『創価学会』(島田裕巳著、新潮新書)
本の前に。自分の創価学会経験にリンク。
http://red.ap.teacup.com/tamo2/183.htm
で、最初に酷いことを書いておくと・・・。日蓮の他宗派罵倒「念仏無間、禅天魔、真宗亡国、律国賊」はともかく――論証不能なので、議論そのものをナンセンスとするのが他宗派の態度――、その激しさのスタイルのみを踏襲し、その背後にある宗教の持つ複雑な矛盾を隠蔽した学会の教学ってのは、もう、問題にならないくらい幼稚である。西洋哲学の言葉で言うならば「死に至る病」が感じられないのだ。無限に折り重なる矛盾、それこそがセカイの実相であり、そうであるが故に色即是空、空即是色と言わなければならない。そして、五部経の中で一番大事とされる法華経はそのことを明示しているし、そうであるならば、創価学会の持つ薄っぺらさは本来あり得ないことなのだ。
そういう次第で、教学としての創価学会は噴飯モノであり、法華経の精神から乖離していると考えている。しかし、そうであるにもかかわらず、創価学会は偉大だという感想をこの本を読んで持った。そして、偉大であるからこそ、危険であることも。ワシら悪党集団・仰山者の一つの目指すべき類型が創価学会にはある。危険な悪党に早くなりたい。
・創価学会は座談会で力を持っている。(別名・おばちゃんの井戸端会議。)ここで信心していたご利益を語ったりするらしい。
・初代・牧口常三郎は、元々はクリスチャン人脈に近い人であったそうな。
・そもそもは「創価教育学会」。教育学の研究団体。牧口のユニークさは
彼の理想とする地理学は、(中略)自然現象と人間の生活とを結びつけて考えようとする(p26)所にある。唯物論的である。そして、「郷土科」ということを構想し、『人生地理学』を作る。新渡戸稲造の眼に留まるが、アカデミズムには受け入れられなかったようだ。
・在野に留まる牧口は赤貧となる。そのとき、大石講の三谷素啓に出会い、日蓮正宗を信仰する。時代は国柱会などの日蓮流行の時代。ファナティズムの時代。
・日蓮正宗は「勝劣派」。異端らしい。
・西洋は真善美。牧口にあっては美利善。「利」に注目。大衆に受け入れられた所以と思う。
・1937年の『創価教育法の科学的超宗教的実験証明』なる書物で、日蓮仏法を包含して新たに登場する超宗教が構想されている。そして、それには「制裁的威力」が備わっていないといけないらしい。法罰論。この頃から宗教団体化か。
・悪名高い「謗法払い」は日蓮正宗の教えのようだ。
・靖国参拝は、感謝のこころの表現として否定していなかったらしい。現人神(昭和天皇)への帰一を言うならば、神宮大麻を否定すべしと考えた。一神教的な観念を持つ日蓮系らしい「筋の通し方」ではある。(日蓮正宗の宗門は牧口に対し、神宮大麻を受け入れることを勧めたが牧口は拒否。)しかし、ここまでの天皇崇拝は危険であると取締りの対象となった。牧口はまだラディカリズムを有していた。牧口は73歳で獄死した。しかしそのことで彼は死後のカリスマにはならなかった。
・二代目は戸田城聖(甚一)。時習学館などで経営の才を見せる。それに飽き足らず牧口の活動を財政面で支える。そして、牧口とともに投獄されるも非転向を貫く。
・戸田は獄中で仏の本質を考え抜き、
生命であると捉えるようになる。(獄中の悟達)
・戸田の語りはざっくばらん、あけすけ。田中角栄っぽいらしい。レコード化された一方、まとまった著作はない。
・『人間革命』の前半は全くの出鱈目らしい(笑)。
・貧困に沈む信者のために実に即物的な確約をしつつ(笑)、一日一人の折伏、三時間のお題目を約束させる。このパワーは物凄く、1951年に千世帯程度の会員は、戸田の亡くなる58年には100万世帯を達成。著者は高度経済成長の社会構造に理由を見る。
・都市へ流入する農村の細民は、寄る辺がなく、都市で最下層に放り込まれる。大企業や官庁に入ると労働組合が受け皿となったが、自営業や中小企業の労働者はそうはいかなかった。彼らをオルグし、座談会などで仲間意識=帰属意識を与えるのに成功した。また、日蓮正宗の「謗法払い」は、故郷を捨てた人間にとっては無問題であった。先祖供養は創価学会にはない。こういう強みがあった。
・折伏の論理的根拠の馬鹿馬鹿しさはA・ジッドの『ソヴェト旅行記』で暴露されたソ連の宗教教育並み。しかし、馬鹿馬鹿しいほど単純ゆえに、実践では破壊的なパワーが炸裂。
・軍旗があったり、天皇の閲兵式を真似したり。戦前日本のトラウマか?
・馬鹿馬鹿しい教学論争からは降りるしかないのだが、そうすれば「勝利宣言」。日蓮系は殆どそうなんだがwww。
・選挙は会員の団結のためのようだ。また、金がないので公明選挙になるとのこと。
・で、悪名高い「国立戒壇」。国教化は否定していたが、どうも疑問は晴れない(法国冥合理論などで)。
・公明党結成の頃、左翼党派、保守政党、他宗派・宗教、労組などの運動体から警戒と批判が出てくる。確かにお釈迦様は坊主は政治に関わるなと仰ったが。炭労は創価学会締め出し決議。しかし、以前にも書いたが「労組員は世の中の勝ち組」。創価学会のほうがヨリ下層労働者を代表していた。そんなわけで、結果的には保守政党は創価学会の一定の伸張を喜んだのかもしれない。
・そんな時代、戸田は死去。「お前ら若いもので決めよ」と遺言したが、これまた経営の才のある池田大作(1947年に小平芳平に折伏されて入信)が実権を握る。池田は1957年の選挙で「堂々と戸別訪問せよ。責任は私が負う」と会員に要請したという嫌疑で逮捕。
・安保では事態を傍観。保守を間接援助。労音に対抗して民音を設立。創価学校を設立。
・高度経済成長は「1968年」という時代を迎え、創価学会も曲がり角を迎える。巨大になったら当然のごとく批判も出てくる。批判への御し方はこういうところ(他には共産主義党派とか)においては「批判は一切あってはいけない」ってなことになる。藤原弘達の『創価学会を斬る』がスキャンダルな歴史として残っている。出版中止要請を田中角栄が電話で藤原にしたとのこと。
・田中と公明党との関係と言えば、日中国交回復において、竹入委員長が密命を帯びて周恩来と会見したことで有名。この流れが自公連立に繋がっているかも。
・確かに田中角栄を支えたエトスは、創価学会を大組織にしたエトスと通じるものがある。彼らこそ、左翼とは違い本当に下層と結びついたのだ。「利益誘導」を下賎と言ってはいけない。
・しかし、創価=公明の言論界への圧力は満天下に晒され、窮地に追いやられる。池田は陳謝することになる。同時に、
池田自身の政界不出馬、国立戒壇の否定、政教分離の明確化、強引な折伏活動の停止を約束する。国立戒壇の否定で公明党を学会が支える大義がなくなる。
・この事態を受け、公明党は1970年に新しい綱領を作り、仏教色を排除し、国民政党として大衆福祉の実現を中心課題に据え、彼らの言う所の中道路線を掲げ、ドブ板選挙にまい進する。
・一方、創共協定が結ばれる。松本清張の仲立ち。これは無理があった。
・様々な行き詰まりからエネルギーのはけ口が必要となる。ここでマスゲームなどが生まれる。
・創価学会に近いところから批判可能な団体としては、「顕正会」というのがあるらしい。
・創価学会の伸張により、葬式などを行なう日蓮正宗も潤った。しかし、日蓮正宗は出家のほうが上という感覚があり、創価学会は面白くない。自分たちの経済力を自分たちのために使おうと思うのは自然の理。1991年、創価学会は絶縁される。
・池田大作氏は取り巻きとともにあっては『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である』と言ったりする反面、インタビューで個人になるときはざっくばらん、率直で親しみ易い人間となる。小生は組織人と個人を意識して使い分けているように感じる。一方、イベントなんかでの特別扱いは嫌いなようだ。なかなかに人間臭い印象を持つ。神格化には申し訳ない気持ちとのこと。
・多分、本当に地獄を見たものがいない、という意味であろうが、池田氏は創価学会に人材がいないと嘆く。ちょっと気に入った文章があったので引用(p136)
池田は、女性革命家のローザ・ルクセンブルクや『プルターク英雄伝』に描かれた正義の人・アリスタイディーズについてふれ、信念を貫くことや民衆が賢明になることの重要性を説いていったのだが、すぐに用意された原稿を離れ、話はたびたび脱線していった。
・池田氏は学会の官僚化には苦慮しているようだ。一般会員に幹部会を公開したり。そこで、東大出などのエリートを叱り飛ばしたり。ただ、一応、エリート大学(京都大学)と言われる人間として書いておくと、学会幹部の方々も
普通の人間であり、誉められれば嬉しいし、叱られたらへこむ。フォローはどうなんだろう? 叱り飛ばされることの幸せを分かっているのならばいいんだけど、ちょっと心配だ。
・池田氏の唱題する声は他を圧倒するらしい。
・昔の「出がらし」になる前の日本共産党の学習指定文献のようなものがあったらしい。しかし、昇格試験などの話を読むと形骸化しているかも。
・共産党(社会党)になくて、創価学会にあったもの。創価学会が勝ったのは当然だと今は思う。
p150より引用。
創価学会員たちは、出てきたばかりの都会で、生活の基盤を確立できておらず、寄る辺ない境遇におかれていた。都会で安定した豊かな生活を実現するには、それを助けてくれる仲間を必要とした。
創価学会に入会すれば、そこには強固な人間関係のネットワークができ上がっている。そのネットワークは日常生活に及んでいく。
・芸能界という浮き沈みの激しい世界では、上のことは顕著だ。学会員になるとメリットが多そうだ。『八甲田山』や『聖職の碑』はかなり学会の動員があったようだ。(名作だが)それは当時、創価学会で問題となっていたリーダーシップの問題を扱う大作であった。
・しかし、池田氏も御歳80にならんとする。戦後日本に出来た巨大な村=創価学会のカリスマも世を去ろうとしている。しばらくは集団指導体制になるだろう。
・学会の弱点。現世利益は下層に受け入れられるが、上層には? 親が下層でも、子供は上層になることがある。確かに、人間関係を継続させる目的で、また、居心地いいので残る人が多いだろうが、しかし、熱意はなくなるだろう。インテリにとっても正直教学はアレだし、池田氏のフォロー如何によっては人心が離れよう。
というわけで、学会は高度経済成長時に都市に流入した下層貧民を基盤に、彼らの不安定さに依拠して大きくなった。しかし、時代は変わり、高学歴化と昭和30年代までとは違って豊かになった。学会は今のままでは現状維持も難しいと思う。
しかし、公明党という公党との結びつきは非常に大きく、政治のキャスティングボートを握っている。バカにするつもりはないが、教学なんぞどうでもよくて現世利益で結びついた創価学会をバックに持っているというのは、日本の政治においては非常に強いものがある。彼らは主体を一定「預ける」(放棄する)ことで政治に関与する。このような集団が一定以上いるということは、民主主義の弱点を深めることである。この点において創価学会=公明党は危険である。
だが、これも高学歴化などで基盤は掘り崩されるであろうし、そう期待したい。
一方、創価学会の強さは座談会にあると思った。我が仰山党も見習いたいが、しかし、糖酒が親鸞系なので「ワシ、仰山思想なんかやってたから、こんな酷い目に合いましてん」とか、「仰山思想ってエエ加減で信頼できまへんなあ」とか、弱点ばっかり言い合う会になるだろう(爆)。信仰を深めるということは、信仰を疑うことでしかなし得ないからだ。創価学会も「信心しても・・・云々」と言えるようになれば、ヨリ強固になるだろう。
おまけ。共産党も、司令部を砲撃せよ!と言えるくらいに「疑いは信念を高めること」となればなあ。創価学会以上にダメだろうな。そして、共産党を含む左翼が創価学会に負けたのは当然と思った。

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