いやあ、すばらしい。すばらしすぎるので著作権を無視してアップする。
本当に心の底から同意する。新居浜の星、鴻上尚史に敬礼!俺も新居浜市民だ、許せ!
週刊SPA! 2005年10月25日号 ドン・キホーテのピアス第540を転載。
戎橋から飛び込むのも「自己責任」でしょ?
『週刊新潮』という人の悪意を活字にした週刊誌を、僕は毎週買っているのですが、んで、悪意を活字にしたことと面白いかつまらないかは関係がないのですが、この雑誌に、渡辺淳一さんのエッセーが連載されています。
僕は渡辺淳一さんの小説は読んだことがなく、イメージは、“元気でエッチな初老”なんていう失礼なものなのですが、じつは、渡辺さんのエッセーにうなずくことが多いのです。
今回も、じつは僕が書こうと思っていたことを渡辺さんが書いていて、「そうなのですよ!」と叫んでしまいました。……『失楽園』読んでみようかな。
というつぶやきはさておいて、何に「そうなのですよ!」なのかといえば、阪神優勝の戎橋のダイブ禁止フェンスと通行止めの警官のことなのです。
渡辺さんは、なんでそんなことをするのか、「飛び込みたい奴は飛び込め!」と単純に言い放っています。
はい、私もそう言いたいのです。
2003年の時のダイブでは、5300人が飛び込んで、1人が死んだそうです。なので、戌橋の上に、高さ3メートルのフェンスを作って、そのうえ、警官250人を配置して、警備にあたったそうです。
今年の阪神は、相手がどこだろうと(現時点ではわからないのですが)日本シリーズで勝ちます。日本一になります。だから、また、3メートルフェンスと数百人の警官は登場することになるのでしょう。
もちろんね、飛び込んだ人たちが、周りの商店街にものすごく迷惑をかけているというのなら、警官の皆さんは商店街を守るべきです。でも、飛び込む人たちを阻止すべきじゃないだろうと真剣に思うのですよ。
だって、大阪ですよ。日本のラテン、大阪ですよ。漫才師とヤーサンとオバチャンしか歩いてないと思われている大阪ですよ。
一つ目の理由は、「祭りには死者がつきものだ」ということです。
リオのカーニバルでは、毎年、数百人が死んでいます。もちろん、祭りそのものではなく、ドラッグだったり、急性アルコール中毒だったりします。けれど、生を謳歌する祭りには、死がつきものなのです。今でも僕は覚えていますが、子供時代、新聞に「今年のリオのカーニバルの死者は、150人と少なく、警察当局はほっと胸をなでおろしている」という記事が載っていました。ホントです。だからね、2003年に死者が出たとしても、祭りなんですから。フェンスなんかいらないんです。
飛び込みたい奴は飛び込ませるべきだ
二つ目の理由は、そこが大阪だからです。何度も書きます。日本のラテン、大阪は、日本の希望なのです。
大阪出身者で作られた軍隊、『第八連隊』は、戦争で負け続けたという話があります。『またも負けたか、八連隊』という言い方で知られました。
大阪人は、「突撃―!」と命令されても、「なにを言うてまんねんや。相手は機関銃でっせ。死にまんがな。ムダな突撃したらあきまへんがな。死んでどないしますのや」と逃げたので、負け続けたという話です。
悲壮なバンザイ突撃の正反対の感性です。「生きて虜囚の辱めを受けず」の正反対です。なんとも素敵な話だと思いませんか。
じつはこの話は残念ながら、俗説です。西南戦争の時、大阪人で作られた第八連隊が、薩摩との戦いで最初は怯えて逃げた、というのが噂の始まりです。
その後は、どんどん強い軍隊になりました。それでも、この俗説は生き続け、戦後、かなりの月日がたっても、第二次世界大戦の時に第八連隊所属だった人が、「我々は決して負け続けていない。第八連隊が弱いというのは、間違いである」と新聞に投書していました。この記事も僕は読んだ記憶があります。
俗説でありながら、しかし、大阪人は、その噂を否定せず、自分達の弱さを愛したのです。それは、ムダな突撃、ムダな玉砕、ムダな全滅を拒否した結果です。国家の規範に対する個人の感性のギリギリの保持です。国家がどう命令しようと、本音の部分では、「機関銃に日本刀で突撃して勝つわけないやないか。バンザイしながら死んで、それでどないっちゅうねんや!」という生身の人間の声を守るために、「大阪出身の第八連隊は弱い、逃げる、負け続ける」という伝説を、大阪人が率先して守ったのです。「これからも、わてらは、ムチャな突撃、命令されたら逃げますよ」と国家に宣言するために。
だからこそ、戎橋から飛び込むか飛び込まないかは、大阪では個人の問題なのです。国家の問題ではないのです。
そして、三つ目の理由は、それは「自己責任」だろうということです。
これが一番大きな理由です。
日本人は、イラク戦争によって、死ぬかどうかは「自己責任」だと決めたはずです。
国家の渡航自粛勧告を無視してイラクに行ったら、殺されても「自己責任」。謎にも文句は言わせない。そういう国になったはずです。
だからこそ、興奮して戎橋から飛び降りて死んでも、それは「自己責任」です。
こんな時だけ、興奮したファンを徹底的に保護して、イラクの人質は関係ないとするのなら、「自己責任」という言葉の真の意味は、「国家に楯突いた人間の保護の放棄」ということだけになってしまいます。海外では「自己責任」、国内では「公務執行妨害」では、ただうっとおしいだけの国です。
日本シリーズでは、飛び込みたいだけ飛び込ませるのです。それが、日本国民が「自己責任」を選ぶということだと思うのです。

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