『日本共産党vs.部落解放同盟』(筆坂秀世+宮崎学著、にんげん出版編集部<編>、モナド新書)
小生が思うに、今や日本共産党や部落解放同盟とは「何か」、ではなく、「何だったか」が語られなければならない。この問題意識は宮崎氏には特に感じられる。
この本は、両者のどちらかに対する擁護ではなく、「綺麗に死になさい」と言っているように思えた。対立しつつ、共通する病気。それを克服できなかった生命体は、物理的に死ぬしかない。ただ、宮崎氏が第五章で以下のように案じるように、差別問題、ひいては人類解放問題(類的存在として人間が生きる、という初期マルクスのテーマ)については、その精神まで死んではならないのである。輪廻転生。
解放同盟という組織の先行きを案ずることはない。むしろ、水平社、部落解放同盟を支えた人たちの精神が風化すること、それこそを私は憂えています。
(p217)
さて、最初に戻る。そもそも、部落解放と人類解放――個人的には、プロレタリアートなる、後にマルクスによって「発見された」概念よりも、こっちのほうが好きだな――を謳う解放同盟と日本共産党は共感し合い、共鳴し合っていた。水平社の闘い、それを引き継いだ戦後の部落解放同盟の闘いは、共産党が大いに支えていた。どちらも、封建遺制である部落差別を日本資本主義は利用し、維持しているという認識であった。
但し、この蜜月時代にも、後の対立の芽は内包していた。しかし、それは前衛党と大衆団体との間にあって然るべき対立である。
日本共産党は、当時の理論では階級闘争・階級対立に従属あるいは内包するべく部落解放を位置づけていたし、また解放同盟は同盟で自らの解放は自ら自身の固有の問題として当然にも捉えていた。しかし、対立以前には、世間的には弾かれ、疎外された者同士、共感し合え、共に闘う同志として認めあっていた。現在の解同も高く評価しているオールロマンス事件を支えたのは共産党だった。
この条件を崩したものは、直接には高度経済成長である。パイの分け前は広く国民に行き渡りつつあった時代、部落はおいてけぼりにされていた。例えば、昭和40年代後半、小生の生まれ育った平野の被差別部落の一般的状況は、「土間にゴザ敷の寝床、共同便所と水道、街燈は殆どなし」という有様であった。大企業や中小企業の絡み合った支配の中、多くの労働者は「会社主義」を通じて繁栄のおこぼれにあずかっていたが、被差別部落は就職難、就職差別もあってその網に引っ掛からなかったのだ。
このような、近代資本主義にとって異常な状況を放置することは、独占資本主義による大衆・労働者の<力>の吸い上げにとって阻害要因となる。差別・分断がかかる形で維持することは、革命的潜在力を被差別部落大衆に与えることになる。自民党政府はこのような異常の解決のために、同和対策を行った。
これの評価を巡って、一九六〇年代中ごろに共産党と解同は批判し合うようになる。共産党は、自民党政府による懐柔、融和策であり毒まんじゅうであると批判する。対する解同は、毒まんじゅうと言っても、実際に広く貧困が存在し、それが差別の背景にあるのだから、毒であれ何であれ、まんじゅうはまんじゅうだ、と言う。それだけではなく、まんじゅうを提供させたのは、運動の成果である、と。改良で何が悪い!という、自然発生的な大衆運動の論理である。
共産党、というか、共産主義組織は自らの「指導という名の欲望」を満たそうとする。部落大衆が対策事業によって革命的能力を失うのを恐れる。あくまで革命的であれ、ということなのだ。
この党と大衆組織の対立の構図は、レーニン主義を巡る議論で何百万回見てきたか分からない。フェミニズム、民族問題、、、などなどで。注意すべきは、この時点では共産党が原則的な左翼の立場から解放同盟に批判を行っていること。この時点で、高度経済成長の論理を共産党は否定し、解同は受け入れているとも言えよう。高度経済成長は、改良主義を超えて労使協調に根拠を与え、共産党の革命的存立基盤を(当面は)奪って行った。
この対立の背景には、中ソ論争、新左翼の登場、狭山(差別)裁判闘争があるとのこと。大阪では上田卓三(日本のこえ派)のことが思い出される。彼の「毒まんじゅう」ぶりは、反日共系の人からも色々と・・・ごほん。まぁ、古くて新しい「革命か改良か」という問題であった。(解放同盟で共産党と袂を分かった幹部の中には、日本共産党出の人が多い。ということは、構造改革論争も背景にあったということか。)
しかしなあ、この問題設定自身がいかがなものか、と小生は思う。両方だろう、、、と。まんじゅうの中の毒に気をつければええんちゃうのん? 大阪では「
只ほど安いものはない」と言うし。解同の中では、色々と(少なくとも理論では)評判の悪い朝田善之助が毒に憂慮していたというのが面白い。
しかし、あくまでも革命を掲げ、左側から解同を批判するのでは日本共産党も立ちいかない。高度経済成長に先に乗った大衆の要求を汲み取ることはできなくなる。そこで、共産党は革命の党から、議会主義の党へとドンドンシフトしていく。そして、大衆の「俗情との結託」により、かつて左から解同を批判していたのに、右から批判するようになる。共産党は、議会主義を選択することにより、糾弾闘争などによって培われた「解同=こわい」という大衆感情に依拠し、高度経済成長の恩恵に浴した大衆の「切実な要求」に依拠するようになった。目前の要求実現のため、改良を任務とするようになった。
この段階で、共産党は全人民的な課題の中の部落問題という位置づけから、解同独自の要求を批判するに至る。ユダヤ人ブントを巡るレーニンみたく。そんな中、矢田事件が起きる。共産党は、自分たちの方針を外部団体に押し付けるという、いつもの間違いを犯す。
また、微妙な対立もある。いわゆる「窓口一本化」である。部落の諸問題は、解同を通じてという奴である。窓口一本化は、戦前の融和運動への対応に関する反省から生まれた。行政による被差別大衆の分断を許さないためである。労組のユニオンショップ制みたいな。そもそもそれに賛成していた共産党だが、この時点では解同の特権化になると反対した。対立は八鹿高校事件で頂点に。
歴史的に見て共産党は、暴力的事態が生じても自力救済(その場での暴力的反撃など)で対応してきたが――渡辺政之輔みたいに(かな)――、議会主義政党にシフトするにつれ、いわゆる告訴・告発路線を取るようになる。教職員たちをやられっぱなしにして、宣伝に利用した。共産党は反体制の組織である半面、体制に「公正」を求める半体制の組織になってしまった。
解同と闘う共産党は、大衆の持つ「解同は怖い」という意識と相まって、選挙で浮かび上がった。共産党は、資本主義の発展により封建遺制の残る日本が変われば、すなわち「資本の文明化作用」が働けば、いずれは部落差別がなくなると考えていた。そして、選挙での躍進は、彼らの論理に自信を与え、近いうちの民主連合政府樹立を夢想させるほどになった。そして、階級政党から国民政党に「脱皮」した共産党は、部落問題について「国民的融合論」を打ち出した。後の歴史が示すように、そんな融和はあり得ない。資本主義がどれほど発展しようと、否、社会主義になろうと、「人間の意識はのろのろとしか変わらない」(by トロツキー)からだ。というか、宮崎氏が正しく述べているように、差別は姿を変えて残るものだからである。
差別は社会の仕組みや経済のありかたとは別のところに存在している(p141)やっかいなものだからだ。小生は、以前に書いたと思うが、人間という弱い存在の持つ恐怖感と、他者に対する違和感から差別が生まれると思う。社会の仕組みや経済のありかたの影響を色濃く受けつつも、決定的なところでは人間は差別する実存だと思う。だから、やっかいなのだ。共産党は、彼らの見解に従い、今や部落差別がなくなったと言うまでになってしまった。本書の冒頭にあるように、部落差別の現実を訴えた『太郎が恋をする頃までには……』(栗原美和子著)に対して、
部落問題が解決に向かっているときに歴史の歯車を逆転させようとするようなものだ(p11、引用は人権連から)と、暴言を吐くまでになってしまった。
革命を彼岸の彼方に投げ捨てた日共は、しかし、民主集中制を投げすげるまでには至らず、それゆえにアッパーミドルのリベラリズムと馴染むことは絶対にない。彼らは「正しくも」リベラリズム批判をディープなところで繰り返している。そういうところから、物質的に豊かになった大衆からは疎んじがられ、今や支持率2%となり、賞味期限の切れた政党として醜い姿を晒している。ま、これは別の話か。
一方、部落解放同盟。窓口一本化の結果。小生が子供時代を過ごした平野では、K建設が解同と癒着し、利権を一手に引き受けて、美味しい汁をチューチューしていたことは、聞いていた(ちなみに親からじゃないよ)。思春期になったら、大人の世界を教えてくれるおっちゃんってのがいたものだ。元々大人しい人が多い被差別部落の人は、何かと騒がしい解同や、解同・行政・業者の癒着を嫌い、お金が出来たら、あるいは大人になったら村を出て行った。要は、村に嫌気がさしたからであろう。
一本化は必要だったのだろう。だが、彼ら解同には代表者としての矜持、あるいは果たすべき責任感というものが本当にあったのだろうか?
参考:
http://red.ap.teacup.com/tamo2/398.html
被差別部落の人が、必ずしも、っていうか、恐らく本音では殆どが解同を快く思っていなかった。その彼らをも代表する、ということの意味を、解同は理解していたのだろうか? ある種の疾しさが代表には必要なのだ。敵対するものの権利(利権)も飲むこと。これが分かっていれば、同和利権と正しくも言われる問題はかなり抑えられていたであろう。大窪氏が最後のほうで指摘していたと思う。大窪氏はそれにとどまらない。
被差別部落の闘争集団が「住民闘争の先進部隊」だというのなら、「この先進部隊の水準を全人民的水準に拡大する」のは、先進部隊じたいの任務でもあるのではないか。
そして、そのような立場に立つとき、利権が利権でなくなる可能性が開ける。利権を社会集団の「固有の力」に転化することができるのだ。
これがもし出来たら、全国連なんかよりも、はるかに(社会)革命的な集団として、部落解放同盟は立ち現れるであろう。
さて、宮崎氏は、行政が癒着を望んでいたことを指摘し、利権の大きさは行政側にこそ大きいと指摘する。それはそうだろう。だが、運動側は、それを口実にしては絶対にいけないのだ。運動への信頼性の問題に繋がるからだ。宮崎氏が運動側かどうかは微妙だが。
解同は、物質的な成果によりかつての差別がなくなった、あるいは非常に薄まったと正しく認識しているようだ。かつてのような地域・支部での取り組みだけではダメだ、とも。しかし、仕組みが対応していず、今は公称でさえ7万人の組織である。
共産党にせよ、解同にせよ、高度経済成長以後の時代と向き合うのに失敗し、ネット時代への対応も失敗している。要は、命脈が尽きようとしている。
問題は、差別は未だ姿を変えて残り続け、貧困もまた新たな姿で蔓延しつつある現実だ。命脈の尽きた組織に頼るわけにはいかない。かと言って、新たなものはまだない。出来るにしても、彼ら、特に共産党の妨害・引き回しが予想される。
彼らが大いに変わってくれれば一番いいのだが。ないものねだりかも知れない。
さて、本書については書いていることと同時に、書いていないことも大事だろう。まとめで大窪一志氏がアナ・ボル論争と対比されて、共産党と解同の対立点を述べている。「人間主義」vs「階級闘争」/「部落民解放」vs「社会全体の解放」/「政治屋の排撃」vs「前衛の指導」などなど。これらは大衆運動と革命的マルクス主義運動の対立点と見て良いし、あらゆる戦線で繰り返されてきたことである。言うまでもなく不毛である。
ただ、両方をガキの頃から見ざるを得なかった人間としては、共通する病気についてもっと書いて欲しかった。共産党は大衆運動を引きまわし、「指導」したがるが、解同に限らず運動体においても、一旦指導権を握ったら、同じようなことを組織内でする連中が一杯いる、ということだ。窓口一本化のところで、それなりに掘り下げてはいるが。解同の内部はそれほど詳しくないが、社会党系の連中が同じようなことをしていた話はかつて聞いた。この点では一般大衆から見て変わることはない。
最後に。小生は、「革命も、改良も」である。両にらみ出来ない政党、特に革命政党は逝ってしまうであろう。二項対立に捕われ過ぎた議論が多すぎる。

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