2016/10/28  0:26 | 投稿者: 一輝

7月の頭に結成して、全く何も無い状態から8月上旬のフェスタに挑んだ。
まず合宿だ。
平田は私より2年も先に退職していたので、単純に2年間太鼓に触れていない。
私もまだ駆け出しなので、全くもって叩けない。木村も同じ。
とにかく楽器に触れるしか無いので、電話をくれた方に頼んだ。嬉しいことに太鼓をなんとか数台借りれることになり、本格的に合宿開始。
と言っても3〜4日しか時間が取れ無いので、朝から晩まで徹底的にやり込むしかなかった。
その中で生まれた処女作が、締太鼓のみのアンサンブル曲「真」だ。
ユニゾンもあれば、3パートに分かれるアンサンブルもあるので、個々のレベルアップが当然必須になる。
何度も繰り返し、何度も変更し、何度も話し合いをし、また繰り返し・・・、延々にやり続けなんとか完成したのを覚えている。
そしてもう1曲無理やり作り、なんとか本番ができる状態になった。
ちょうどその頃、ついにチームの名前も決定。
私の下の名前の読み方「いっき」は入れようと言うことになり、私の家族とメンバーで相談した結果「一気にいてまえ!!」という意味も込めて「太鼓衆一気」に決定。
衣装は、母が服飾の仕事をしていたのでお願いし、かなり奇抜な衣装が完成した。
男は白のタンクトップに、白のエナメルパンツ、下はコンバースのハイカット。
紅一点の木村は赤のタンクトップに赤のスカート。
今でこそ様々な衣装の団体がいるが、当時は法被が主体だったので、結構インパクトがあった。
「白と赤で日の丸でええやん!」
結成したてのチームだから、何としても目立たなくてはならない。
しかし、技術もなければまともに太鼓も叩けない(笑)
あるのは熱量だけ。
とにかく勢いと気合と衣装の派手さでかましてやろうと思ってた。


続く
7

2016/10/20  0:53 | 投稿者: 一輝

14年前を振り返っています。

前回の日記の最後に怒涛の毎日が始まったと書いたが、こうして振り返って書いていてふと思い出したことがある。
それは太鼓衆一気結成の経緯だ。
これも本当にケッサク。
2002年7月に結成したのだが、そこから遡ること半年前。2001年の末に和歌山で活動しているとあるアマチュア団体の人と出会い、ここのリーダー(確か40歳くらい)となぜか馬が合い、太鼓話で盛り上がった。
で、私がこう切り出した。
「来年で自衛隊を辞めて、自分のチームを作って活動しようと思っているんです。もし何か出演できるイベントなどありましたら、紹介してくれませんか?」という内容。
その方は結構顔が広いらしく、たくさんのイベントにも携わっていたのを話の中で聞いたので、ほんの軽い気持ちで話してみた。
「わかった。何かあったら言うよ」
ごく普通のやり取り。別にここからどう発展するとか何も思わなかったし、実現すると思ってもいなかったのですぐに忘れ去っていた。

ところが、2002年に入り5月か6月ごろ事態は急展開を迎える。
ある日、その和歌山の方から連絡が来た。
「一輝さん、夏に三重の熊野市で太鼓フェスティバルがあるけど、出てみない?」
何と!何となく話しした私の言葉を覚えてくれていたのだ!
もちろん、何も考えずに「出ます!!」と即答。
「で、いつですか?」
「8月某日(←忘れた)。沢山の団体が集まるから面白いと思うよ〜」

さあ、大変だ!
この時返事はしたものの、チームはまだ無い(笑)で、急遽平田に連絡したというのが、結成の経緯。
本当に見切り発車だったのを思い出す(笑)

そして7月に居酒屋で結成した時に、二人に報告。
「えーと、来月イベントに出るで」
二人「・・・は??」
「三重県の熊野市で行われるイベントに出るで」
この一言で、二人から質問の嵐!
「待て待て!今初めて3人で会ったのに、いきなり本番?」
「太鼓無いやん?曲も無いやん?衣装も無いやん?」
「そもそもチームの名前も無いやん?」
・・・ごもっとも(笑)
でも、なんとかなると思った。いや、なんとかしてみようと思った。
「ウルサーーーーイ!!とにかく来月、合宿やろや。時間が無いからまず1週間空けてほしい。そこで集中的に稽古して曲を作る。太鼓の手配とか衣装とか何とかするから!」
「うーん・・・、わかった。でも相変わらず無茶苦茶やな(笑)」
この辺りの会話は漠然としているが、最終的に笑いながら「何とかなるで!」と締めた記憶がある。
本当に無茶苦茶な滑り出しだ。
結成した瞬間からバタバタで、それでも無理やり付いて来てくれた二人には感謝の気持ちしかない。

ここから、太鼓衆一気初陣に向けて猛特訓が始まる。

続く

11

2016/10/18  21:44 | 投稿者: 一輝

来年は太鼓衆一気結成して15年目にあたる年になる。
だから何だというわけでは無いが、一つの節目になる年だ。

勝手に少し振り返ってみようと思う。

今から14年前の7月。私が24歳の時、大阪で3人で結成した太鼓衆一気。
自衛隊時代の同期の平田と、当時少し指導していた団体から紅一点の木村(旧姓・高野)に声をかけ、確か居酒屋で飲みながら、「太鼓でやっていこうや」という僕の一言に賛同してくれたのがキッカケでスタートした。

この時を思い出すと、本当にケッサクだ。
この居酒屋に集まる少し前、私より先に自衛隊を退職していた平田に電話をした。
「久しぶり!今何やってるん?」
「焼肉屋で働いてるで〜」
「なあ、太鼓でやっていかへんか?これで食べていこうや」
「ええけど、どないしたらええねん?」
「焼肉屋辞めろや。動きにくくなるから」
絶対断られると思った。当たり前だ。彼はこの時アルバイトではなく社員として働いていたからだ。
しかし・・・
「でもやお前、まだ自衛隊におるんちゃうん?どないすんねん?」
「俺か?辞めた。これでやっていくから辞めたねん。」
「お、そうか。わかった。ほんなら俺も辞めるわ」
「おお!ありがとう!」
この僅かな会話で彼は私の話に乗ってくれた。本当に嬉しかった。しかも仕事を辞めるまでしてくれるのだ。
完全に彼も気持ちだけで動いてくれたのが分かった。それが何より嬉しかった。
もう一人のメンバーとなった木村は、とりあえず今は職は続けてもいいならやりたい、という条件だったが問題無かった。
今思うと、この二人が乗ってくれなかったら、チームは出来てなかったのかもしれない。
逆に言うと、当時の僕にはこの二人しかいなかった。この二人さえいれば何とかなると思っていた。
なぜなら二人とも太鼓が死ぬほど好きだったから。そして努力家だったから。

そして、7月に居酒屋で平田と木村を会わせ太鼓衆一気は誕生した。
当時は当然ながら曲おろか楽器すら無かった。
どうやってやっていく?どうしていく?
様々な課題はあったが、「太鼓を叩きたい!」「これで食べていきたい!」という強烈な気持ちしかなかったので、不安など無かった。
やったんねん!!という思いしか無かったからだ。
しかし、課題は克服しなければならない。
さて、どうするか・・・。

ここから怒涛の毎日が始まった!

続く

8

2016/10/9  21:35 | 投稿者: 一輝

浅草での単発ワークショップ終了!
おかげさまで今日も2コマとも満員でした。
参加してくれた皆様ありがとうございました!
中には「教室(継続的)に参加したい」と言ってくれる方も!本当に嬉しい限りです。
次は12月の予定でーす。
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2016/10/3  12:34 | 投稿者: 一輝

僕は大太鼓を2台所有してるのですが、大きくてスタジオには入らず、なかなかそれを使って練習出来ませんでした。そこで、思い切ってふた回り程小さい太鼓を購入。ギリギリスタジオに入りました!
さあこれで思う存分稽古出来るぞー!

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