これ
http://red.ap.teacup.com/tamo2/1575.html
の続き。第一部も追記したよ。
【本誌創刊記念トーク・セッション 第二部】
・千坂恭二氏、スガ秀美氏登場。まずは三浦氏のファシズムという言葉の説明。ファシズムを軍国主義と訳すのは間違いという基本から始まる。次に議会制民主主義が欺瞞に転じた時、それを壊すこと、共同体を破壊する共産主義――と理解されていた――に反対すること、直接民主主義と行動主義による議会主義の乗り越え。一言で言うと、ボリシェヴィズムからマルクス主義を抜いたものかと思う。マルクス主義も究極には民主主義の乗り越えを意図していた。なぜならそれは階級対立の産物だからだ。
・サロ共和国(クーデターにより北部イタリアに追われたムッソリーニの共和国)では労働者と資本家の共同経営、批判の自由などのファシズムの原点があった。
・ムッソリーニには人種的偏見が殆どゼロ。
・共産主義者、中川文人氏登場。彼はこの本にも寄稿。在特会断固擁護。「議会制民主主義より大事なものがある」という意見が右の方から出て来たのは素晴らしい、と。ってか、三島・・・・。新左翼の原点はそこのはずなのに、忘れているのではないかという批判。いやまあ、日本共産党もそうだろ。
・右も左も言論のみならず、殺し合いをやって、生き残った強運の者だけがトップになればいい、、、怖い(笑)。ただこれ、日本的ナァナァのダメな面を突いているよね。
・スガ氏@共産主義者 から、ネオリベについての話。ネオリベは「権力を取らずに世界を変え」てしまった。革マル派(変種トロツキスト)がそういう題の本の訳者に名を連ねているのは意味深。ネオリベは「労働者」という仮定の存在を認めず、全て「企業家」として捉える。だから彼らに対抗する上で「労働者」という概念を持ち出してもナンセンスになる。ベーシック・インカムはネオリベの教祖、フリードマンが言い出したことに注意。左翼が無批判にそれに飛びつくことは危険。また、右翼もネオリベ、特にその経済学について無頓着。それはマズいのでは。なお、言うまでもなく、ナチズムの価値観は「労働」。アウシュビッツに掲げられた言葉を想起せよ。
・千坂氏は「アナルコ・ファシスト」というスガ氏の命名にニタニタされている(笑)。
・千坂氏の略歴? 高校生にしてアナキスト、伝説のギロチン社の生き残りのご老人に会ったり、テストは白紙でも満点だったり。出過ぎる杭は打たれないのだ。ムッソリーニは「国家主義社民」とのこと。
・革命家は常に対象に対して当事者なので、アウシュビッツを外から見ることは出来ない。ナチスの革命性はホロコーストにあると考えてみるべきではないか。(少し薄めて表現してみた)
・前にも何かで書いたが、ナチスは感情で人を殺していない。システムで殺している。でないと、数年も継続しない。ホロコーストとはナチスが、自分たちは社会主義者であると主張したことの存在論的証明である。「ユダヤ人=資本家」という当時の「代名詞」ゆえに、ナチスの階級闘争はホロコーストに行き着いた。当時の左翼は多かれ少なかれ反ユダヤだった。
・WW2後のユダヤ支持派は、戦前の反ユダヤの構造をそのまま持った連中である(ジェフリー・メールマン)。純行政的傾向のあるトロツキーの支持者が、ネオリベになったようなものか。
・ナチスに「ユダヤから金が出ている」とか「ドイツ・ナショナリズムの敵である」という批判があった。(極右のエアハルト旅団から)
・ユダヤ人を放逐したスペインは近代化に遅れた。旗、制服などの象徴による統制はユダヤ人の知恵。ナチスを「作った」のは、一面ユダヤ人の影響である。だから、余計にユダヤ人は恐怖したんだろうと小生は思う。
・ユダヤ人に「作られ」、資本主義を前提にする社民主義のナチスは、理念で社会主義に行き着けない。とすれば、唯物論的、存在論的にユダヤ人を殺すことでしか社会主義に行き着けなかった。ここでユダヤ人大量虐殺は反資本主義の倫理にも成り得る。イデオロギーって恐ろしいね。
・ナチスはユダヤ人を元々は銃殺していたが、それだと射殺者の気が狂うので毒ガスに変更。
・ナチスはユダヤ人殺しをしたが、アジア人蔑視は少なめ。親衛隊にはイラン人部隊やインド人部隊があった。
・ドイツ人がイギリスで捕虜になると、アイルランド側に逃げてIRAに匿ってもらっていた。北アフリカやバルト三国もドイツ側。ドイツの敵に抑圧されていたところはドイツについた。電撃作戦のあと、ウクライナもまた、初期はドイツについていたね。
・フランス人は余り連合軍に協力しなかったらしい。さらに、ノルマンディー上陸作戦で米軍が攻撃することでフランス人の家が焼かれたり殺されたりしたので、フランス人がドイツに協力さえしたらしい。
・真珠湾の攻撃に呼応して、米国内で有色人種が解放闘争を巻き起すことをアメリカは恐れたらしい。実際、黒人活動家が日本に祝電を贈っていた。
・田母神類が「日本はアメリカにはめられた」とか言っているのはアホと、千坂さんも言う。小生もそう思う。だって、はめられるようなアホと認めているからだ。日本が西欧列強の秩序と対峙したのは紛れもない事実。革命戦争はそういう意味で、常に侵略戦争だ。
・戦後体制に反撃するには、戦後体制の偶然性を暴露し、運動する側に必然性があることを示す必要がある。
・ABCD包囲網を言う自由主義史観類については、「外部にドイツがあるじゃないか」と。仮に日本が負けても、革命戦争=侵略戦争の継続は外部に亡命政府を作ることで可能。そしてそれを貫徹しているのが今は日本赤軍!
・日本赤軍は軍の復活と戦争の再開を主張した。(重信房子の父親が血盟団の一員であり、娘を応援したことを想起するべし)そして国内での行き詰まりから、国際根拠地を求めた。
・で、日本赤軍は石原莞爾の戦略に通じる構想を持っていた。
・日本が戦争中に何を意図して何をやったか、ということと、アジア解放の否定的媒介という事実を混同してはならない。
・ABCD包囲網で「戦争やむなしだった」ということなら、「本当は戦争は嫌だった」ということになり、そうなれば大東亜戦争の大義――後付けだし、その割には朝鮮、支那の言うことを聞いていないし――を否定することになる。
・田母神類のおバカさをさとさとと外山氏が暴露しまくりが面白い。確かに田母神類なら日本は釣られまくりの馬鹿になる。
・千坂氏の携帯電話がなり、、、、壇上で通話。「外部」との繋がりだ(笑)。
・グローバリズムは「外部」をなくしていっている。ソ連崩壊は、世界の革命運動に困難を齎した。ちなみに今日、読んだ代々木系の本にソ連の崩壊で世界の革命運動が前進したようなことを書いていたが、あれは嘘だね。社民主義にさえ打撃を与えているのは明白じゃないか。
・右翼は「守れ」が先だから、既存権力の手先になる危険がある。
・華僑のメンタリティーはネオリベ。「道徳」がないのも当然。
・千坂さんが言うには、中共が打倒されても、中国人は変わらない。中国の最大の問題は中国の民衆。色々なニュースを見ると、分からないでもない。
・日本資本主義の外部としての天皇(皇室)。倫理性の根拠はいつの時代も「外部」である。日本では、天皇に措定されるべき、と。(そうしたい人はそうすればいいというお話だが、憲法1〜8条に規定されているからね)
・同じく、資本主義化される中国にとっての「外部」は毛沢東。毛沢東を否定できないのだ。
・天皇ゆえに革命国家である、という千坂氏の主張に対してはまたいずれ。
・一つ小生が突っ込んでおくとすれば、「人間は保守性ゆえに革命をする」(by トロツキー)
・戦後の天皇は「北朝=戦後体制」に拉致されている。この状況で、正統なる国史を継承しようと思ったら、賊軍になるしかない。(よって、この捩れた皇室の歴史と状況の中、大御心をどのように忖度して実践しようとも、全て裏切られることになる。天皇という革命原理は、予め裏切られた革命になるのだ。)
・明治維新後、日本の公共性を作ったのは皇室制度。公共化のためには国民が互いを相対化しなくてはならない。その装置が臣民であった。(ヴェーバーの倫理に関する論理を思い出す。また、天皇が意志を持つと、その構造が破壊されよう。臣民の中に大御心に「適うもの」「適わないもの」という差別・分断が入り、相対化が破壊されるからだ。だから、2.26と終戦は、例外状況とも言える。)
・そう言う次第で、2.26を右翼は総括できない。(ってか、そこで一旦死んだ。)
・『風流夢譚』を三島は推薦。(確かに、あれに描かれる今上天皇皇后の無機質さは、戦後の皇室を示しているような。「などてすめらは……」と言った三島が、戦後の皇室を象徴する美智子妃殿下の生首がゴロゴロ転がることに、何らかの積極性を見出しても不思議ではない。ちなみに、ある右翼は「正田のメリケン問屋」と美智子様を馬鹿にしていた。)
・右翼には心理学はあるが、社会学はない。(小生に言わせれば、運動論としても、右翼は直接行動か、直接民主主義しか論理化出来ないんじゃないかな。それを超えようとすると、非常時以外は保守に絡め取られるであろう。革命的左翼が社民主義に絡め取られるように。)
・右翼が依拠すべき階層は? 確かに、見えないなあ。資本主義と真正面から向き合う右翼が求められていよう。そのためには、恐らく左翼(敵)から学ばなければならない。
あとは『インパクション』とかのガラクタ左翼を罵っていたり、まあ、いいや。時間ないし。

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