『世界を語る言葉を求めて 3.11以後を生きる思想』(辻井喬×宮崎学(対談)、毎日新聞社)
3.11で語る「べき」言葉が失効したという印象は、文学に携わる人には広く共有されている感覚であろう。神戸の大震災の時も「がんばろう神戸」という言葉があったが、「がんばらんと死んでまうさかいに、神戸の人らは頑張るやん、もう十分頑張っとるがな」とか思ったものだ。勿論、象徴的にオリックス・ブルーウェーブなどの当事者が掲げるのはアリである。
この本は、エピソードが色々と面白い。
さて。「がんばろう日本」とか「がんばろう東北」。そう言うしかないという事情は、分からないでもない。そのことが語る「べき」言葉が失効していることの裏返しでもあろう。その上で、宮崎氏はこれらの言葉が大震災を劇場化し、客体視化していると批判する。この人は、本当に優しい男である。ベトナム反戦運動のある種の形態(ベ平連など)を享楽の一種として批判した人間に相応しい優しさである。この事態を受け、宮崎は言う。「私が発してきたのは本当に自分が思い詰めた果ての言葉であっただろうか。私は胸にこみ上げてくるぎりぎりの感情を表現できたであろうか。」(p010) 自分の発してきた言葉はどこかで劇場化していた、と。彼は事態にアンガージュしようと欲する。
第1章は「3・11以後の言葉」と題して。宮崎氏と同じく共産党体験を有し、文学に携わっていた辻井氏は、「新しい認識というのは、危機的事態のあとで生まれるもの」と言う。ダダイズムやシュールレアリズムを例示。また、現実を劇場化し客体視してきた左翼に「あんた方、そんなことではだめだよ」と突きつけたのが大震災ではないかと言う。これは、辻井氏を含めた左派の民衆への認識を改める事態だとも言う。従来、日本の左翼インテリには大衆が「不満が爆発して権力に向かって押し寄せて根源的な異議申し立てを」しないという絶望感があった。それは正しい絶望だったのかと問う。例えば。第二次世界大戦で絶望的な死を強制され、玉砕した日本の若者たちの顔は美しかったに決まっている。だが、左翼は自らの図式に当てはめ、美しいと言えなかった。「美しい顔で死なせたからこそ戦争は罪である」と言えなかった。樋口篤三――新左翼系労働運動家――は予科練上がりで、戦友会に参加していたが、そのことを労働運動活動家仲間には言えなかった。人間を単層に、フラットに認識させようとする左翼世界の罪。「決まり切った枠」の中に言葉、ひいては人間を押し込める圧力は、しかし、左翼のみならず日本の社会の同調圧力ゆえか。そして最もエグい、泥臭い地点から人間の意識をひきはがす。そして震災の困難を被災者のみにひっ被せる。この状況に対峙出来る詩人は、田村隆一くらいしかいないのではないかと辻井氏は言う。戦争の傷を引き受けようとした詩人。言葉=ウソになっていまう悲しい定め。(ファウストの「緑」と「灰色」!)その境涯で苦闘した男。現在では辺見庸の文章。ジャーナリスト・萩尾信也の「三陸物語」(毎日新聞の連載コラム)。ここからジャーナリズム批判。当事者意識、あるいは当事者に寄り添う意識の欠如。西山太吉事件の頃にはあったそういう意識がなくなったのは、ベトナム戦争終結の頃からか。「タブーに踏み込めないメディアの及び腰、横並びの事なかれ主義、そしてことあるごとにナショナルな美談に回収しようとするやりかた」体制翼賛的なメディアを突き破ることが出来るのは、突っ込み能力で武装?した大衆だけだと思う。いや、神輿としてジャーナリストがいればもっといいんだけど。
第2章は「共産党という経験」と題して。まずは最近共産党が声高に言う反原発について。「「安全最優先の原発行政」とか言っていましたが、そんなのは言語矛盾です。」と、宮崎氏。さすがだ。そして、かつて言われた「科学的社会主義」の「科学的」が今回決定的に壊された。人間の業を見通せなくて何が科学か、と。空疎なスローガンに過ぎなかったのではないか。話はロシアのホワイトハウス砲撃事件のやる気のなさへ。すなわち、共産主義の思想はソ連において空っぽであったという事実。日本の場合は、第二次世界大戦の敗北で本当には誰も責任を取らなかったことで、スローガンの空虚を民族として経験してしまっている。無責任国家、目先の利益の追求という国家。三島由紀夫の「遺言」を想起するのもよし。辻井氏はアプレの時代を思春期で迎え、大学で共産党に入ったのかな。で、その共産党が実に日本的なセクショナリズムの権化だった。「明確な敵とわかる相手は叩かない。ところが、時と場合によって味方にも敵にもなる相手のほうが、党のセクショナリズムにとっては外のある存在と見るんです。」古在由重への態度を例示。藤田省三、丸山眞男へもそう。だが、創価学会や旧社会党、ひいては政党や新左翼もそうだと言う。日本舞踊もそうだし、最も激しいのは新劇の世界とも。共産党の場合、医師の世界で頑張ってきた小池氏が知事に最適と辻井氏は考えたが、周りの人間が共産党ということで二の足を踏んだことを語る。セクショナリズムを目の当たりにした「日本の知識、批評、評論などが政治的な無思考に陥っている」と語る。宮崎氏はセクショナリズムの起源を考え続けていると言う。異端の排除を党の掟にしたところか。そしてそれは所謂スターリニズムの問題に還元し切れるものではなく、日本の組織のあり方でもあった。共産党の場合、一九七〇年代初頭に国会で三五議席を得る躍進をした「頂点」で、学生運動派や民青運動派の先鋭的な大衆運動派を排除していった。ミヤケン路線の邪魔になる可能性があったからだ。(「叛乱の芽は双葉のうちに摘み取れ。」)共産党のセクショナリズム的な教条主義は、例えば文芸評論に出る。宮崎氏は言う。「作家は作品によって評価されるべきで、プロレタリア作家であるかどうかを組合活動や党活動の有無によってはかられるというのはおかしな話です。」これじゃあ若い人は寄って来ない。共産党の志位さんが言うには、六〇歳以上が六割の党になったとのこと。旧社会党も同様。ここは土井たか子氏が排除した人が多いらしい。そして変革の契機を失った。だが、社共の硬直化は、日本社会の本質的な変化に関わると宮崎氏は言う。政党、企業、労働組合、ひいては家庭も解体しつつある世の中、と。基礎的な、あるいは擬似的な共同体の崩壊。解同、総連、民団、やくざさえも壊滅的に。これは、しかし、近代化の完成と言えなくはないか。そしてそれは幸福な人を減らす過程だったのではないか。そして3.11はそれを白日の下に晒し、「近代的な価値観は本質的に解体してしまう。」と宮崎氏は言う。物質的豊かさを求めることが幸せを求めることだという幻想は、資本主義も社会主義も振り撒いていた。それの競争であった。その点では共産主義も無関係ではない。話題に出るのはイタリア共産党。イタリア共産党は大衆性があり、その遺産が今も生きていて脱原発の国民投票に結びついた。日本では、日本共産党さえもが沖縄米軍基地の県民投票さえ呼び掛けない。自由と民主主義の宣言を出した頃の日本共産党は、ユーロコミュニズムと親和的だったが、ミヤケン路線の純化で民主主義は後退。中共の干渉をミヤケンが撥ね退けたのだが。だが、それはミヤケン路線の邪魔という観点でなされたんだと思う。辻井氏は五〇年分裂の頃に離党、その後北原白秋らの本を読んで文学が面白くなる。また、父親の秘書となる。宮崎氏は家業を継ぐために帰郷して離党。実業で世間を知るとともに、ベトナム戦争の終結を見て「こういう革命もあったのだ」と驚く。そして「小さいながら資本主義の道をひた走れ」、バブルで「莫大な金をぶちこんだら壊れるのではないか」と思う。地上げにも係わり、異常な価格上昇におかしさを感じ、資本主義は絶対に壊れると感じるが、実際は今のところそうはなっていない。但し、その感覚は当たっているのではないかと辻井氏は言う。但し、アメリカがグローバリゼーションを進めてバブル云々の話は、どうなのだろうか。アメリカはそこまで支配を貫徹出来ているのだろうか。辻井氏は共産主義に触れたことは自分を作った財産であるとおっしゃる。また、資本主義の運動を理解するためのツールとしておられるようだ。そして、代わるものは今のところない、と。義人同盟以前の初期マルクスは特にすばらしいとのこと。宮崎氏はイデオロギーとしてのマルクス主義に若いうちに触れたおかげで、人間の嘘を見抜けるようになったとのこと。小泉純一郎の嘘を見抜けたらしい。アジ、デマはお二人とも分かるようだし、反発を覚えるとのこと。宮崎氏の友人である川上徹氏は離党時に共産党のドグマから引き離してくれたのは藤田省三さん。辻井さんは丸山眞男から薫陶を受けた。を、面白いことを宮崎氏が言う。「(共産党が学者を叩く方法は)官僚的人間が快感をもって(乱暴に)やっているんでしょう。自分よりもはるかに深い思索をしているすぐれた人間を、階級制を振りかざすことによって一刀両断のもとに斬ることができる。」(三浦つとむ氏、中野重治氏、歴史の審判は下った。)そして文学。中野重治を叩き落とすために党が『新日本文学』(中野重治編集長)に掲載された島尾敏雄氏の作品に抗議する。この時代から、共産党は紋切り型の世界になる。「文学性と党派性は根本的に相容れない」。利用主義になるとそうなんだが、文学性は根本的に党派的に成り得ると小生は思う。
第2章、書きすぎた。第3章は「中国と日本」と題して。中国の近代化の先駆けは言うまでもなく太平天国の乱。纏足禁止などの生活要求に根差した若者たちの叛乱。じっくり時間を掛けている。明治日本の革命は数年で断絶。中国というより、シナ社会は権力の介入が少ないが、日本は明治以降国家に社会が統合されてしまっている。但し、震災で中央権力の化けの皮が剥がれはじめ、地方自治の自覚が芽生えている。シナ社会は民衆の間の中間組織が分厚く、権力の介入を易々とは許さない面がある。例えば、茶葉産業の協同組合。これは、国際的権威であったコミンテルンへの態度でも出る。毛沢東らは(李立三や王明を排除した上で)コミンテルンに面従腹背。日本共産党は盲従(お墨付き獲得競争もあった)。この日本の事大主義的態度は、敗戦後の自民党のワシントン日参と同じ。そして、中国を知るには歴史のスパンを五〇〇年とかで見ないと分からない。共産主義なんて表層的なもの。権力を相対的に見ると言えば日本では京都。自民党の馬鹿さが分かるから、アンチとして共産党に投票する。中国の民衆支配は漢族の移植による少数民族支配。アジアのマルクス主義はそれぞれの土地の民族主義と土着している・・・ところは強い。ないところは日本共産党のような極小化か、逆にポルポトか。そして、三民主義の左派が毛沢東で、右派が蒋介石。毛沢東はギリギリまで蒋介石の協力を求めた。内戦で台湾に追われた時も深追いはしなかった。それが中国のナショナリズムではないか。(台湾から見たら迷惑だ)辻井氏の三島由紀夫の話は面白い。三島は右翼人士と会っても大抵がっかり。楽しそうだったのは児玉誉士夫との時くらい。三島の決起の三週間前に辻井氏は三島と会っている。事件前日にも三島は会おうとしていた。三島のあの服は西武百貨店に当時勤めていた五十嵐九十九(つくも)氏がデザイン。三島は感性において立場の違う辻井氏に共感していたのではないか、と。こういう感性レベルの共感なくしては、あらゆる思想は共有できないのではないか。(これは感じる。そして、イデオロギーなんかは仮像に過ぎないことが分かろう。)さて、再び日本共産党。「入れ物としては残る。(略)けれども中身はまったくなくなるだろう、蒸発しちゃっているだろうという感じがしますね。」(宮崎氏) 重しとしてのマルクス主義について辻井氏は述べられる。一方、宮崎氏は共産主義運動の過ちの責任は理論そのものにあると言う。(同感である。)そのためには、あの壮大な体系を総括しなくてはなるまい。(小生は、マルクス以前の西洋哲学史を遡らなくてはならないと思う。それこそ、デカルト以降。少しはあの本で出来たかな。)で、共産党は不破氏が亡くなったら本当に空っぽになるかと。確かに、彼は最近面白いところもある。例えば、これ。日本共産党の必要性をある意味否定。素晴らしい。
http://red.ap.teacup.com/tamo2/1395.html
彼が本当に研究に没頭したいのなら、ヒラの党員になることだね。兄ぃの言うとおり。で、経営者側。日本に経営者団体が色々あるのは、GHQの無茶に対抗するためだった。所得倍増計画で日本の労働運動は足許をすくわれてしまった。大衆が体制の側にもっていかれた。辻井氏はそういうところに日本の大衆と革新運動の弱さを感じていたが、中央の権威が飛んだ今、地方の自主性に可能性を見ている。それに対して「がんばろう、ニッポン」や「絆」という言葉は、自主性の前提となる矛盾に満ちた現状を覆い隠す危険がある。
第4章は「丸山眞男と「ならず者」」と題して。有名なアウトローについての丸山の定義を宮崎氏は引用。そっちのが人間的じゃないかというのもいつもの意見。但し、丸山が定義付けたのはファシストへの脅威からと付言。現在の不定期被雇用者の膨大な存在を考えると、この定義では彼らもアウトローになってしまう。また、非「ならず者」を純化すると、(おそらく昔の)共産党幹部のような人間だけになってしまう。日本人を分析するのに、成熟した市民を措定する、この定義は無理があるんじゃないか。「モダニズムによって現実を批判しようとしても事態は前に進まない」(辻井氏)。この状況を変えられる言葉があるとすれば、それは言語のアナーキズムではないかと宮崎氏は言う。「肉感のままに理論として組み立てていく」。大杉栄だな。日本の歴史を振り返ると左翼は新旧問わず経済戦争の兵士に回収された。近代市民主義の限界である。フランスやイギリスではとっくの昔に近代主義や自由の嫌らしさに気づいていた。(エリオットの『荒地』など)「おいしい生活」でエリオットを引用したのは、彼の近代主義批判を導入し、文化的鎖国を破る意図であったらしい(が、成功していないと思う。成功するならば、すでに導入に成功していたであろう。)丸山眞男に帰る。『忠誠と反逆』所収の「歴史意識の古層」でこの辺に丸山は斬り込む。丸山は歴史意識について「つくる」「うむ」「なる」の三つの要素を取り出し、ユダヤ教・キリスト教では「うむ」は「つくる」に接近し、日本では「うむ」は「なる」に接近するという。主体・客体について、ユダヤ教などでは主体・客体の分離が、日本では主体は生成過程に埋没すると宮崎氏は指摘する。日本語の構造がそういうものだ。「(『古層』の構造は規範としての『復古主義』となじみにくくするとともに)『進歩史観』とも摩擦を起こす」(辻井氏による丸山の引用)。(ブリコラージュの日本! 歴史は蓄積されない。)西洋の文脈では、未来の共産主義から逆算して歴史発展を捉えるが、日本では相対主義的な感覚で唯物史観が捉えられたと宮崎氏は言う。但し、丸山の分析では「ならず者」の個的な反逆は捨象されるし、丸山も大杉らの反逆の意義と思想的弱点を書こうとして果たせなかったという。そして、そもそもの反逆者はともかく、日本人は肩書きに弱いことを両者指摘する。面白いのは、丸山は富永仲基から「仏は天竺の道、儒は漢の道、国ことなれば、日本の道にあらず。道は日本の道なれども、時ことなれば、今の世の道にあらず」と引用し、究極には自立せざるを得ない日本の知的状況を指摘したことだ。だがそれは、左派においてはタテマエ思考につながったと宮崎氏は指摘する。そして辻井氏は左派にこそ「歴史意識の古層」が残り、大衆基盤のなさから理論追求でセクト化し、結果的に自民党を助けてしまうと言う。セクトを出れば自由になるが、全てを主体的に引き受けるのは難しい。(言うまでもなく、E.フロムの問題意識であり、主体が確立しているはずの西欧を含む近代の問題でもある。)だが、そこで自由を求めるしかないのではないか、と両者は言う。自由な人を殺すには、権力が褒めればいい。(ついでに言うならば、党派はこのような自由な人間の、あらゆる権威・権力に反逆する人間の集合体のはずである。)
第5章は「新たな結合へ」と題して。宮崎氏は『近代ヤクザ肯定論』などで述べたイメージ、「法によって統治された市民ではなく、「ならず者」が掟によって結びつくというイメージ」を提案する。だが、大震災はそれさえ流したと感じているという。前提となる共同性を破壊したのでは、と。そして、暗中模索ではあっても、真の――これが難しい――地域主義の自治体が求められている。別の話。「パパタラ・フマラ」という劇団は「自分たちがアイデンティティを喪失しているのに、アートに名を借りてアイデンティティを訴えるという、この虚しさはたまらない」と言って、3・11を機に解散。グローバリゼーションがアイデンティティを喪失させていることを、3・11は突きつけた。新しい表現のはじまりか。また別の話。反原発派は「ね、私の言ったとおりでしょ」(引用は、宮本たけし衆院議員@共産党)という態度ではダメだ。
引用元→
http://www.miyamoto-net.net/column2/diary/1321265180.html
(この人のダメさは、自分が国家権力を分有していることへの自覚がないことも加算されよう。こういう人材が国会議員であるところに、日本共産党の終焉を感じる。)
免罪符などはない。これは、小出先生が一番御存知のことだと思う。責任の軽重があるだけだ。止められなかったことが、被災者を含む全ての人にひっかぶさっているのだ。理不尽この上ない形とはいえ。原発については辺見氏や、(あるいは中沢新一氏の)言うとおり。(小生は科学技術に関しては、「Fatal Disaster が起きた時、人間が関与出来ないところでどうなるか」を考えなくてはならないと思う。制御不能時どうか、と。暴論を吐けば、超小型原子炉は許されても、ある一定の大きさ以上は許されないのではないか。)
最後。わざと段落変え。アモルフな、無党派、あるいは各自が現実の前で格闘する「前衛」としての大衆。小生はそういう有象無象が自由に結びつき、離れ、また結びつく徒党、悪党の類の「組織」を考えている。工学に晶析という操作がある。これは薬品製造で広く用いられている操作であり、たとえば温度差による溶解度を利用して、高温で溶けている物質を含む液体を、冷却して溶け切れなくなった結晶を出す(「析出」という)操作である。薬品の場合、基本的に同質なもの同士が結晶としてくっつきあって析出する。違うモノは液体の中に残る。それなりの同質化が進む。巨大な結晶は、往々にして流れの力で粉々になり、小さな結晶になる。少し細かい話になるが、結晶が成長する周囲の溶液は、「過飽和溶液」と言われる状態になる。その温度で置いていた場合、長い目で見たらいずれは結晶と液体に分かれて安定するのだが、冷却途中なら溶け切れずに「飽和溶解度――その温度で長く置いておく場合、薬品が溶液に溶ける最大濃度――」以上の薬品濃度になる。今の日本の政治的状況は、自民党、民主党、勿論共産党や新左翼を含め、結集したくなる党派がない。結晶したくなる党派(核、あるいは種晶)があれば、急速に結晶析出のようなことがあるかも知れない。だが、「政治」という看板そのものが、析出を阻害する。だから、政治的で#ない#ものが、徒党、悪党の類として要求されていくことであろう。そしてそれは、場合によっては政治を飲み込むであろう。「3・11というのは、旧勢力を全部飲み込んでしまったという感じがするんです。」現実と向き合う個々の「前衛」が、ギリギリの呻吟から、言葉を紡ごうとし、結びついていくだろう。けどなあ。そんな言葉、簡単には出ないだろう。だから、違和感を感じても「がんばろう東北」という言葉を批判する気には小生はならない。自分は言わないけど。そして、自分自身は被災者じゃない――勿論、原発破滅(←「事故(Accident)」とは言いたくない)については色々と被害者なんだけど――し、どうしても部外者であり、上から目線になってしまう。だからと言って、カンパは止めないし、支援できるところはする。怖いのは、良心から動きが止まることかと思う。現在、(反)原発運動に関して、様々な罵倒が飛び交っている。大抵、良心から発せられているので心が痛む。福島に残るも、去るも、尊重すべき選択であろう。出来るのは、医療体制の充実だけだ。・・・・・それを蹴った民主党には速やかに下野してもらいたい。とはいえ、代わりもない。を、「真の地方自治」。
うーん、元電脳突破党党遊だからか、どうしても宮崎氏の本については長くなる。

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