷しただけだったが、眼鏡橋がせき止めた流木やがれきが、水の流れを変え、被害を拡大したとの指摘がなされた。
水害後の復興策では川幅拡張工事に合わせ爆破解体する案も浮上したが、当時の野村儀平市長らが街のシンボルかつ文化財として保存することを強調、さまざまな働きかけで1958年(昭和33年)、日本の石橋として初めて国の重要文化財に指定された
このため、1959年(昭和34年)から1960年にかけて諫早公園への移設工事が行われ、今日も美しい姿を水面に写している。移設工事時に石工たちが参考資料として作った1/5モデルは埼玉県所沢市のユネスコ村に残っている。

道路を渡って向こう側に「御書院と高城回廊」がある。
しかも県立諫早高校の敷地内に。変わってるよね。

御書院と高城回廊とは
諫早家初代龍造寺家晴公が構築した桃山様式の池泉回遊式庭園
高城回廊は諫早小学校跡地から市役所、高城公園、諫早公園周辺を一周する散策路。

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御書院
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高城回廊 木片を使ったチップ舗装で足元ふんわり
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水がとってもきれい

次は 諫早湾干拓堤防道路を通って島原半島へ
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