海洋史観で有名らしい川勝平太氏の本。『経済学史』ではなく、『経済史』。とは言え、経済学史を概括していて、特にマルクス経済の功績と行き詰まりを明らかにしている点は読ませる。ただ、小言を書くなら、「資本論に反する革命」であるロシア革命、その産物のソヴェトが崩壊したからと言って、資本論の根拠がなくなったとは言えないと思う。唯物史観がダメになったのは、唯物史観が教条になったからであり、寧ろ今や唯物史観の良いところは常識化しているので、取り立てて騒ぐ必要がないだけかと。それはともかく。
川勝氏はマルクスの方法と、マルクスの視野には欠けていた所有と経営の分離に着目したシューンペーターの理論、特に「生産結合」の理論を導きの糸に、格物論なる理論で「物産複合」による文明史を論じる。マルクスを読んだ人には明らかだが、唯物論とは実は、人間中心の理論である。
「人間にとっての根元は、しかし人間自身である。」(『ヘーゲル法哲学批判序論』)労働価値説を唱えるマルクスが人間中心主義であるのは当然であるが、川勝氏はそれでは人間に淫しすぎるとして、言葉の正しい意味での唯物論として、格物論を唱える。その身の立て方は、p95〜98にある通り。人間の、自然に対する影響力が破滅的な今、最後の11行は銘記すべきかも知れないので、転記する。
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近代西洋社会の物産複合は、その地球大への普及によって「近代文明」と呼ばれる。近代文明は、自然を征服対象とし、自然に対して人間が敵対的に関与する最後の形態である。西洋社会においては、古代より一貫して自然を支配する傾向があったが、近代以後は特に科学技術による自然への敵対的関与が嵩じて自然を損ない、自然が人類全体にとって好ましい環境を維持できる限度に達したという意味で、近代文明は、自然に対する人間の敵対的関与の最後の形態である。
しかし、近代社会の内部で生まれつつある、歴史と風土に応じて自然を育成し環境を保全する地域コミュニティーの創出、土地の産物をその土地で消費する「地産地消」の運動、あるいは、環境権を盾にした自然の回復は、近代文明のもたらした自然環境の破壊活動を解決する物質的条件を作り出す。だから、近代文明をもって人類の自然への敵対的関与は終わりを告げるのである。
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マルクス弁証法に馴染んだ人間にとっては、懐かしくもあり、好ましくもある文章である。
んで、格物論で経済史を見通すのは、原始時代から現代であり、資本主義のみに焦点を当てているのではない。川勝氏は、超長期波動の一つとして、資本主義のありようを捉え、他の経済システムをも含めて生成・発展・没落を捉える。そこで問題となるのは、人とモノと土地(場)の出会いである。そして、交流する中で競争が芽生え、資本主義が発展してきたのだと。そして、その交流の場として非常に有効だったのは、海洋アジアである。日本や西欧は、ここと交易することで様々な文物を持ち帰り、逆に文物を与えた。
その中で、イギリスで産業革命が起こった「必然」、パラレルに日本がアジアとの競争力を高めていて、開国後アジアで勝利者になりえた「必然」がある。
とてもこの短い行数でこの本の内容を書ききれるものではないが、マルクスファンとしては、こういう切り口はとても嬉しい本だ。生きたマルクスの方法論として楽しく読めた。

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