『ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる』(梅田望夫著、ちくま新書)
懐かしい言葉を思い出しながら読んでいた。それは、【ドット・コミュニズム】。この言葉は、ネットで様々な情報がフローし、様々なプログラムが無数の人たちの創意工夫によって発展し、共有される社会を感じさせる言葉であった。
著作権などとの鬩ぎ合いで、10年前のこの懐かしい言葉はかなり実現しなかったように思うが、しかし今や再び復権しようとしている。(1) インフラやマシンの格安化(チープ革命)により、(1) インターネットが普及しスピードが速くなり、【ドット・コミュニズム】の理想である(3) オープンソースの基盤が出来たからだ。
「哲学者は様々に世界を解釈したに過ぎない(かつてのインターネットの閲覧行為か?)、しかし(肝心なのは)変革することである」(フォエイルバッハのテーゼ11、マルクス)。オープンソースという試みは、まさにこの言葉を思い起こさせる。マズローによると、人間は他人のために働くという欲望があるのだ。この欲望を欲望として解放する手段として、Web 2.0.は大きく寄与するだろう。
オープンソースというと、LINUX。無数の働き手が、自分の好きなだけ、好きなテーマで自律的にプログラムを作る。それは、個人の時間がこまごまと分断された中で、その分断された時間に応じて「好きなときに、好きなだけ」を可能にした形態なので、欲望に応じて作業できる。経験から言うと、組織立ったものを押し付けてはならない。Digital Volunteer Projectは、その流れに逆らった実例として記憶されるであろう(と、個人的な経験を記しておこう。これは、管理者の設置という、従来の組織論に従ったために破綻したと思う。予感はあったが、理解できそうな人がいなかったので言わなかった。すまん。)
なお、この仕事の方法は、他に敷衍され、コンピュータに限らないリアルの仕事をも変えようとしている。企業内では、発生した課題について掲示板などに書き込み、組織の縦横の壁を超えて解決するのは今や常識的だ。その場合も、「手すき時間のつなぎ合わせ」と「対等な関係」がキーワードだ。欲望の解放、平等、実に共産主義的ではないかw。いや、資本主義の枠内なんですけどww。って言うか、『The Work of Nations』(Robert Reich)に予言されていたことが、はっきりと実現したかと。資本主義の内部でこそ、ネズミたちは墓堀人となるのだ(本当か)。
http://www31.ocn.ne.jp/~memo/memo/the_work_of_nations.htm
また、欲望の在り処を示し、欲望を満たすためには情報の取捨選択が絶対的な条件だが、それを欲望に忠実に、そして、人を介在させずにネット自身の評価に従わせることで可能にしたgoogleが高く評価される。googleは、システム構築においては超優秀な人材を募り、システム運用については人を介在させない方法を採る。これで水平・公正を実現しようというのだ。彼らなりの民主主義の具現である。逆に、人間の能力を泥臭く反映させようというのがyahoo!。この二つの差異を確かめるには、現段階では「毛沢東選集」で検索することをお勧めする。
以上は、ネットで何となく小生なりに気づいていたこと。この本の衝撃は、個人・個別の欲望にフィットできるようにネットが進化している、ということを明示したこと(ロングテール理論)、そしてアフィリエートなどによって“国境を超えた”格差是正の可能性を示したことだ。最初は、Amazonが例として挙げられる。これまでマイナーということで一般大衆は中々アクセスできなかった欲望が具体化したもの=本やDVDにアクセス可能にした。今まで、マイナーということで断念していた欲望が、比較的容易に満たされるようになった。
後者は、アフィリエートをつけても精々月に数万円しか得られない、これじゃあ先進国では生活できないが、同じ金額でも発展途上国では金持ちレベルになり得る、すなわち、経済格差の是正に繋がる可能性があるということ。googleの理念の一つでもあるらしい。しかし、そもそもデジタルデバイドの問題、賃金格差そのものを誘起する社会構造の問題が大事だろ、と思うので、楽天的と思った。ともあれ、悪い話ではないと思う。
これらの動きを踏まえ、ネットは様々な欲望を満たしつつ、欲望の高位のもの=自己表現をますます可能にするだろう。ただし、それは往々にして「表出」(宮台)に過ぎない石ころだ。これからダイヤの原石を見出すのは、googleの進化した機能だと著者は予想しているようだ。小生は、むしろ、掲示板群(2ちゃんねるなど)ではないか、と思う。エルデシュ数の理論が、情報にも当てはまると思うからだ。
http://www2.cc.oshima-k.ac.jp/~nakai/math/erdos.html
http://red.ap.teacup.com/tamo2/65.html
いずれにせよ、姿を変えて共産主義への道(笑)はこの辺にあるのかな、と思った。欲望の実現、21世紀の共産主義はここである。民主集中制やら前衛主義を振りかざす連中は、21世紀においては共産主義者足り得ないだろう。問題は、この欲望が資本主義の枠組みを破壊するかどうか、だ。

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